「なぜリスクをとるリーダーが出ないのか」とでかでかと書かれているけど、本文中にそんな文言は出てこなかった気がする。

「リーダー篇」と銘打たれているけど、別にそーゆー内容でもない気がする。

もともと「文藝春秋」に連載されていた(現在も連載中のよう)短いエッセイというかコラムをまとめたものだけど、便宜上「○○篇」と名前をつけただけのことで、テーマに沿って内容を再編したわけではないんじゃないのかな。

今月18日に発売される「国家と歴史篇」は、単純に時系列上の「続き」のような気が…。

この第1分冊に収録されているのは2003年6月号から2006年9月号までの分で、「イラク戦争を見ながら」というタイトルの記事で始まる。

2003年ということはもう7年も前だし、既にイラク戦争の記憶もかなり曖昧になっている。その時々の時事問題を、お得意の「ローマから目線」でずばずば斬る、というスタイルなのだけど、その「時事問題」のことを思い出すのが素人にはけっこう大変です。

橋本さんの「ああでもなくこうでもなく」だと、本文前に「2003年6月のできごと」って感じで出来事の表がまとめられていて、思い出すよすがにもなるんだけど、この本はいきなりだし。

しかも本文は大変に短い。

それぞれの記事は、新書で5ページ半程度。

当然出来事の経緯はみんな知っているという前提で書かれているし、事件に対する論評も、細かく詳しく突っ込むことはとてもできない。

「短いから読みやすい・わかりやすい」とも言えるし、「短いから本当に知りたいことはよくわからない」ような気もする。

どうしても「エッセンスだけ」になってしまうから。

なんか時々「あれ?」と論旨がわかんなくなってしまうのは、単に私の理解力が足りないだけかもしれない。

取り上げられている事象自体は古いけれども、その事象に絡めての塩野さんの提言は、もちろん今でも十分有用な、普遍的なものだろうと思う。ローマ史を引き合いに出しての日本の、特に外交分野に対する苦言は、なるほどと思わされることが多い。

多いんだけど。

ちょっと、鼻につくところもあるんだなぁ。

「そんなこと言われたってこちとらローマ人じゃないし!」って言いたくなる時が(笑)。

表紙にでんと赤字で「なぜリスクをとるリーダーが出ないのか」って書かれてあるけど、その答えって、「そんなリーダーはもはや日本人じゃないから」じゃないのかと思ったりする。

内田センセの『日本辺境論』とか、その他の著作・blogを拝見してると、「どの国にも国民病というものがあって、それは“病”でもあるし“アイデンティティ”でもある」って話が出てくる。

普天間基地の問題にしたって、根っこにはアメリカの「西漸病」があって、もしも東アジアが安定して、アメリカの軍事力が要らなくなっても、アメリカは「はい、そうですか」と撤退したりはしないだろう。そんなことをしたら「アメリカがアメリカでなくなる」から。

日本もおんなじで、外交がうまくなったり、政治がうまくなったりしたら、「日本じゃなくなる」んじゃないかなぁ。

『日本辺境論』の感想記事にも書いたけれど、織田信長が志半ばで殺されちゃったのも、あの人を放置していたら「日本が日本でなくなる」可能性があったからじゃないかと。

信長なら、「天皇」という「外の権威」を廃して自身を中心に据えた新しい秩序を作れたかもしれない。でも周りの日本人は、そんな「もはや日本ではない国」になることを望まなかった。

『龍馬伝』で盛り上がってる坂本龍馬にしても、もしも本当に今の時代に彼のような人がいても、結局は排除されるんじゃないかなぁ。明治維新って、ものすごく新しくなったように見えて、「権威」はやっぱり「天皇」だったでしょう。

幕府と朝廷という二重のシステムがあって、明治維新はその二重のシステム全部をひっくり返したわけではなくて、もともとあった朝廷=天皇を担いだだけだった。

もしかして龍馬が生きていたら、もっと全然別の新しいシステムを作れたかもしれない。彼はもっと違う「新しい日本」を思い描いていたかもしれない。だからこそ彼は途中で死ななければならなかった。

日本が日本であるために。

……いや、まぁ、素人の勝手な解釈ですけどね。

でも信長とか龍馬とか、「日本人離れ」したセンスの持ち主がリーダーになって、彼らを許容できるぐらい他の日本人も「日本人離れ」することが、本当にできるのか。「日本人離れした日本人」ばかりになった「日本」ってどんな感じなんだろう……。


読んでて、「日本人ってこーゆーふうによその国(この本の場合もちろん古代ローマ)と比較され、けなされるの好きなんだろうな」って思ったりもした。

これも『日本辺境論』に書いてあったことだけど、日本人って「日本論」が好きなんだよね。しかも、それが欧米の国なら、比較されけなさるのも好きなんじゃないかな……。

だから欧米の真似をしなくちゃいけないんですよ!って叱咤されるのが。

外に「権威」があってほしい、「お手本」があってほしい国民性と言うのかしらん。

色々と、面白いトピック・提言はいっぱいあって、小泉首相の話なんかも「へぇ」と思ったんだけど、次の一文だけ引用しておく。

歴史に親しむ日常の中で私が学んだ最大のことは、いかなる民族も自らの資質に合わないことを無理してやって成功できた例はない、という事であった。 (P248)

どんな物事にも表と裏、良い面と悪い面があるものなので、日本人は日本人の国民性を変えるのではなく、無理に「日本人離れ」しなくていいから、もともと持っている素質をうまく生かして、マイナスと思われている資質すらもプラスに転じる方法を考えなくてはいけないのだろうな。


余談。

文中に、塩野さんが昭和12年生まれだということが出てきます。

うちの父は昭和11年生まれ。1歳しか違わない。

かたや学習院大学卒で、イタリア遊学。かたや定時制高校に通い、15歳から働いて家計を支える。本当は大学に行って学校の歴史の先生になりたかった父だけれど、お金もないし、その夢はかなわなかった。

同じ時代の同じ日本に生まれたのに、えらい違いだよなぁ。

父と同世代で、しかも女性で大学行って遊学して……って、「お育ちが違う」って感じだよね。別に、だからどうってわけじゃなくて、『ローマ人の物語』大好きだし、続きの『国家と歴史篇』も買っちゃうと思うんだけど。

えらい違いだよなぁ……。