(1巻の感想はこちら

いちいち1巻ずつ感想書くつもりなのかぁ! だって5巻全部読み終わってからだと最初の方の内容忘れちゃうもん。しょうがないじゃんね。

ってなわけではい、2巻です。

いやぁ、面白いですよ。

もうどうしよう、ってぐらい面白い(笑)。

2�巻で主人公(だよね?どう考えても)のウザ男ライスキー君はお祖母さん(本当は大叔母さんかな?ライスキーは彼女の姪の子どもらしい)の管理する自分の地所へと里帰り。

このお祖母さんタチヤーナ・マルコヴナが実にいい!

お祖母さんと言ってもけっこう若そうで、せいぜい60歳くらいなんじゃないかと思うんだけど(ライスキー君は30歳過ぎ。1巻で子ども時代のことが書かれてあった時に、お祖母さんはまだ40代ぐらいと説明されていた気がする。間違えてたらごめんなさい)、ピンシャンしてて、地所を自分でしっかり切り盛り、いわゆる「昔ながらの頑固婆さん」で、封建的専制君主として屋敷に君臨している。

孫はお祖母さんの言うこと聞いて当たり前、それなりの家系に生まれたからにはその家名を重んじ、財産を大事にし、持参金たっぷりの嫁をもらい、地域の名士達とは交流を欠かさず……。

ペテルブルクでふらふら芸術家の卵をやっている「今ドキの自由な若者」たるライスキー君はそんなお祖母さんとことごとく対立する。

地所はライスキー君のもので、お祖母さんは代わりに管理をしているだけ。「ちゃんとしたものを孫に残す」ことを生き甲斐にして日夜せっせと働いているお祖母さんは、帰省したライスキー君に「自分はこんなに一生懸命仕事してあんたの財産を守ってるんだよ」と示すために勘定書やら何やらを見せようとするのだけど、ライスキー君はもうまったくそんなことに興味がない。

「金輪際そんなもの僕に見せないで下さい」

「だってあんたのものじゃないか」

「僕にはどうだっていいんです。何だったら全部妹達(実際には遠縁の従姉妹)に譲りますよ」

ライスキー君はもう一つ地所を持っているらしく、妹に譲っちゃってもとりあえず食うには困らないらしい。

なんて羨ましい話だ(笑)。

「芸術家肌」を自認するライスキー君としてはそういう現実の日常世界のこまごまとした実務が面倒くさくてたまらないのだな。

地に足着けないで生きていたいと思ってるのに、お祖母さんが地上に降りろとうるさいわけ。

「なんて変わった子だろう!」とお祖母さんは嘆く。

ライスキー君は「どうして僕がお祖母さんの気に入るようにばかりしなくちゃいけないんです?お祖母さんが僕の気に入るようにしようとなぜ考えないんです?」などと言ってさらにお祖母さんの理解を超える。

「お祖母さんが孫の気に入らなくちゃならないだって!?」

一体誰のために私がせっせと働いてると思ってるんだい、という彼女に「それはみんなご自分の気に入るようにしているんで、僕のためじゃない」とライスキー君は言い放つ。

もうこの会話面白くてたまらないわ。

あまりにもありがちでしょう。

旧弊な親と、そこから飛び出して自由を得たい子ども。「お祖母さんと孫」だから、「親子」ほどのぎすぎす感、閉塞感はなくて、やり合いながらもどこかに温かみがあって、微笑ましい。

ちゃんと「お祖母さんは自分のためだけにやっているのではない。僕のことを本当に気にかけてくれている」ということをライスキー君が実感するシーンもあって。

お祖母さんも孫が自分にちゃんとお土産を買ってきてくれたってだけでめちゃくちゃ喜んじゃうし。

なんかホントに、「こーゆーことあるある」「わかるわかる」なんだよねぇ。

「家族」ってこんなだよなぁ、って。

この『断崖』は1869年に発表されているそうなのですが……つまり140年くらい前の作品で、舞台も遠いロシア。だからこそこんな「世代間の対立」も微笑ましく読めるのかもしれません。

現代日本を舞台にして、旧弊な親(あるいは祖父母)と対立する子、なんて話、かなりうっとうしそうやもん(笑)。

同時代のロシアの人々がどのように読んだのかは知らないけれども、今の私にはある種「ファンタジー」のように読めて、「異世界」だからこそすとんと腑に落ちる真実というか。

