断崖』『平凡物語』と読み進んできたゴンチャロフさんの作品、いよいよ『オブローモフ』に突入です。

上巻が絶版状態で手に入らないため(中・下巻は入手可能)、やむなく図書館で借りてきました。1976年改版第1刷。ページの黄ばみがなんともいい感じです。カバーなしの岩波文庫、しかも古くて黄ばんでるのを部屋の隅で読んでるとものすごく「文学少女」な気がして、うっとりします(笑)。

冗談はさておき。

主人公イリヤー・イリッチ・オブローモフ君がいわゆる「ひきこもり」ということは承知していたのですが。

いや、ホントすごいです。

ずっと寝てるんだもん。寝台に寝そべって、「もう起きなきゃ」って言いながら全然起きない。「あ、もう10時か」「大変だ、11時じゃないか」「あれ、お昼になっちまったぞ、何か食べるもの持ってこい」みたいな。

お客さんが来ても寝台で応対。

体は起こすけど、顔も洗ってなきゃ着替えもしてないよね。

まぁ客の「友達」の方もわかってるみたいだからいいんだけどさ。

一応貴族(領地持ち)のお坊ちゃんで、今はザハールという下男とともにペテルブルクのアパートで暮らしている。部屋は埃だらけで「もっとちゃんと掃除しろ!」とオブローモフはザハールを叱るのだけど、ザハールは「旦那様が四六時中寝てるんだもん、掃除なんかできっこないじゃないですか。1日どっか出かけててくださいよ、そしたらその間にしっかり掃除しておきますから」と答える。

ザハールはザハールでそうそうマメな働き者でもないから、果たして旦那様がずっと寝ていることだけが「掃除をしない理由」なのかどうか怪しいのだけど、でも理屈としては確かに旦那様が寝ているそばで箒やら「はたき」やら雑巾やらは使いにくいよね。

で、オブローモフは「1日出かける」なんて考えられないし、ちょっと他の部屋へ移っておく、さえもがおっくうなようで、結局部屋はろくに掃除されないまま……。

そして訪ねてきた友達が毎日あちこち駆け回って、これからこの後も10カ所ほど回らなくちゃと言って帰っていくと、「1日に10カ所もだって!可哀想に!」と思うのだ。

彼は仰向けにくるりとひっくり返って、自分はそんなくだらぬ望みや考えを持っていないから、あくせくと苦労することもなく、人間としての品位と安静を保ったまま寝そべっていられるのだと、心うれしく結論をくだすのであった。 (上巻p45-46)

って、おーい(笑)。

いや確かに、あくせくしないでいいように、楽できるようにと人間は世の中を進めてきたはずだけれども。それで暮らしていけるなら万々歳じゃないか、とは思うけど。

でも。

日がな一日寝ているばかりのオブローモフを見てると落ち着かない、「あらあら」という気分になるのは何故なのかしら。

「人間としての品位と安静」って、いったい何?

オブローモフは領地持ちで、働かなくても領地からの収入がある。でもその収入も必ずしも潤沢というわけではなく、管理を任されている百姓頭から「不作その他で今年の収入は減ります」などという手紙が送られてくる。

その手紙はオブローモフにとっては悩みの種だし、「領地の経営」についてちゃんと考え、改革していかなくちゃ、とオブローモフはずっと思ってはいる。

思ってはいるんだけど、実際には彼は領地を自分の目で見ようともしないし、改革案を考えてるうちに「素晴らしく経営されて悩みもなく妻や子どもに囲まれ幸せに暮らしている未来」まで一足飛びに夢想してそのまんまおやすみさーい。

オブローモフぇ……。

今でこそ「引きこもって寝台から動かない」オブローモフ(ちなみに年は30くらい)だけれども、ペテルブルクへ出てきた頃はもちろん役所勤めもしていた。

『平凡物語』で田舎の領地から出てきた主人公がびっくりしたように、オブローモフもまた「都会」へ出てきて驚いた。20年近く田舎で家庭的な、のんびりした生活を送り、「仕事」といえば父がしていたような「収入や支出をゆっくり閑と帳面に記入する」ことぐらいしか想像できなかった彼。

