いよいよ2009年もあと2日を残すのみとなりました。

皆さん、いかがお過ごしでしょうか。

って、掃除してるに決まってる???

私もいつもの「大掃除鬱」と戦いつつ、ここ数日お掃除しております。一日ずっと掃除ばかりだとイライラしてヒステリーを起こしてしまうので、1時間くらい掃除してはPCしたり、アイロンあてたり、息抜きしながらちょっとずつやってます。

おそらく、真面目にお掃除してる方々からすれば、「息抜きに掃除してる」としか見えない程度だと思います、はい。

とても「大掃除」とは呼べない程度。

でもそれでも私にしてみればかなり頑張ってて、その程度でもヒス起こしてたりするんですけどね。ほんま、どんだけ掃除嫌いなんやろ。

掃除自体ももちろん嫌いなんだけど、「こんなことしてる暇があったらPCしたい!本読みたい!ビデオ見たい!京都でも行きたい!」っていうね。

逸失利益を思ってしまうからな~。

「でも家の中きれいになったら嬉しいでしょ?」って言われるかもしれないけど、その「嬉しさ」は私にとってはかなりレベルの低い嬉しさ。

死なない程度に片付いてればいいじゃん、って思ってるから。

思ってるんだけど、母親の躾が良かったもんだから、「大掃除はしなくちゃいけないもの」ってゆー強迫観念があるのよ。

普段、「死なない程度」にしかしてなくて、それも「躾」からしたら「大いにサボってる」だから、せめて年に一度くらい真面目に掃除して、けじめをつけて新しい年を迎えなさい、と。

そーゆー意識だけはしっかりすり込まれてる。

すり込まれてるんだけど、でもやりたくない。

この葛藤たるや(笑)。

ホントに嫌だな、この時期。

うちの旦那さんは「掃除する身体」を持ってる人だから、休みになればちゃんと手伝ってくれて、かなり念入りにやってくれるんだけど、それがまたありがたくもこっちにはプレッシャーで。

だって、旦那さんがやってくれるからって、その間遊んでるわけにはいかないじゃない? よけい、遊んでられないでしょ?

なんせ躾が良かったから、「さらに負い目」になるわけよ。

「全然気にせず掃除しないで平気」というふうにはなれないところが、厄介なのよねぇ。

おとといだったか、内田樹センセがblogにお掃除のことを書いてらして、「家というのは自我の比喩」で、「人間というものは雑多なものだから、家だってもっと雑多でいいんじゃないの」というふうに書いてくださってた。

内田センセは「掃除する身体」を持っている方で、「雑多」というのは決して「散らかり放題」ということではないんだけども、「家がシンプルなデザインで統一されている人というのは、自我の設計もシンプルなデザインを選択しているのではないかと思う」とおっしゃっていて、なるほど「家の中ぐちゃぐちゃな私は雑多な人間で、“人間らしい”のだわ」と思えて嬉しい。

インテリア、興味ないもんなぁ。

そりゃ雑誌とかモデルルームのきれいな部屋、素敵な調度品、「いいな」と思うし、憧れるけど、でもそれらに対する優先順位はとても低い。

インテリアにこだわって、いつもすっきりきれいに部屋を片付けている人を何人か知っていて、「すごいな」と思うんだけど、「きっと私はここで生活するの落ち着かないだろうな」って思う。

ホテルや旅館の、何もないすっきりとした空間。あれ、たまにだからいいけど、ずっとはいられない。

もしも1か月くらいホテルで生活するとしたら、絶対に部屋、散らかってくるし、それが「生活」というもんだと思う。

色々その辺に物が置きっぱなしで、見た目「散らかってる」んだけど、「そこにあると便利」ってゆーの、あるでしょう。下手に片付けると使い勝手悪くて、結局また「その辺」が定位置になる。

いいじゃん、別に。足の踏み場があれば(笑)。

そんなわけで、もういいかなぁ、今年の大掃除もこれくらいで。

見ないふりしたとこけっこうあるけど、家の衛生より私の精神衛生のが大事やし(爆)。


おそらくこれが今年最後の記事になると思われ、こんな「うちは片付いてないです!」という話で1年締めくくってもいいものかとも思うのだけど、まぁ「それが“人間”」ってことで。

今年一年、このblogを訪れてくださった皆さま、ありがとうございました。

どうぞ良いお年を!