Amazonリンクの書影、帯がもう「追悼」になっていますね……。Amazonさんの仕事が速いのか出版社さんの仕事が速いのか。
発売日の少し前に見た時は帯が違ったんですよ。私の手もとにあるのと同じ書影が上がってた。
「バカにバカ」って、言っても通じないこの国で。
チャレンジングな帯ですよね。
「言っちゃう? それ言っちゃう?」みたいな。
すでに橋本さんには『バカになったか、日本人』『知性の顚覆~日本人がバカになってしまう構造~』と「バカ」がタイトルにつく本が2冊あるのだけれど、前者『バカになったか~』は2011年から2014年にかけて書かれたもののまとめ、後者『知性の~』は2015年の夏から2017年の春までに書かれたもののまとめだったりする。
で、今回のこの『思いつきで~』はPR誌「ちくま」の巻頭随筆を2014年7月号から2018年8月号まで50回分まとめたものなのだ。
つまり、2011年から2018年まで、橋本さんが書いたコラムやエッセイは全部「バカ」というキーワードでまとめられると……。
一つ一つは新書で4ページ、ごく短い文章で、全体としても219ページしかなく、すぐに読んでしまえます。
橋本さんの読者にとってはどれも「いつもの話」ではあるんだけど、なんだろう、今回はもう橋本さんも呆れて突き放しちゃってるように感じた。
以前の時評では、それでも人に対する信頼というか愛情というか、「自分の頭で考えるしかないんだよ、しんどいけど一緒にがんばっていこう」みたいな熱が感じられて、読んでてうるうるしてしまうこともあったのが、この『思いつきで~』は、「もう知らないよ」みたいな雰囲気。
一つ一つの分量が短くてあんまり細かい話ができないこともあるだろう。短くても最後は何らかの「締め」というか「オチ」がいるから、「~だと思うけどね」と突き放した物言いになるしかないってところも。
この本は残念ながら連載順に並んでいない(テーマ別に並んでいる)のではっきりしたことは言えないんだけれども、最近のものになるほどそういう、「もう知らないよ」感が出ている気がする。
ずーっと「自分の頭で考えなさい」と言ってきてるのに、世の中はちっともそうならないどころかどんどん考えなくなっていくんだから、橋本さんとしてもいい加減めんどくさくはなるだろう。
一番最後に書かれたもの(2018年8月号分)が一番最初に置かれていて、その短文のタイトルが「反知性より無知性がこわい」。
「考える力」がないから、「考えろ!」とデータを押しつけてくるものに対してキレてしまう。
めんどくさいことを考えるのがめんどくさいから、問題を起こした側ではなく、問題を指摘する側に対して反感を持ってしまう。
「問題」にしなければ、考える必要もないのだ――。
「めんどくさいことを言っているばかりでなにもしていないじゃないか!」という声が広がって、乱暴で短絡した発言が支持を得るようになってしまう。でも、乱暴で短絡した発言で支持を集めている人も、実は「言っているだけ」で、実効策を提示しているわけではない。 (P176・めんどくさいことを考えたくない病 2016年2月)
人間も社会もそんな単純なもんじゃないとわかってはいても、現実にその複雑さと向き合うのは大変で、一朝一夕に「誰かが」良くしてくれたら、とつい思ってしまう。
それでなくても日本は「お上(おかみ)」意識が強い国で、「そーゆーめんどくさいことはお上が――偉い人が全部やってくれてしかるべきものだ」と、私だって思ってる。
自分自身が「そっち側(偉い側)」へ行くなんてことは、全然思わないものね。
ひとにぎりの賢くて偉い人がいいようにしてくれる、なんて時代ではないし、そもそも「ひとにぎりの賢い人が国をうまく導いてくれる」が真に機能した時代や国家が本当にあるんだろうかと思うけど、でも一億もの人間の幸福を自分で考えることはあまりにめんどうくさい。
安倍政権の最大の問題点は、「政治は、信任を受けた我々がやる。だから、よそから余分なことを言うな」という態度を貫いてしまっていることにあると思う。だから、「自分達」以外の声を聞かない。 (P117・簡単に分からないために 2015年12月)
一度信任を授けたらそれが「お上」だって、結局「下々」も認めちゃってるんだろうな。この文章2015年なんだもん。丸3年も経ってる。
橋本さんにさんざん「考えなさい」と言われてきて、でも私もいい加減考えるのめんどくさくて政治的な話を書くことがなくなってる。
橋本さんが亡くなられてしまったから今回この本はすぐに読んだけど、そうじゃなかったらしばらく「積ん読」で遠ざけていたかもしれない。「考えろ」と言われるのがめんどくさいから。
2018年7月号の文章は「人が死ぬこと」。
西城秀樹の死への言及から始まるこの文章を今読むのは、本当にたまらない。
まさか橋本さんも、「自分が死ぬ」とは思わずに――自分も「平成という一つの時代の終わり」を象徴するように死ぬだなんてこれっぽっちも思わずに書かれたのだろうけれど。
むしろ、「自分はいつまで若いのか」とおっしゃっているぐらい。
やり遂げて、その年齢で死んだ。時代を担い、五十代六十代で死んで行った昭和の人達を思うと、その死がなんだか潔く思える。私はもう七十になった。(中略)私なんか、もう才能が涸れて「どうしたらいいのか分からない」状態になっていても不思議はないのに、どういうわけか、頭は若い。「いつまで若いんだろう?」と思うと、少しいやになる。 (P72・人が死ぬこと 2018年7月)
きっとまだまだやりたいこと、書きたいことがおありになったに違いないし、実際『落語世界文学全集』は刊行が始まったばかりだった。
だから、橋本さんの死を平成の終わりとリンクさせて語るのはとても失礼なことかもしれない。
でも置いてきぼりにされた読者からすると、やっぱり、「もう次の時代のことは知らないよ」と逝ってしまわれたように思える。
「はじめに」には、「私ももう世の中のことがあんまりよく分かりません。(P10)」って言葉も見える。ご謙遜ではあろうけれど、「もう知らない――」ではなかったのか。
連載を書籍化するに当たって、いつもなら橋本さんご自身がおまとめになるところを、今回は編集さんにお任せになっている。体調的なこともあられたのかな……。
亡くなられた今となっては、テーマ別ではなく書かれた順番に読みたかったと思うけど、もし橋本さんが編集なさってたらどうだっただろう。加筆もあったろうか。
「人が死ぬこと」以外で一番印象に残ったのは
泥棒には、「盗んだものをどうやってスマートに持ち出すか」という美学が必要で、「情報」というデータになると、その最低限のルールが分からなくなる。 (P54・電波で荷物は運べない 2017年5月)
という箇所。
「盗み」の美学に反するから全部紙に戻せよ、ってなんかすごくない?
