(第1巻の感想はこちら、第2巻の感想はこちら

はい、第3巻です。

2巻の感想でもタチヤーナ・マルコヴナべた褒めしましたが、3巻でものっけから魅力全開!

もうホントに、「惚れてまうやろ~!!!」(笑)

村というか町というか、その辺り一帯で偉そぶってる感じ悪いおっさんがいるわけですね。勲章持ちだかなんだか知らないけど、町の人間も彼の部下の若いもんも彼の顔色をうかがって、お追従してるわけです。

おっさんはそーゆー周りのお追従に調子に乗って好き放題なわけですが、もちろんみんな陰では「困ったおっさんだよなー」と言っている。彼が賄賂で出世したこととか、姪の財産を巻き上げたとか、町の人間はみんなちゃんと知っている。

知っているけど、面と向かって言う人はいなかった。

どんな手段で手に入れていようと彼には相応の地位があって、「町の名士」ということになってたから。

が。

ライスキーが面と向かって言っちゃうんだなー。

ライスキーの家でちょっとしたパーティがあって、おっさんその他大勢の町の人間が集まっている場で、おっさんがある婦人のことをこき下ろす。婦人を目の前にしてね。

その婦人はこき下ろされても仕方ないような、若作りの色キチガイ的な、確かにこっちも困ったおばさんではあるんだけど、おっさんのいぢめ方があんまり度を超して不愉快で、場の雰囲気を壊しまくっていたのでライスキーはキレちゃう。

「あんた人のこと言えんのかよ!」

もちろんおっさんは怒る。おっさんもキレる。タチヤーナ・マルコヴナに向かって「こりゃどーゆーことだ!あんたの孫はどーなってるんだ!」と食ってかかる。

そこで彼女は。

「もう沢山だよ、ニール・アンドレイチ、馬鹿を言うのもいいかげんになさい!(中略)私は六十五年もタチヤーナ・マルコヴナと言われて来たんだよ。何が『何たることだ』さ」

もうこの後のセリフも最高に男前で、その場にいたら「ブラボー!」と叫んで彼女の首っ玉にかじりつきたいくらい。

ただの旧弊な専制君主じゃないんだよね、タチヤーナ・マルコヴナ。

孫の女の子2人のことだって、「いくらお金があって家柄が釣り合ってても、本人が嫌がるようなところへ嫁にはやらないよ」って。

もう既に4巻まで読み進んじゃってるんだけど、「新しい考え方」のすべてが良くて、「古い考え方」のすべてが悪いわけではない、っていうようなことを色々と考えさせられます。人間にとって「幸福な人生」というのは何なんだろうと……。

で。

3巻冒頭ではかっこよく「困ったおっさん」を追い出すライスキーなんですが、やっぱりヴェーラを相手にするとめちゃくちゃウザい(爆)。

ヴェーラが隠した手紙の主の正体を求めて、ヴェーラが誰に恋しているのか知りたくてたまらないライスキー。もうその言動たるや「血縁を笠に着たストーカー」以外の何者でもない。

ホントに迷惑この上ない「兄さん」だと思うんだけど、でも。

なぜか憎めない。

どこか微笑ましいというか、苦笑しちゃうというか。

誰にだってこーゆーとこあるのかもなぁ。自分のことはなかなか客観的に見られないもんだよなぁ、って。

妄想を暴走させてあれこれ思い悩んだり一人で泣いたり笑ったりお芝居してるライスキー。夢中になるともう寝ても覚めてもそればっかり。それが解決しないことには他のことは一切手につかないところ、覚えがありすぎる(マジ苦笑)。

“登場人物たちの振舞いとやりとり、その冗長とも言える描写にこそ、この長編の醍醐味がある”って表紙見返しのとこに書いてあるんですけど、いや、ゴンチャロフさんの人間描写は素晴らしいですよ。

冗長だなんて!

丁寧と言ってよ!!(笑)

マルフィンカとヴィケンチェフの婚約がなるところなんかもねぇ。うぷぷ。

……しかし第1巻ではヒロインかと思われたソーフィヤが全然どーでもいい“前座”だったのにはびっくりです。恐るべしゴンチャロフさん(爆)。

(4巻&5巻の感想はこちら