里帰りした村には昔なじみの友人レオンチーというのもいて。

またこの人の造型も秀逸なんだよなぁ。

いわゆる「学問バカ」というか、本さえあればいい、本に書かれていることにしか興味がない、といった感じなんだけど、「僕は田舎で教師をやれればそれでいい」っていう、不思議な「地に足着いた感」も持ってる。

みんな多かれ少なかれ空想にだまされていた。戦争をして、人類を亡ぼそうと思った男は、自分の村に帰る暇もなく(中略)そのままぼけてしまった。
…現にこのライスキーにしても、芸術家を志望し、相変わらず「今もなお情火を胸に抱いて」、ありとあらゆる書出しや、断片や、モチーフや、下絵や、大きな構想を作っているが、彼の名はまだ現われず、作品は世界を楽しませていなかった。
ただレオンチーだけが自分の念願を達し、教師となって田舎へ行った。
 (P102-103)

いやぁ、すいません(←ライスキー君を他人とは思えない生涯「作家の卵」な奴)。

レオンチーはライスキーと違ってもともと貧乏で、ただ本だけを友達にして生きて、「ライスキー君だけはたったの二度しか僕の髪を引っぱらなかった(=だからたった一人の友達)」っていうかなり哀しい人間関係、でもちゃんと「田舎の教師」になって、奥さんももらって、生活できている。

実はこの奥さん、身持ちが悪くてライスキー君にも色目使ったりするんだけど、でもそんなことには気づかない「本の中の住人」レオンチーは奥さんを心から愛していて、自分も愛されていると信じてる。

つまり幸せに暮らしているのだ。

こういうゴンチャロフさんの「人間に対するまなざし」がなんともいいんだよなぁ。

レオンチーは書物に気を打ち込んで、本より他には何も知らない学者、過去の、つまり理想的な生活、数学と仮説と理論と体系の生活を生活して、周囲を流れている現代の生活には気づかない学者の一人であった。
今ではそうした珍しい種類の人間は、現実の世界から姿を消している、いやほとんど消えてしまった。
 (P95)

私はそのような珍しい種類の人間でありたい(笑)。

何か事件を起こして保護観察のようなことになっているらしいヤクザ者マルクとライスキーのやり取りも非常に興味深い。マルクにはライスキーの「薄っぺらさ」が丸見えで、ライスキーは「何一つ“仕事”らしい“仕事”はしていないのに芸術家気取り」な本性をずばりと言い当てられて狼狽する。

そしてヴェーラ。

地所で“お祖母さん”タチヤーナ・マルコヴナに養育されるライスキー君の遠縁の従姉妹二人。二人とも美人で、妹のマルフィンカは天真爛漫、そして姉のヴェーラはなんとも落ち着いたというか、理性的なというか、ライスキー君にはまるで理解できない“神秘的”な女性。

美人を相手にするととたんにウザくなるライスキー、久しぶりに会ったヴェーラを質問攻めにして超うんざりさせる。

ライスキー「あなたの注意をひくには一体どうしなければいけないのです?」

ヴェーラ「私に注意しないことですわ。…私の留守中にこの部屋に入ったり、何が好きか、嫌いかなど詮索したりしないことですよ」

こんなにはっきり「ウザい!」と言われているのにライスキー君はまさかそんなふうに思われているとはつゆほども考えず、「俺の前では君なぞ小娘にすぎないことを立証してやるからね!」とか思ってる。

アホか!?

もうこの自意識過剰の芸術家気取りのプー太郎、どうしたらいいんですか(爆)。

こんなのを「兄」と呼ばなければならないヴェーラこそいい災難。

ヴェーラに半ば無視されてストーカーみたいになってるし、ライスキー。彼女の行動を逐一観察して、つけいる隙がないか狙ってるの。「兄」じゃなかったら犯罪者(笑)。

2巻の最後ではきっぱりはっきりヴェーラにそのことを指摘されます。

もうたまんないわ、この最後のヴェーラとライスキーのやりとり。

先日最終5巻が手元に届き、うっかり見開きの「あらすじ」を読んじゃってびっくりしましたが。この後そんな展開になるのかぁ…。

既に3巻に突入、どんどんと読み進んでおります。ゴンチャロフさんハラショー\(≧▽≦)ノ

(3巻の感想はこちら