『断崖』が面白かったので図書館で借りてきた『平凡物語』。

いやー、これもなかなか面白かった。ゴンチャロフさん、会話がすごくうまくてぽんぽんぽんぽん弾むので読みやすいんですよねー。さくさく読み進んでしまいます。

田舎のお坊ちゃんアレクサンドルがペテルブルクに出てきて、実際家の叔父さんにけんもほろろにやっつけられる。そして最終的にアレクサンドルはロマンティックな空想から足を洗い、“大人”になってしまうんだけど、それを『平凡物語』と名づけてしまうあたりがまたね。

今この年になって読むと(笑)叔父さんの実際的で合理的な言説の方に大いにうなずいてしまうけど、20歳ぐらいの時に読んだらきつかったと思うよ。アレクサンドルには小説の才能がない、というのを証明するために叔父さんが自分の名前で知り合いの出版人に原稿を送って、その返事が返ってくるところとか。

ごめんなさい、すいません、わー、許してー!みたいな(爆)。

生活の糧を稼ぐことより情熱や愛情、理想を重視するアレクサンドル。自分には詩文をものする才能があると信じて疑わないアレクサンドル。ペテルブルクに出てきさえすればすぐにスカウトがやってきて有名になれると思っていたらしい、それぐらい具体的なプランは何もなく出てきたアレクサンドル。

他人とは思えません…。

物語はアレクサンドルが田舎の家を出立するところから始まります。田舎の領主の一人息子として、母親にかしずかれて育ってきたアレクサンドル。父はすでに亡く、息子に過剰なまでの愛情を注ぐ母親。田舎ならではの「何の役に立つのかわからないけど彼がいないと何にも始まらない」、よその家を渡り歩いてご飯にありつく男。使用人達の情緒。

良くも悪くものどかな“田舎”の情景が見事に描写されていて、「まぁこんな環境じゃアレクサンドルが夢見がちなお坊ちゃんに育つのも無理ないよな」と思えます。

当時のロシアの田舎も都会も知るべくもない現代日本の読者にも、ペテルブルクの“実際性”に戸惑うアレクサンドルの気持ちがすっと入ってくるようになってる。

でもやっぱり「叔父さん」の気持ちもすごーくよくわかって。

「叔父さん」と言っても、彼はずっと以前にペテルブルクに出てきてしまっていて、長いこと田舎に帰ったことはなく、アレクサンドルとは赤ちゃんの時に一度会ったかな、ぐらいの仲。

なので「うちの息子をよろしくお願いします」といきなり兄嫁に書いてこられても「また厄介なことを」としか思えない。

肉親の久々の再会だというのに首っ玉に飛びつきもさせてくれない「叔父さん」にアレクサンドルは戸惑い、「冷たい」とか「僕のこと嫌いなんだろうか」などと思ったりするんだけど、“都会”の常識でいえば顔も覚えていない相手にいきなり抱きついていける方が逆におかしいというようなもので。

「よろしく」といきなり息子を頼んでくるお母さんもすごくて、当の「叔父さん」の生活状況を知りもしないで、当然一緒に住まわせてくれたり、職の面倒を見てくれたりするものと考え、「あなた方は同じ部屋にお休みになるでしょうから、夜中に息子が呻いていたら十字を切ってやってくださいね」と頼んだりする。

「叔父さん」が「おいおい、マジかよ」と思うのも無理からぬこと。

あー面倒だ厄介だ、と思いながらも「叔父さん」は亡き兄と兄嫁が自分をペテルブルクに送り出してくれた時の光景(その時アレクサンドルは3歳だったらしい)を思いだし、アレクサンドルを追い返さずにちゃんと迎え入れてやるのだ。

いい人だよねー、「叔父さん」。

ホント、なかなかできるこっちゃないと思うよ。「血が繋がっている」というだけで、自分とは正反対のめんどくさい生きものの世話をちゃんとしてあげるんだもの。

感情過多でいちいち「聞いてください、叔父さん!」と激昂してやってくるアレクサンドルにそれはそれは事細かに、“ものごとの理路”を解き明かしてくれる。

普通だったら途中で匙を投げちゃうよね。

「もう勝手にしろ!」って。

愛と理想と勇気に燃える若者には「叔父さん」の「世渡り上手な理屈」は到底承服できないものなんだけど、でも「叔父さん」の「口八丁」は相当なものなので、結局言い負かされてしまう。

「叔父さん」の頭の回転の速さというか、理屈の通し方にはホント、惚れ惚れしちゃう。

アレクサンドルは「久しぶりに会った友達が素っ気ない、水くさい」と言っては怒るし、女の子に入れあげて仕事(叔父さんはちゃんとアレクサンドルに官職をあてがってくれた)を疎かにするし、挙げ句その女の子を他の男に奪われ、「決闘だ!」と息巻く。

