昨日は1月17日だった。

15年前の1月17日、私はまだ大阪の池田に住んでいて、たまたまあの揺れの直前に目を覚ましていた。

もしかしたら、地鳴りで目を覚ましたのかもしれない。

音を聞いたのと、目を覚ましたのとどっちが先だったのかわからないけど、とにかく「ごぉーっ」という音がして、隣で寝ていた母と「何だろ?」と顔を見合わせたら、どん!と揺れが来た。

ゆっさゆっさと、シェーカーでシェイクされてるみたいに家が上下に揺れて、母が悲鳴を上げ、私は言葉もないままに「家が壊れる!」と思った。

幸い壊れなかったけど、足がすくんで、階段を下りようとしたら余震が来るし、めちゃくちゃ怖かった。

でもテレビをつけたら(居間のテレビはテレビ台から落ちて、ビデオケーブルとかがぶち切れてたが、一応ちゃんと映った)神戸はもっとひどくて、「あの揺れでも“たいしたことなかった”んだ」と思って本当にびっくりした。

池田市内でも半壊した住宅とかあったし、避難された方もいて、私ごときが「震災体験者」というのはおこがましいのだけど、でもやっぱり毎年1月17日は「阪神・淡路大震災の日だ」と強く意識するし、昨日は「あれから15年か……」と思った。

あれから小さな揺れにも敏感になった。

高い建物を見ると、「地震の時どーするんだ」って思うようになった。

毎日新聞に高村薫さんが寄せたメッセージで、「15年経って、まちづくりに震災の教訓が生かされてるとはいえない」という意味のことを書かれていて、高層ビルがばんばん建ってる現状を指摘してらしたんだけど、ホントにみんな怖くないのかな、って思う。

ドバイのあの「世界一」のビルにしても、建設中のスカイツリー(だったっけ?)にしても、「地震や火事があったら逃げられないじゃん」ってつい思ってしまう。

大手ゼネコン組合かなんかが「超高層ビルの耐震基準をどーのこーの」というニュースをこないだ見たけど、耐震も何もそんな高いもん無理に建てなくていーじゃん、と私は思ってしまう。

壊れなくてもゆっさゆっさ揺れるのは揺れるだろうから、中にいる人はやっぱり大変だろうし、エレベータは止まるだろうし、なんかあった時に低層の建物に比べて逃げにくいのは確かでしょう。

それにドバイのビルとか、逆に壊す時どーすんだろうって。

まぁドバイはともかく、日本の都市にいっぱい建ってる高いビルとかマンションとか、地震がなくても老朽化はしてくるわけで、いざ壊したい時、建て替える時、大変なんちゃうんかなぁ。

震災で壊れたマンション、15年経ってやっと再建されたけど、戻ったのは1軒だけだった、ってこの間やってた。

入居者それぞれに事情があるから「再建する」っていう決定がなかなかできなくて、やっと再建なった時には、それぞれ別の場所での生活がもうできてしまっていて。

震災直後から二重ローンの問題とか、住民の意見がまとまらないとかいうニュースに接するたび、マンションというか、一つの建物に大勢の人が住むのって大変だな、と思ってた。(二重ローンについては一戸建ても同じだけど)

超高層マンションだったら戸数もそれだけ多くなるだろうし、本当に「別に地震じゃなくても」いずれ老朽化等で工事が必要になるわけだから、別にマンションが悪いというんじゃないけど、そういうことは頭に置いた上で購入しないとな、って……。

震災から15年経って、今朝も「地下街の対策は進んでいない。地下街に耐震基準はない」ってニュースで言っていたし、学校の耐震化もそれほど進んでいない。

地震自体は「天災」で避けようがないけど、建物に殺されたり、家具に殺されたりすることは、事前の準備次第で避けられることもある。

……と言いつつ、うちは本棚の本が散乱してとっさに逃げられそうにない気もする。寝室の照明器具もヤバいよな、あれ。落ちてきたら。


なんだかまとまりのない文章になっちゃったけど、あの朝の恐怖を忘れてはいけない、と改めて思った2010年の1月17日でした。