一旦最後まで読み終わった『ドラゴンボール』、気がつくとまた手にとっていたりして。

『宇宙を織りなすもの』下巻も借りてきたし、『機動戦士ガンダムUC』8巻も入手して、平たい地球シリーズ『惑乱の公子』も読まなきゃ~、と思っているのに。

……マンガ以外のものを目が受け付けません……。

困ったもんだ。

この間は34巻のピッコロと悟飯の名シーンをご紹介したのですが。

34巻は、16号の名シーンもあるんですよねぇ。

上の31巻の表紙で車に乗ってる後ろのでっかいのが人造人間16号さん。前の二人が17号と18号。

17号と18号は人間ベースの、いわば「改造人間」。んで、16号は完全なロボット型。

17号と18号もけっこういいヤツだったりするんだけど、16号はさらに心のきれいな、「いいロボット」なんだよね。

ドクター・ゲロが16号を「失敗作」と呼び、「この世界そのものをほろぼすかもしれん」などと言って、眠らせたままにしておこうとするシーンを読んだ時には、「どんな凶悪なロボットなんだろう」とまんまとだまされた。

世界征服を目指すドクター・ゲロが16号を指して「わたしの首をしめることになるかもしれん」と言ったのは、「16号がいいヤツすぎて、世界を守るためにドクター・ゲロをやっつける可能性が高い」ということだったんだ。

生みの親であるドクター・ゲロに「悟空を倒すため」に作られた16号。「悟空を殺す」という命令は確かにインプットされてて、それだけは実行しなきゃしかたがない、と思っているようなのだけど、悟空以外のものを傷つけようとはまったく思っていない。それどころか、自然や動物を愛する心優しい男なんだ。

34巻で、怒りを解放できずフルパワーになれない悟飯に向かって、瀕死の16号が言う言葉。

「正しいことのために闘うことは罪ではない」

「オレの好きだった自然や動物たちを守ってやってくれ」

この言葉を残して16号はグシャッとセルに踏みつぶされ……いよいよ悟飯がぷっつんしてフルパワーになる。

地球をセルから救ったのは16号だよなぁ。

人間ベースの17号、18号も、決してむやみに殺戮をくり返すようなヤツではないのだけど、純粋に「機械」の16号が一番優しい心を持っているっていうの、なんかすごく象徴的な感じがする。

完全に人工物である16号だからこそ、「オレの好きだった自然や動物」の素晴らしさが、人間以上にわかったのかなぁ、なんて。

自然が、自然にあること、あたりまえのことだと思ってしまうでしょ、人間は。

「正しいことのために闘うことは罪ではない」ってセリフも、他のキャラクターではなく16号が言うのがミソだよね。うまいよなぁ、鳥山さん。

なんか、鳥山さん自身が自分に言い聞かせてるのかなぁ、とも思ったり。

『ドラゴンボール』って、途中からすごいバトルマンガになって、街も地球もふっとぶし、後で生き返るとはいえそれはそれは大勢の人が死んじゃってる。

悟空やベジータが戦うたびに強くなっていくのは面白いんだけど、でも「戦いが大好き」でいいのか?みたいな……。

悟飯ちゃんが「戦うのが嫌い」で、「おまえみたいにひどい奴でも、殺したくない」って言うのも、そういうことを描くためかな、と思うし。

ブウ編で、ミスター・サタンが「力」でなく「友達になること」でブウの破壊を食い止めてしまうのなんて、まさに「それ」だよね。

コミックスを読む前、息子と『ドラゴンボールZ』見てる時に、「ドラゴンボールで生き返れるさ」って言うの、どうなのかなぁ、って思ったりしてたんだ。

全体として、決して暴力を助長するようなアニメでないのはわかってるけど、安易に生き返れちゃうのはなぁ、って。

だからブウ編で、「戦う」んじゃなく「仲良くなる」ことでうまくいく、っていう話が出てきた時にはなんかホッとして「やっぱりいいアニメやな」って思ったし、老界王神に「ドラゴンボールなんて反則だ!」って言わせるあたり、ホントに心憎かった。

「こいつら自然のなりゆきをめちゃくちゃにしおって!」って、誰かがやっぱり言っておかないとな。

でも。

16号には、生き返ってほしかった。

セルに殺された人たちって、ドラゴンボールで生き返らせてもらったはずで、17号は最後にちらっと出てくるんだけど、16号が生き返ったのかどうかって、原作ではわからずじまい。

完全に機械だったから、「自然の生命体」でなかったから生き返れなかったのだとしたら、すごく可哀相だ。

彼は素敵な心を持った、「人間」だったのに。

描かれてはいなかったけれど、16号もちゃんと生き返って、動物たちと楽しく暮らしてるといいな。