「普天間問題」で首相が辞任するこの時期に文庫化されるという、すごいタイミング。

「文庫版のためのあとがき」にも普天間のことが言及されています。

でも、彼らがさまざまな(一見合理的な)理由を掲げて基地撤去を受け容れないのが、どういう国民的な幻想に基づくものであるかを理解することはできます。その幻想の様態をぼくたちは知りうるし、知っておくべきだろうと思います。 (P270)

この本の本文自体は2003年の大学院での演習を元にしていて、単行本の発行が2005年。すでに5年という月日が経っているのに、その内容はちっとも古くありません。

具体的でわかりやすい例を引きながら、内田センセが迫るのは「アメリカの本質」。アメリカがアメリカである由縁が、たったの5年で大きく変わるはずもないですからね。

最初から最後まで、すごく面白かったし、あっという間に読んでしまったんだけど、特に「まえがき」「第1章 歴史学と系譜学―日米関係の話」が非常に勉強になりました。

第二次大戦前のアメリカと日本の関係って、ろくに知らなかった。

戦後の「日米同盟」、「対米追従」と言ってあまり間違いのない日本外交しか知らない私には、本当に「目から鱗」。

それ以前のアメリカと日本って、そんなに「関係ない」んですよね。

黒船でペリーさんが来た、ペリーさんのおかげで日本は開国し、明治維新=新しい日本へと進んでいったんだ、ということはあるんだけど、でも「黒船=ペリー」ばかりがやたらに強調されるのも、戦後の「日米関係」からの「逆照射」なのかもしれない。

……と先走る前に。

「まえがき」で内田センセは、日本人のアメリカに対する想いの「ねじれ」を説明してくれます。

親米的政策は反米的心情に裏打ちされ、反米的政策は親米的心情に駆動されている。日本の左翼は伝統的に反米ナショナリストである。(中略)右翼は政策的に親米であるけれども、心情的にはもちろん反米である。(中略)「従属国であることに満足するナショナリスト」というのは形容矛盾である。しかし、右翼が批判するのはロシアや中国や韓国であって、彼らの口からアメリカ批判はほとんど聞かれることがない。 (P21-P22)

言われてみれば確かに。

そしてアメリカ側の思惑。

「日中韓の接近を阻止する」というのがアメリカの極東戦略の要諦である。日本が中国や韓国と接近して、東アジア・ブロックを形成すること、アメリカがもっとも恐れているシナリオはそれである。 (P24)

日中韓が仲良くなって、東アジアが安定してしまうと、アメリカの出番がなくなってしまう。だからアメリカとしては、適度に不協和音が響いている方が都合がいい。

小泉さんの靖國参拝でアメリカが抗議の声を上げなかったのは、靖國参拝で日中韓にヒビが入る方がアメリカにとって好都合だからだと。

うわぁ……。

アメリカが日本に期待しているのは他の東アジアの国々と信頼関係が築けず、外交的・軍事的につねに不安を抱えているせいで、アメリカにすがりつくしかない国であり続けることである。 (P25)

なるほどですよねぇ。

言われてみればホントに「なるほど」です。

ってことはやっぱり日本がアメリカの「核の傘」を離れ、自前で核武装することもなく、「もうアメリカの言いなりにはならないし、東アジアは東アジアで仲良くしましょう」と中国や韓国に持ちかけたら、それで「平和」になるのかもしれない。北朝鮮からのロケットは飛んでくるかもしれないけど。

そしてアメリカがあらゆる手を使ってそれを阻止しに来るのかもしれないけど。

米軍基地を追い出したら、真っ先にロケットを打ってくるのは実はアメリカ……!?

もうこの「まえがき」だけでホント、ノックアウトです。もしも鳩山さんがこの本を、この「まえがき」だけでも読んでいたら。(って、読んでたりして)

続く「第1章 歴史学と系譜学―日米関係の話」

日米関係の話に入る前に、まず「歴史」を学ぶ際の姿勢についてのお話があります。一般的にはけなされることの多い「年号丸暗記の受験用歴史」。

でも内田センセは

自力で考えるためには歴史上のランドマークになる出来事とその年号を覚えることがまず大切です。 (P38)

なんでかって言うと、「流れ」や「物語」として「歴史を学ぶ」ことは、他の誰かの考えを「丸呑み」することだから。

よく「司馬史観」とか言いますけど、「物語」になっているがゆえに頭に入りやすく、それで「わかった」気になっているけれど、あの「歴史」は司馬遼太郎が「見た歴史」で、一つの有用な視点ではあろうけれども、あれだけが「唯一正しい視点」ではない。

この間『失われた近代を求めて』の感想を書く時に、ものすごく久しぶりに(というか、そもそも初めてかもしれない)明治期の文学史年表を繙いて、「この人とこの人は同時代人なのか!」「言文一致体の後に樋口一葉のだらだら文がまだあるじゃない!」ということがわかって、とても新鮮だった。

人や出来事を年表に並べて眺めてみると、それまで知らなかったことに気づけたりする。

ちょっとだけど、実感しました。

だから日米関係を考える時にもまず年表を見ておきましょう、ということで「1861-65年 アメリカ南北戦争」。明治維新は1868年。ペリーの来航は1853年。翌1854年に日米和親条約。

条約を結んだ7年後に、アメリカでは内戦が起こっている。

だから、日本の幕末のドタバタと明治維新の成立に、アメリカはほとんど(全然?)関わっていない。

もしも南北戦争が起こらず、アメリカが「外」に力を注げていれば、日本はさっさと植民地にされていたかもしれない。幸いにアメリカは内乱で忙しく、日本に関わってる暇がなかった。

で。

幕末の日本に深く関わっていたのはイギリスとフランス。

イギリスは薩英戦争とかあるし、なんとなく知ってるんだけど、フランスの存在というのは初耳な気がする。

ナポレオン三世は徳川幕府と手を結び、かたやイギリスは薩摩と組むことになります。幕末における二大勢力の対立は、「世界史分の日本史」という分母分子の図式で見れば、英仏両帝国の代理戦争という側面もあったというわけです。 (P48)

知ってました!?

