『橋本治と内田樹』の中に、「大衆参加によってエンターテインメントはなくなってしまった」ということが書いてある、と昨日言及したんだけれども。
その前段として、「なんでみんなそんなに日記を公開したがるんだろう(blogのことね)」とか、「みんなクリエイターになりたがる」「どうして“いい観客”になろうという人はいないのか」とかいうことが書いてあるんです。
内田センセは思いっきりblogを書いている方で、blogの文章がそのまま単行本になっちゃう方。
かたや橋本さんはパソコンとは無縁の、「原稿は万年筆で手書き」の方。
そして。
私はこうしてほぼ毎日blogを更新している人間で。
「大衆参加がエンターテインメントをなくしてしまった」という話に「そうだ、そうだ!」とうなずいてしまうと、私もblogなんか書いてないで「いい観客」に徹した方がいいのかな、とちょっと困ってしまいました。
「素人がクリエイター気取りでblogに意見なんか書いてんじゃねぇよ。もっと違う“自分の領域”で働け」って言われてしまったみたいな。
「身の程をわきまえる」「分相応」って言葉が通じなくなってきた、みたいなことも書かれてあったし。
ううう。身の程知らずですいません。
いつの頃からか、「本を読む人より書きたがる人の方が多くなった」とか、「歌を聴くより自分で歌いたがる人(ステージに上がりたがる人)の方が多くなった」とかって世の中に、なってきましたよね。
歌の場合、カラオケの登場でみんなそれっぽく歌えるようになっちゃって、誰でもとは言わないまでも「プロデビュー」の敷居が低くなって。
見たり聴いたりする方も、「雲の上のスター」より「手の届きそうなスター」「隣にいそうな子」の方を求めるようになって。
本はどんどん売れなくなってるのに、書きたい人はどんどん増える。
「大衆参加」ですよねぇ。
「やりたい!やらせて!誰でも参加できるオープンな社会がいい社会でしょ」っていうのが、エンターテインメントにも適用されてしまった。
人の表現を見るより、自分が表現したい――自分を見てもらいたい、承認してもらいたい、っていうか……。
私が一番最初になりたかった職業は「歌手」で、小学生で「マンガ家」になって、中学生で「小説家」になって、以来ずーっと文章を書き続けているんだけれども、見事に「クリエイターになりたがる」ですよねぇ。
それで「なって」ればいいけど、「なって」ないからただの「参加したがる大衆」やし(涙)。
「自覚がある」ってことで、許してもらえないかしら。
だって、私には「書くこと」しかないんだもん。
blogというツールがあるから書いてる、というのじゃないんです。
なくても書いてる。
誰が読んでくれなくても書いてる。
なので、許してもらえると嬉しいな……。
社会・政治
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