セキュリティ云々以前に、「それ美しくないだろ」っていうの。
さすがだな、って思う。
この一文の後、
どれだけの数の人間が、「便利」という名の無駄な行為のために動かされるんだろうか? 「お前のどら焼き」や「蟹の脚」を運ぶために、どれだけ有為の人間が宅配ドライバーとして働かされなきゃいけないのだろうか? (P55・電波で荷物は運べない 2017年5月)
っていう話になって、ここの章題は「電波で荷物は運べない」なんだけど、Amazonさんでポチることの多い私にはまったく耳が痛い。
宅配ドライバーの悲鳴で時間指定が見直されたりしたの、この頃だったのかな。
「ネットで何でもできる」と言っても、実際に「もの」を届けるのは人で、通販での個別運送が増加したせいで物流コスト全体が上がって、食料品なんかもどんどん値上げされていく。
田舎の本屋には橋本さんの本があんまり並ばなくて、Amazonさん以前にはなかなか苦労したりした。今は本はe-honで書店受け取りをすることが多くなったけど、日用品も近所では欲しいものが売ってなかったりする。
お店で試供品もらったから使い始めたシャンプーの詰め替えも、すぐに店頭に並ばなくなった。言えば取り寄せてくれるんだろうけど、「ネットでポチった方が早い」にはなる。私はPCやスマホを開いて指を動かすだけ。「早い」を実現するために、私が楽をするために、働かされる人たち。
かつてはそれが「新しい商機」であり、雇用の創出にもなってたんだろうけど、今となってはね。トラック輸送が増えるのは地球温暖化的にも良くないし、どこでもドアとか瞬間移動の開発が待たれる(そうじゃない)。
個人情報を収集されるリスクはあっても、利便性やお得感のために実体のないお金を使う。「お金」はそもそも「実体」のない、紙切れに「信用」という「価値」を乗せたものだったけど、それがいよいよ物理的な実体を持たない「データ」になって、それこそ盗み出すのも簡単になってしまう。
物理的に「重くてかさばる」ものをどうスマートに持ち出すか、そんなこと考えなくていいんだもんね。
紙に戻せばいいんですよ。そうして効率を悪くして、もう一度「しばらくお待ちください、ちょっと面倒なので」という状態を復活させればいい。効率が悪いということは、時間がかかるということで、それはつまり「考える時間が増える」になる。 (P215・紙に戻せばいいのに 2016年4月)
やっぱり「考えなさい」なのだよな。
あと、
(オリンピックは)ずっと中国国内持ち回りにすればいいのに。 (P192・アジアの時代か―― 2018年4月)
っていうの面白かった。
4年ごとに別の国でオリンピック用の施設を作るとか、ほんとありえないよね……。
最後に置かれているのは「自己承認欲求と平等地獄」という文。
世の中って、そんなに人のことを認めてなんかくれないよ。「あ、俺のこと認めてくれる人なんかいないんだ」と気がついたのは、もう三十年以上前のことだけど、気がついて、「認められようと認められまいと、自分なりの人生を構築してくしかないな」と思って、「人生ってそんなもんだな」と思った。 (P216・自己承認欲求と平等地獄 2017年1月)
え、橋本さんでさえも……と思うけど、橋本さんがいわゆるアカデミックな界隈からは「色物」扱いをされていたのはまぁ確かか、とも。
小説、美術、古典、時評、編み物、少女マンガ、などなど、あまりにも「知」の幅が広くて、ジャンルを特定できない――日本的な“肩書き”や評価を付けにくい方ではあった。
橋本さんは逝ってしまった。
新しい年号の時代を、もう橋本さんは評してくれない。
でもたぶん、どんな時代になろうと、橋本さんがおっしゃるのは「自分の頭で考えなさい」ということだろう。
めんどうくさがらずに考えて、認められようと認められまいと、自分なりの人生を構築していくしかない。それをわきまえて生きていくのが一人前の大人というもの。
はい。
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