タイトルだけは知っていた竹宮惠子さんの有名な作品。

読んだことがありませんでした。

竹宮作品って、実はあんまりちゃんと読んでないのよね。『風と木の詩』もちょこちょこっとしか読んでないし、『地球へ…』も読んでない。まともに読んだのは「LaLa」に載ってた姫くんのシリーズくらいな気がする。

図書館にあるのでずーっと気になってたんだけど、先日ついに借りてみました。マンガのある図書館っていいわね(笑)。

「愛蔵版」的な感じの大きめの版で全6巻だったんだけど、重いので最初2冊だけ借りたらあっという間に読んじゃって「早く続き!」(爆)。残り4冊はいっぺんに借りて、当然これもあっという間に読了。

いやー、マンガってホントにいいもんですね(笑)。

30年くらい前の作品だと思うけど、昔の少女漫画はスケールが大きくて、読み応えあるねー。いや、まぁ、「昔の少女漫画」というか、竹宮女史が素晴らしいわけだけど。

「今の少女漫画」読んでないからホントは比較するのもおかしいし。

とある星のとある大陸に「イズァローン」という国があり、そこにティオキアという王子と、ルキシュという二人の王子がいた。

ティオキアは現王の子ども。ルキシュは前王(現国王にとっては兄にあたる)の子ども。だから二人は従兄弟同士で、本人達は兄弟のように仲良く育ち、互いを愛していたのだけど、周りは二人が睦まじくすることを望まない。

二人の王子のどちらが王になるか、臣下達にとっては大問題なわけだから。

そしてティオキアは「王子」といっても未だ「両性体(プロトタイプ)」。この国の人々は両性体で生まれてきて、次第に性が分化していくらしいのです。大抵は10歳くらいまでに男か女かになってしまうのだけど、ティオキアは15歳過ぎてもまだどっちつかずの雌雄同体。

で。

大陸にはかつて「イズァローン」という同じ名前の国が繁栄していたのだけど、500年ほど前に突然滅びたと言われている。他の星からもたらされた「魔」によって平和で美しかった古代イズァローンは戦乱と血にまみれ、「このままでは」と思った8人の導師によって封印されてしまったのだ。

今の「イズァローン」や他の国に住む人々はそんな「古代王国」のことはほとんど知らずに生きているのだけど、遺跡は残っていて、不思議な術の使える「導師」がいたり、「魔女」と呼ばれる人々がいたり、鹿に姿を変えて生きている一族がいたりします。

現イズァローンからイシュカという別の国へ「人質」として差し出されたティオキア王子はそこの遺跡で封印された「魔」を解放してしまい、「魔王」となってしまいます。

「魔王」としての意識と、本来のティオキアとしての「優しい少年(というか、少女でもあるんだが)」としての意識の拮抗。その「魔」の力でもって逆に「救世主」と崇められていくティオキア。

一方で、ティオキアは死んだものと思われ、戦で現王も亡くなり、17歳くらいの若さで王位に就くことになってしまったルキシュ。

ティオキア派の家臣からはもちろん、自分派の家臣からも若さゆえに侮られ、政略結婚で嫁いできた「魔女」の一族の姫君フレイアに惚れるものの「私に触れないで!」と拒絶される可哀想なルキシュ。

決してルキシュも平凡な子どもではなく、頭もキレれば性格だって決して悪くはない、でもその若さと「王」という地位が彼を苦しめ孤立させる。

ティオキアの側の話よりルキシュの側の話の方がずっと面白いんですよねー。

フレイアの一族の謎、ひいては古代イズァローンの謎、前王と前王妃の謎、ティオキアの出生の謎……。

ページを繰る手が止まらない。

ただ、途中がものすごく面白かっただけに、決着のつき方には少し肩すかしというか、「あれ?」という感じも。

「魔」と「人」との闘いがテーマなんだけれど、結局それはティオキアが自身を乗っ取ろうとする「魔」の力に勝てるか、「人」としての心を保ち続けられるかという、ティオキア一人の背中に負わされてしまっていて。

周りの人間も自分の中の「魔」=「影の心」に惑わされず、ティオキアを愛し支えることで間接的に「魔」と闘うことになるんだけど……あまりに間接的すぎる……。

最終的にルキシュと、ずっとティオキアに付き従っていたカウスの「愛」、その二人へのティオキアの「愛」が「魔」に打ち勝ち、世界を救うことになる。

この、カウスという人が、すごいのだな。

まったくぶれない。

最初から最後までずーっとティオキアを愛し、支え続ける。「魔」が表に出てきた時のティオキアにはイライラし、怒りながらも、「王子は王子だ」「全身全霊を懸けて王子を守り抜く」と「人としてのティオキア」がそこにいることを疑わない。

時に消えそうになるティオキア本来の心を、彼だけはそのぶれない信頼と愛で呼び戻すことができる。

なんという強さ。

あんまり強すぎてドラマが生まれないくらい。

葛藤とか揺らぎとかないんだもんなー。その王子への愛は一体どこから来るんだよー、と不思議に思ってしまうほど。

彼は「無私」だから「魔」につけいられない、彼の愛は本当に相手のことだけを考える「愛」、なんてふうに他の登場人物が評するんだけど、ある意味人間離れしてるよね、カウス。

揺らがずにおられないのが「人」だもの。

最後も「たとえあなたが鬼でも蛇でもあなたを愛している」と、それだけを支えに「ともかくわたしは歩いてゆけばいいのだな」とたった一人歩を進めていく。

天晴れだ、カウス。

カウス伝説。


どこの星の話やら、というふうに描かれている一方、「地球の歴史」をイメージさせる絵もたくさん描かれている。

民衆に「救世主」と崇められるティオキアが領主達の敵として十字架にかけられる(火刑になる)のも誰かさんを彷彿とさせるし。

そして「魔」と「人」との闘い以上に、「魔」とどう付き合っていくか、が真のテーマなのだろうと思う。

「強い魔を払うと人間は塩になってしまう」とか、「古代イズァローン人は魔に免疫がなかったので」とか、「退けるだけでは魔を抑えることにはならない」とか。

光があれば影がある。

人の心の中には善もあれば悪もある。

その「悪」を、「魔」にたぶらかされる弱い心を、「ないもの」としても始まらない。

男でも女でもあるティオキア。人でもあり魔王でもあるティオキア。

どちらかが一方だけでは成り立たない世界。


……でもやっぱりそれがティオキア一人にかかっているのがなー。そういう運命を背負わされて生まれてくるってゆーのがなー。ルキシュは孤独に耐え王の重責にも耐え成長していくけど、ティオキアは最初から「その器」で、「魔王」としてはどんどん成長していく(使える力がどんどん強くなっていく)けど、「人」としては生まれた時から出来上がってるぽい。

だからこそ最初から彼に惹かれているカウスはどんなに魔王の力が強くなっても「私の王子」として愛してやまないわけで。

そんな、いわば「最初から完成されたようなすごい人」が生まれてこなければ世界が救われない、ってゆーのはちょっとなー。凡人としては抵抗したくなる……。


次は『ファラオの墓』借りてこよ。