彼の考えでは、同じところに勤めている官吏同士は一つの親密な家族を形成し、お互いの安静と満足ということばかり寝ても醒めても考えているものであり、したがって役所通いも必ずしも毎日厳守しなければならぬ義務的な習慣ではなく、冬の霙や夏の炎天や、それどころかたんに気が向かないということだけでも、常に充分かつ正当な欠勤の口実となるはずなのであった。 (上巻P119-120)

いや、わかる。わかるけど(笑)。

うちの弟も「雨降ったら学校休み」とか言ってたし(爆)。

ところが、あにはからんや、健康な官吏が勤めを怠るためには、少なくとも地震かなにか無くてはならないということが分かったとき、彼の落胆は並大抵でなかった。しかも、わざと当てつけたように、地震なんてものはペテルブルクにはないのであった。 (上巻P120)

日本には地震あるけど、まぁめったに休みになんかならないよ。それどころかお役所だったらいっそう忙しくなるんだよ。今度の東北大震災なんて、被災地の公務員の方々は自分も被災してるのに寝ずに働いてらっしゃるよ。

まぁ、「人間としての品位と安静」的に、大雨洪水警報が出ても勤めに行くのが正しいのか、ラッシュでぎゅう詰めの中、片道1時間以上かけて勤めに出るのが正しいのか……色々考えさせられはするのだけど。

結局オブローモフはちょっとした失敗をしたことがきっかけで役所勤めをやめてしまう。

社交界も彼を引き留められはしなかった。彼は家から出なくなり、そして家で何をしているのかというと。

何もしていない。

読書、執筆、勉強というようなものは彼の気を引かなかった。

『いったい生活らしい生活はいつするというのだろう?』こう彼はまたしても自問するのであった。『それにまあいつになったらこれだけの知識のストックを活用するのだ?その大部分はまだ何一つ実生活に必要がないじゃないか。たとえば経済学にしても、代数にしても、幾何にしても、こんなものオブローモフカ村では何ともしようがありゃしない!』 (上巻P130)

オブローモフカ村(彼の領地)でののどかすぎる暮らしは「オブローモフの夢」という章で詳述されるのだけれども、なるほどあんな生活を送り、父母に溺愛され、靴下一つ自分では履かせてもらえない、子どもらしく外に駆けていくこともできない(「坊ちゃんが怪我をしたらどうするの!」)、そんな「籠の鳥」な育ち方をしてきたのであれば、今彼がこんなふうに「引きこもり」になってしまっているのもむべなるかな、という気がしてしまう。

オブローモフカ村での『生活らしい生活』というのは要するに「食っちゃ寝食っちゃ寝」、合間に親戚知人とのどうでもいいおしゃべり、なのだもの。

そして本当に、それこそずっと人間が夢見てきた「楽な暮らし」なんだろうもの。

もちろんそれは「貴族」という制度あってのことで、彼らの代わりに「農奴」が働いてくれているわけなんだけれども……。

でもたとえばオブローモフ家で旦那様方に仕えている下男下女たちは、ゼータクはできない代わり、動いていなきゃならない代わり、ある意味「生活は安定」していて、「自分達はそーゆーもの」と疑いも持たず、けっこう「幸せ」なのではないかと思ったりもするのだ。

格差とか階級とか、そりゃないにこしたことはないけど、すべての人間が同じくらいに金持ちになるのはおそらく不可能な以上、ある「枠組み」の中でその成員達がのどかに日々を過ごせているのなら、それは「悪」とは言い切れないのじゃないか。

オブローモフの下男ザハールは旦那様の引きこもりっぷりに困っているし、色々悪態もつくし、旦那様のお金をくすねたりもするけど、それでもやっぱり旦那様という「存在」そのものに対する尊敬の念、忠義の念は彼のうちにしっかりと根を下ろしていて、「その下男でない自分」などというのは想像もつかない。

