先日紹介した『日本人へ リーダー篇』の続きです。

文藝春秋2006年10月号から、ついこないだの2010年4月号までの掲載分。

だいぶ話が最近のことになってきて、取り上げられている事象を思い出しやすいせいか、『リーダー篇』よりも面白かった。相変わらずの「ローマから目線」でズバズバ偉そうに(笑)言ってくださるんだけど、それが不思議と前作より鼻につかない。

やっぱりそれだけ取り上げられている事象が切実に感じられるからかな。

いちいちなるほどとうなずかずにはおれないもの。

2006年秋から今年の春までのこのコラム集の中に出て来る首相。安倍さん、福田さん、麻生さん。そして小沢さんの名前も。

まず安倍さんなんだけど、「安倍首相擁護論」ということで、「たとえ選挙に負けても安倍さんは続投するべきだ」という話。その後の展開を知っている今、これを読むのはなんともむずがゆいというか、よけいに「身に沁みる」んだけども。

塩野さんは決して安倍さんを買ってるわけじゃない。むしろ不満の種を3つあげて、「ここが良くない」とずばり言っている。それでもなお塩野さんが安倍さんの続投を「今の段階でとりうる最良の選択」と書いたのは、

理由の第一は、猫の眼の如く首相が代わっていた小泉以前の時代に再び戻ることには、現在の日本はもはや耐えられない状態にあるということ。(中略)興隆期は過ぎたこと明らかな時期の政局不安定からは良いことは何一つ生まれないことも、歴史が証明してくれている。 (P81)

……再び「猫の眼の如く首相が代わる」その後を知っている今、本当になんとも、どうしたらいいんでしょう。もう日本は終わってますか……。

「拝啓 小沢一郎様」というタイトルのコラムにも

危機を打開するには、何をどうやるか、よりも、何をどう一貫してやり続けるか、のほうが重要です。(中略)危機に対処するには何よりも、政局の安定が不可欠ということになります。 (P187)

と書かれ、小沢さんに向かって「民主党と自民党の大連立」を勧めておられます。

実際、小沢さんはそれを模索したこともあったわけですが、なぜ「大連立」かといえば、「国民新党や社民党と連立して、小政党に引きずられてしまっては意味がない」から。

はっはっはっ!

笑うしかありませんね。

なんという慧眼。シャッポを脱ぐしかありません(って、どんだけアナクロな比喩)。

本当に、なんだって亀井静香さんはあんなにでかい顔をするんだ、と思いましたもんね。国民新党になんか投票してないぞ、と。

「過半数が取れない」ということから起こる「政局の不安定」。普天間問題による社民党斬りによって、鳩山首相退陣、ということになったんですもんね。(まぁ「政治と金」、「小沢降ろし」という問題も絡んではいましたが)。

参院選を間近に控え、こういうのを読んでしまうと「やはり民主党に勝たせてとにかく政局を安定させないといけないのか」と思ってしまいます。

民主党の主張や、菅さんの善し悪し以前に、「また首相を代えるの!?」ということ。

今度の選挙の争点は「消費税」でもなんでもなくて、「安定政権を望むのか望まないのか」ということなのかもしれない。

いや、もちろん、「悪い政治が安定したってしょうがない」という話もあるんだけども、こうコロコロ首相が代わってたんじゃ良い政策だって実行のしようがない。

各論で見れば「その主張はどーなの」と思うことは色々あるし、ここで民主党に勝たせてしまうと「鳩山退陣→選挙前の看板書き換えで支持率アップ」という姑息な手段に屈したようにも思える。

うーん。

どうすればいいんだ。

ってゆーか、消費税10%も一緒だし、やっぱり民主党・自民党の大連立で「挙国一致内閣」するしかないのか。

どういう選挙結果になったとしても、得票数的にはこの二党がやはり大きなパーセンテージを占めるんだろうし、「国民の意思の反映」という意味では、社民党だの国民新党だのを「政権」に入れるよりはよほどまっとうなはずではある。

……「日本には政党は一つしか要らないんだ」って、橋本治さんが前に言ってたような気が……。

歴代ローマ皇帝で「夢の内閣」を作る個所にはこう書かれています。

歴代の皇帝とも、前任者が行った政策でも良しとしたことは、いかにそれが評判の悪かった皇帝の政策であっても、継続することに何のためらいも持たなかったこと。(中略)また有権者である国民も、皇帝が代わるたびに新しいカラーを出せとは求めなかったのだから、ローマ人は政治的にも大人であったのだ。 (P133)


いつもながら外交に関する批判・提言は「なるほど」と思うことばかりで、民主党発足当時に「最も期待するのは日本とロシアの関係の最終的な決着」と書いてらっしゃるのは「嗚呼」と思います。

鳩山さんが退陣時に最も心残りなこととして挙げたのも確か「ロシア関係」でしたよね。

菅さんは外交全般にあまり興味がない感じするな……。


「政治」以外の部分でも今作は興味を惹かれるコラムが多く。

例の「世界史未履修問題」。今となっては「そんなこともあったっけ?」ですが、あれから高校ではちゃんと世界史を学ぶようになったんでしょうか。

「世界」と付き合っていくためにはやっぱり「骨格」だけでも「世界の歴史」を知っておかないと。自国の歴史を学ぶのももちろんだけど、「世界の中の日本の立ち位置」を知るためには「世界史」を頭に入れておかなくては。

少なくとも、官僚として外交に携わるかもしれない人、経営者として外国に打って出ようと思う人など、いわゆる「エリート」は「世界史」を知らずには済まされないよね。

今、息子ちゃんが小学校6年でやっと「日本の歴史」を学んでるんだけど、6年後半は「公民」分野を学ばなきゃならないからものごっつい駆け足で、「小学校ってこの程度しか習わなかったっけ?」って思う。

紹介されているイタリアの小学校の「歴史教育」に比べると、あまりにも貧相。

まぁ他の教科との絡みもあるし、土曜は休みだし、「全然時間がない」現場の様子も知らないわけではないんだけど、しかしもうちょっとなんとかなぁ。そもそも毎回の授業の進度が遅すぎる……もうちょっとてきぱきやればたくさん内容もこなせるんだろうに……「ついていけない子がいる」とかいう話になるんだろうなぁ……。

閑話休題。

『女性の品格』をこき下ろす個所も楽しかった。

この書物は、つまらない男にとってのみ好都合なツマラナイ女、の多量生産に最適だと思った。 (P74)

きゃははは。「きっとそーゆー本だろう」と思って手に取らなかった私は正しいのね、塩野さん(笑)。

そして「本」や「出版」に関する個所。

「本を買って読む」ということの積極的な意味。

「出版界のリスク回避」によって、ますます「本」はつまらないものになっていくだろうという、大当たりなこと間違いない予言。

そして、それらは次の一色に染まっていくだろう。つまり、読む愉しみや知的満足を与えてくれる本よりも、読めば不安を解消してくれると思える本の一色に。 (P244)

本当にねぇ。

だから本好きは古典に親しむしかないのですわ。読む愉しみと知的満足を求めて。