連合子ども会の本部役員なるものになって、早くも3か月くらい経つ。会議やら行事やらでなかなかに忙しいうえに、一回の会議が必ず長引いて夜の10時を過ぎるので、早寝のよい子である私には大変つらい。

これが2年間も続くのかぁ、と思うとホントにエライこっちゃ、ではあるのだが、しかし会議の席でしゃべったりすること自体は、私は全然平気なので、他の役員さん達には「楽しそうにやっている」と思われているのかもしれない。

みんな、「しゃべりたくない」って言うんだよね。部員さんを集めて説明したり、質疑応答したりするの、やりたくない、できない、って。

正直、「説明する」とか「司会進行する」とかいうのは、得意だと思う。

そりゃあ「国会でなんかしゃべる」とか、「このプレゼンに会社の命運がかかっている!」とか、「声優のオーディションだ」とかいう場なら、緊張してめちゃくちゃなしゃべりになる可能性も高いけど、まぁPTAとか子ども会ぐらいの集まりなら、「前に出てしゃべる」のは平気だ。

むしろ個別に一対一で世間話しろ、って言われる方が苦手かもしれない。

この間、子ども会の会議で「すごいね~、しゃべるのうまいね~」と言われた翌日、子どもの習い事の付き添いでママ友さんとしゃべらなくちゃいけないくて、それがすごーく苦痛だった。

別に、ママ友さんが嫌いなわけでは全然ないんだけど、毎週会ってるから話す内容はいつも同じようなことで、買い物とか子どものこととか、いわゆる「世間話」で、さすがに飽きるというか、「どーでもいーなー」と思ってしまう。

子どもの習い事の付き添い中というのは私にとっては貴重な読書時間でもあり、常に本かマンガを持って行ってるのだけど、私が本を読み始めても、色々話しかけられたりするので、「えっ、今本読んでるんだけど」とついイラっとくる(この話は前に書いた)。

自分が「おしゃべりでない」とはまったく思わないけれど、「ただダベるためだけに寄り集まる」というママさん達の話を聞いていると、「私って、全然“おしゃべり”は好きじゃないのかもな」と思ったりする。

世間話するために寄り集まる時間があったら、読むか書くかしてるもんな、絶対。

まぁ、単に「人嫌い」「引きこもり」という話もあるんですけど。

群れてると咬み殺すよ、ってか?(笑)。

会議の席でしゃべる内容は「書き言葉」に近いから、一対一で「話す」よりずっと楽だ。

前に自分でも『書き言葉は内省言語』とかって書いたけど、橋本治さんの『橋本治という考え方』にも「話すことと書くこと」という文章があった。

橋本さんは、「話すことと、文章として書くことの間にはかなり距離がある」と書いておられる。

「“話す”には、直接目の前に相手がいることが必要になる。“書く”には、直接的な相手が必要ではない。つまり、“書き言葉=文章の言葉”は、本来的にモノローグだということである」(P55)

こうして誰かに読まれることを前提として書いているblogの文章でさえも、本来的にはモノローグだ。個別の「聞き手」の性格やら考え方やら「この人に嫌われると困る」とかいうことを考えなくていいから、すごく楽。

個別の相手を対象にする手紙やらメールやらは、「こちらが伝えたい内容」だけじゃなく「相手のこと」を色々考えなくちゃいけないからめんどくさい。

会議の席で大勢を前に「個別の相手によっかからない」説明的セリフをしゃべる方が、よく知らない出席者の一人と世間話をするよりずっと気が楽だと思うんだがなぁ。