この辺のゴンチャロフさんの描写、人間観察は素晴らしい。

そう、主人公がずっと寝っ転がってて特に何か事件が起こるでもないのに不思議と退屈せず読めちゃうんだもん、すごいよ、ゴンチャロフさん。

で。

オブローモフには「百姓頭からの手紙」の他にもう一つ難題が降りかかっている。それは「アパートからの立ち退き」。大家さんから「アパートをリフォームしたいから立ち退いてちょーだい」と言われているのだが、引きこもりで変化を嫌うオブローモフにとっては「引っ越しだって!冗談じゃない!!!」というわけで、ザハールが「どう返事したらいいですか?」と言うたび「その話はするな!」と怒り出す。

「その話はするな」ったって、ザハールはザハールで「立ち退くように」と大家さんから催促されてるわけで、どうしようもないんだけども。

だからザハールはつい「ほかの人たちだって別にこちとらに劣るわけでもねえのに、みんな引っ越しているもんだで、わしらだってできるだべと思って…」(上巻P183)と言ってしまう。

この「ほかの人たち」という言葉にオブローモフは烈火の如く怒り出す。「おれはおまえにとって『ほかの人間』と同じことなんだな!」

いや、だから旦那様、そーゆーことじゃのうて…。

この後オブローモフは憐れなザハールに向かって自分と「ほかの人達」がいかに違うか、いかにおまえ(ザハール)は主人を侮辱したか、ということを懇々とわめくのであるが。

曰く、

おれは生まれてこの方、一度も自分で自分の足に靴下をはめたことがないんだぞ、有り難いことにな!(中略)おれが華奢に育てられてきた人間で、寒いひもじい目もしたことがなく、何一つ不自由を知らず、食うために稼いだこともないし、総じて下等な仕事は一切しないってことをさ。それなのに、どうしておまえはよくもよくもこのおれを、ほかの連中と引き較べるなんて真似ができたんだ? (上巻P192)

……自分で靴下履いたことないとか自慢するなよぉ(´・ω・`)

まぁでもそーなんだ。確かに彼は「その通り」に育てられてしまって、そーゆー育ち方をしたのは何も彼のせいじゃないんだ。

そしてさんざんザハールを怒鳴りつけたあと、彼自身「どうしておれはこうなんだろう、どうしてほかの者達みたいにできないんだろう」と羞恥と悔恨と葛藤を覚えたりもするのだ。

「ほかの者たちと自分が違っている」ことは彼自身じゅうじゅう承知しているから、だからこそザハールが不用意に言った「ほかの人達にできることがなぜできないのだ?」という言葉が激しく彼の胸に突き刺さる。

葛藤はまったく長続きしないし、「ちょっとでも頑張ってみよう」「(たとえば)思い切って引っ越しを考えてみよう」などというふうにはちっとも行かないのだけど(いびきかいて寝ちゃうんだもん、オブローモフぇ)。

『平凡物語』でも「都会になんか出てこないで、ずっと田舎にいれば良かったんだ」ってアレクサンドルは言われちゃうけど、実際オブローモフもずっと田舎にいたらそれなりに“普通に”生きていけたかもしれない。

オブローモフには何かと世話をしたり忠告をしてくれる“叔父さん”はいないし、「故郷のお母さんはどう思うか」というふうに振り返る父母ももういない(彼がペテルブルクに出てきてわりとすぐに亡くなってしまったもよう)。

もしも彼を溺愛し甘やかした「お母さん」が生きていたら、彼も重い腰を上げて「故郷への大旅行」を決行したかもしれないし、「このままじゃダメだ」と自分を叱咤できたかもしれない。自分以外に誰か、安心させたり、面倒を見たりしなきゃいけない相手がいたら。

上巻は、唯一オブローモフを「外」に連れ出すことができるという“親友”シュトルツがやってきたところで終わる。

さてこの後オブローモフは「外」に出るのだろうか?

(中巻の感想はこちら、下巻の感想はこちら