私が日本史をろくに知らないだけなんでしょうか。「幕末の一時期、幕府軍の訓練をフランスから来た軍人が行っていることは確かです」 そんなの初めて聞きました。

共通一次は世界史で受けて、高校の「選択世界史」の先生がものすごく熱心で、近代世界史はけっこうちゃんと勉強したと思うんですけど、日本史は寝てたから……。

いや、でもむしろ近代世界史で日本との関わり、ちょろっとは習ったのかしら。うーん、記憶にない。幕府の敗残兵に混じって五稜郭まで行ったフランス人士官もいた、なんて話を知ると、一気に親仏感が増しますよねぇ。

シラク元大統領も親日家だったし、フランスには日本のアニメ/マンガに傾倒する人も多いらしいし、そもそもオスカル様の国だし(笑)。

「幻の日仏同盟」なんて言葉を聞くと、「そんな可能性があったのか。アメリカよりフランスの方が良かったよ!」とか思ってしまったりして。(この本の後繙いた塩野七生さんの『日本へ―リーダー篇―』の中にはフランスの原理原則主義に対する批判もあって、どこの国と同盟を結ぶにしても日本はクールにその利害得失を分析しなければいけないのでしょうが)

1章の最後に書かれている言葉は本当にその通りだと思うので、ぜひ図書館で「まえがき」と1章だけでも多くの人に読んでいただきたいです。

って、もちろん2章以降もすごく面白いんですけどね!

私が特に興味を惹かれたのは第4章の「上が変でも大丈夫-アメリカの統治システム」第5章「成功の蹉跌-戦争経験の話」第6章「子ども嫌いの文化-児童虐待の話」第7章「コピーキャッツ-シリアル・キラーの話」第9章「福音の呪い-キリスト教の話」

あれ、これじゃほとんど全部か(笑)。

アメリカってやっぱり「特異な国」なんですよね。

その土地に住んでいた人間達が自然発生的に共同体を作り、「国家」になっていった、というのではないから。

最初から「理念」を持って、「理念」先行で作られた「国家」。

良い悪いではなくて、成り立ちが全然違うし、その成り立ちに起因する彼らのアイデンティティ-拠って立つもの-は、他の国々のそれとはずいぶん違う。

第5章の「戦争経験の話」では真珠湾攻撃を原爆で復讐する、という話が出てきて、「え…」って感じでした。真珠湾の死者は3千人、東京大空襲は被災者百万人、死者十万人。

でもアメリカ人の意識の中では真珠湾の打撃はもっと大きいし、真珠湾攻撃による被害と、原爆による被害とは「釣り合っている」。

アメリカは自国民の死者のためには必ず報復をしますし、つねに実際の損害に比べても強い被害者意識を持つ傾向にあります。でも自国軍が殺傷する他国民についてはあまり(ぜんぜん)気にならないようです。その点がちょっと問題ですね。 (P126)

ちょっとどころかかなり問題なのでは……。

同じくこの章で言及されている「アメリカの没落」についての話も実に興味深いです。

「子ども嫌い」と「シリアル・キラー(連続殺人鬼)」の話には相関があって、「なるほど」と思います。今でこそ日本でも児童虐待のニュースが日々流れ、「子どもは可愛いだけじゃない」ということが普通に言われ始めているようですが、かつて江戸時代に日本にやってきた外国人が驚いたことの一つは、「子どもが非常に可愛がられている」ということだったんですよね。

「7歳までは神のうち」「遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ(梁塵秘抄)」

「子ども」という存在に対する視線が、少なくともキリスト教圏と日本ではずいぶん違っていた。

例の『カラマーゾフの兄弟』の「大審問官」に出て来る児童虐待の例とか「ぎょえー」って感じですからね…。

子どもが「ただ可愛いだけじゃない」のも確かだし、「女なら母性があってあたりまえ」とか言われるとカチンとも来ますが(私自身、今でこそ息子ちゃん溺愛(!?)の親バカですが、産む前は「子どもなんかいらない」と思っていた「子ども嫌い」な女でした)、「7歳までは神のうち」という考え方、「子どもを可愛がる」伝統というのは誇っていいことだと思います。

なんでもかんでも「グローバル化」で欧米とおんなじにしなくてもいいじゃないの、と。

でないと日本にもシリアル・キラーが増えるかもしれない。

第9章の「福音の呪い」は、アメリカが非常に宗教色の強い国家だ、というお話。そもそもイギリスから逃れてきた清教徒達が作った国なんですもんね。

大統領選の争点に「中絶反対かどうか」なんて問題が出て来るぐらいだもんなぁ。

前にも記事にしたことあるけど、世界中で大注目の、アメリカだけでなく世界中の命運を握っていると言っても過言ではないようなアメリカ大統領を選ぶ際に「中絶に反対かどうか」なんて、そんな大きな問題か?って、日本人としては思ってしまう。

アメリカや、一神教世界の人達からすれば「日本人は変」なのかもしれないけど、日本人からすれば「あんた達こそ変!」なわけで。



あまりに勉強になったので、この本でたびたび言及されているトクヴィルの『アメリカのデモクラシー』を図書館で借りてきました。内田センセの本のようにはサクサクといかない難しそうな大著ですが、がんばって読みたいと思います。

一つ知れば、もっと知りたいことが出て来る。

一つ知れば、自分が本当に何も知らないことを思い知らされる。

読書の醍醐味であります。