これも、「昔読んだ本を読み返そう」プロジェクトのようなものですね。

初めて読んだのは、たぶん高校生の時。『宇宙叙事詩』と同じく、T姐に貸してもらったような気がするんだけど……もしかしたら中学の時にBちゃんに借りたのかな?

うーん、記憶が曖昧。

もはや古典と言ってもいい山岸涼子さんの名作『日出処の天子』。LaLaに連載されていたのは1980年から1984年と言いますから、もう25年以上前の作品です。

私は……中学生から高校生にかけて。

やっぱり中学の時に借りたのかなぁ。

今回、図書館で借りてきたんですけど。

図書館には、角川の「山岸涼子全集」のものが入っていて、全8巻のうち、ただいま4巻の途中まで読みました。

平成の大合併でマンガのたくさんある図書館が「市内の図書館」になったため、パソコンで検索するとこういった「古典」だけでなく、清水玲子さんの『秘密』の最新刊までちゃんと置いてあって、めちゃくちゃびっくりします。

一体どーゆー基準で収蔵マンガを選んでるんだろう。

やっぱり職員さんの趣味かしら(笑)。

で。

『日出処の天子』です。

言わずと知れた聖徳太子、厩戸王子のお話。

あの、かつて1万円札の代名詞だったあごひげの聖徳太子像とは似ても似つかない(笑)美少年の厩戸王子が、自身の才知と超能力で政治を動かしていく。

超能力というか……王子のセリフによると「本来なら誰だってできること」「当たり前の自然のことなのにみんなただ見逃している」のだそうで。

王子は、瞬間移動もするし、サイコキネシスで物を動かすこともできるし、仏の姿を見たり、邪鬼の姿を見たり、色々できるんだけども、それらのことは王子が「特別にできる」のではなく、「みんなが無視している」ものを王子は見たり使えたりする、というだけなのだと。

でも王子はその能力ゆえに実の母親からも怖れられていて、それゆえに非常に孤独な子ども時代を送っていて……かなり性格が、歪んでいる(笑)。

最初に登場する王子って、まだ10歳なの。

めちゃくちゃびっくりした。

本格的に彼が行動を起こすのは12歳ぐらいの時だけど、でもそれでもうちの息子(春から小学5年生)とほとんど変わらない。

昔読んだ時は自分もまだ15~16歳で、それで「いっぱしの大人」気どり、王子が15であんなに大人びてすごい政治手腕を発揮してもそこまで不思議に思わなかったけど。

今の息子と同い年か、と思うとめちゃめちゃびっくりする。

ありえねぇ~~~~~っ!!!

いくら15でもう結婚する時代の話とはいえ……。

実際マンガの中でも王子は「10歳の子どもとは思えない」「14歳とはとても思えない」と周囲の大人達から怖れられているんだけど。

4巻目まで読んできて……王子の孤独がものすごくせつない。

辛い。

苦しい。

聖徳太子って、「本当はいなかった」とか諸説紛々なんだけど、もしも伝説のとおり、「10人の話をいっぺんに聞いて答えられた」とか「予知能力があった」とか、尋常ならざる能力の持ち主だったのなら、この「孤独感」だけは現実の聖徳太子も抱えていたかもな、って思う。

あまりにも多くのことが見えすぎ、わかりすぎてしまう人間は、「わからない人間」の中で、それはそれは孤独だろうと。

マンガの中の王子は、史実のとおり崇仏派として蘇我と手を組み、神道派の物部を逐うのだけれども、でも王子はきっと、仏など信じていない。

神も仏も、彼の孤独を癒してはくれない。

彼を救ってはくれない。

それが、わかっているから。

彼が自身の超能力で謀略を行うのは、「権力を得たい」とか、「国をよくしたい」というような想いではなく、「世界に対する復讐」のようなもののような気がする。

彼だけに、見えぬ方が幸せであったろうものを見せる世界。

そのように生まれついたことへの、復讐。

20年以上前に読んだ最後のシーンを、今でもよく覚えている。

本当に、孤独な終わり方で。

史実では、あの後もまだ20年も生きなければならない。

「十七条の憲法」とか「冠位十二階」とか、ヤケクソやったんちゃうかな……。

「和をもって貴しとなす」なんてね……。


ところで。

1巻を読んでいたら、いきなり「弥勒信仰」が出てきたのでこれも驚いた。

厩戸王子を「あなたこそこの世に下生された弥勒菩薩」と慕う者がいるのだ。

弥勒菩薩。

あの、56億7千万年とかいうふざけた未来に「救い」をもたらすという弥勒菩薩。

(この話がわからない人は「救いといふもの~『百億の昼と千億の夜』」をちょこっと見てみよう)

たまたま図書館の棚に1~5巻まで揃ってたから「借りてみよう」と思ったまでで、他意はなかったのだけど。

こんなところで繋がっている。

やっぱり、私ってニュータイプかも(笑)。