「決闘も何も、おまえに魅力がなかっただけだろ」という「叔父さん」の理路整然とした宥め方(?)にはホント苦笑。

そーなんだよ、別に相手の男は悪くないんだよ。あんたが彼女の心を繋いでおけなかっただけなんだから。

認めたくないものだな、自分自身の、若さゆえの過ちというものを(フッ

そうかと思うと二度目の恋ではアレクサンドルの方が突然醒めてしまう。

あんなに夢中になっていたのに…と情熱や恋愛至上主義へのアンチをわが身で証明してしまうアレクサンドルは人生そのものに情熱をなくして無為徒食の生活を送るようになり。

二度目の恋がふつっと醒めるところの描写もうまいんよね、ゴンチャロフさん。

二人は耐えず幸福を味わい続けていた。知り尽くした既成の享楽をすっかり使い果たすと、彼女は新しい享楽を考案して、そうでなくても満足あふれる二人の世界に変化をつけるようになった。ユーリヤはこうした発見にかけてどれだけの天分を発揮したか分からない、しかしその天分も底をついて来た。千篇一律になりかけ、もう何ひとつ望むことも、味わうこともなくなった」 (下巻P156)

アレクサンドルは情熱的で嫉妬深くて、恋に落ちると周りが見えなくなって「二人だけの世界」に籠もって惚れた腫れたと愛情捧げまくり・受けまくりになるんだけど、いくら好きだってあんまり長いこと二人きりでいたら飽きるに決まっている。

二人で行かない場所はなくなり、二人で一緒に見たことのない芝居もなくなり、一緒に読んで意見を戦わせる本もなくなり…。「二人きりで一緒に為すべき」目新しいことが何一つなくなってしまうと、

「恋のため彼の生活は一つの磁力圏にとじこめられていたが、その磁力圏がところどころ破れ、彼の眼には遠くの方に友達の顔や、いろいろな放埒な遊びや、美人の群がっているきらびやかな舞踏会や(中略)などが見えてきた」 (下巻P157)

そんな「閉じた世界」にいたら早晩息苦しく、また退屈になってくるに決まってるんだけど、困ったことに「それが恋」というもので、自ら喜んでその「磁力圏」を作り出してしまうのがロマンチストなアレクサンドル。

途中で「叔父さん」が結婚して、アレクサンドルの若き「叔母さん」になるリザヴェータ。(実際的で恋と結婚は完全に別物と心得ている「叔父さん」は若くて美人のお嫁さんをもらうのだな。アレクサンドルとは数歳しか年が違わないみたい)

「彼女(リザヴェータ)は甥と夫の恐るべき両極端を目撃していた。一方は気も狂うほどのぼせ上がり、もう一方は残酷なまでに冷淡なのだ」 (下巻P19)

まったく、大切なのはバランスなのだけども。

自身で「恋」に醒め、「値打ちがある」と信じていたものの脆さを身を以て体現したアレクサンドルはまたまた極端にも「人生なんて無意味だ!」という心境になったあげくとりあえず田舎に帰って、そこで少し持ち直して「ペテルブルクの実際的な喧噪」に再び触れたくなり、都会に戻った4年後にはすっかりただの「俗物」になって、持参金たっぷりの娘と愛のない結婚をすることを自慢げに「叔父さん」に報告しにくる。

「どうしてそんなふうになっちゃったの…」と叔母さんリザヴェータはアレクサンドルの変わり様を哀しむんだけど、ホントにどうしてそう両極端から両極端へ走らずにいられないのか。

「中庸」というのはかくも難しいものなのでしょうか。

アレクサンドルが夢想を捨て実際家になる一方、「叔父さん」は妻のために職を辞して保養の旅に出ることにする。叔父さんは決して妻に「惚れた腫れた」の情熱を持っているわけではないのだけども、妻がなぜ鬱病のような様子になってしまったのかはちゃんと理解するし、彼女と、彼女の夫である自分の人生を救うためにそれまで何よりも優先してきた「仕事」をなげうつのだ。

「ピョートル・イワーヌィチ(叔父さんのこと)は善良であった。だから悪かった埋め合わせをするためなら、妻への愛情のためではなくても、正義感から言っても、どんなことでもしてやりたかったが、ただ問題はどんな風に埋め合わせをつけるかだった」 (下巻P377)

それは「加害に対する埋め合わせ」という実に合理的な、損得勘定的な動機なのだけども、でも「善良であった」なんだよ。リザヴェータにとって、また多くの女性にとって、「正義感だの善良な合理判断だの」で大切にされるのは「愛」によるそれよりつまらないものだろうけど、でも、それじゃあ「愛」って何なのか。

「叔父さん」には本当に「愛」がないのか。

アレクサンドルの盲目的な熱情は「愛」だったのか。それは彼も、彼の「愛した」女性をも「幸せ」にはしなかった。少なくとも、その「幸せ」はまったく長続きしなかった。

そしてこれが「平凡物語」というのですからね、まったく!

ゴンチャロフさんにとってこの「平凡物語」はいわゆるデビュー作でありまた出世作であるのだけど、「断崖」で描かれたライスキーは「夢想家のままでも人生と折り合っていけるのかもしれないよ」というある種の「答え」なのかもしれない。

「平凡物語」では揶揄されるばかりだった田舎の生活はライスキーのお祖母さんタチヤーナ・マルコヴナによって「古くさいだけではない美しさ、実際性」を与えられるし、その田舎の家族という「根っこ」を持つことによって、ライスキーは最後までふわふわ空想家なまま人生を渡っていけちゃうという…。


となれば是非間に挟まる「オブローモフ」も読みたいところなんだけど、上巻が絶版状態。図書館で旧版を借りるしかないかなぁ。