2011年12月2日金曜日

『装甲騎兵ボトムズ 孤影再び』/高橋良輔



読みました。

なんか、せつなかった。

キリコ可哀想……。

物語は『赫奕たる異端』の3ヶ月後。ゴウト、バニラ、ココナが商人として成功を収めている自由貿易都市グルフェーにキリコがやってくる。

『赫奕』の時はバニラ達は出てこなかったので、コールドスリープから目覚めたキリコと3人が出会うのはこれが初めて。『赫奕』でのマーティアル教団とキリコとの対立、俗に「アレギュウムの赫い霍乱」と呼ばれている事件のせいで教団の権威が落ち、教団によって庇護されていたグルフェーの「自治独立」も揺らぎ、その権益を狙う軍属によって街へ続く道路を封鎖されてしまっている。

その「外の脅威」に対して「戦うべきだ!」と若者達を扇動する人間がいて、バニラとココナの次男もその扇動に乗せられてしまっている。

千年続いたグルフェーの「自由と尊厳」が岐路に立たされているところに「触れえざる者」キリコが現れたことでさらにバランスが崩れ、またグルフェーの律法院に請われて教団の「秩序の盾」テイタニアが、彼女の従者としてロッチナまでもがグルフェーに……。

まさに「役者は揃った」という感じ。

でも途中までは意外と『ボトムズ』だってことを意識しないというか…、うーん、いや、もちろんテレビシリーズや『赫奕』を知らないと「何のことやら」という作品だとは思うのだけど、戦争に明け暮れる世界の中で「自治独立」を守ってきたグルフェーが「これまでと同じようには行かなくなる」様子、「今まで」を守ろうとする「大人達」を「既得権益にしがみつくだけで行動しない年寄り」だと見る「若者達」、っていうのが、なんかこう、「普遍的」なテーマのような気がして。

そこにキリコやバニラ達が絡むからこそさらに面白くなるわけだけど、

「あんたたちは戦争のない世の中を求めてカプセルに入った。あたい達も同じだったんだ。あたい達も戦争のない場所を探して探して、ここに流れ着いたんだ。(中略)ここはあんた達のカプセルと同じさ。だから、怖いんだ。このカプセルがこじ開けられるのが」 (P81~P82)

なんていうココナのセリフを読むと、「ああ、人間ってやつは―」と思ってしまうんだなぁ。

そしてそんなココナ(親)の気持ちも知らないで、実は「外の脅威」と通じている偽のリーダーの扇動に喜んで乗ってしまう子ども。

確かに若者達も街の明日を考えていたのだ。だが、その明日そのものが来ないこともあるとは若者の多くは考えない。 (P202~P203)

「別に信じなくてもいい。ただ言っておこう。諸君は自分の親より口のうまい毒蛇の言葉を信じたのだ」 (P206)

「年を取って守るべきものができて、昔のような無茶ができなくなった」みたいなことをバニラが言うんだけど、それって決して悪いことじゃないよなぁって、同じように年を取ってしまった私は思ってしまう。

若者が「現状維持」を打ち破ろうとする、その「変革への力」はもちろん大事だけど、でも今の幸福を守りたいと思う大人達だって……。

グルフェーを封鎖する軍属はキリコを差し出せと街に迫る。その要求を呑むことは街の「自由と尊厳」を譲り渡すことで、でも呑まなければ相手は攻撃を仕掛けてくるかもしれない。立ち向かう軍備など街にはない。

自由を取るか、命を取るか。

どう振る舞うのが正しいのか。もっとも損害の少ないやり方は何か。

実のところ外の軍隊はグルフェーに乗り込む口実ができるのを待っているわけで、「その挑発に乗ったら負け」なんだけども、相手が根負けするのをただ待つなんて、若者にはできかねるよねぇ。

そういう政治的な駆け引きの部分がじわじわと面白い。

そしてもちろん、「触れえざる者」キリコに惹かれて、膠着状態を狂わせてしまう人々も。

人間って、「奴は決して死なない」とか言われると、本当かどうか試してみたくなるもんなんだねぇ。別にキリコは何を企むわけでも、攻撃してくるわけでもないのに、ちょっかいをかけずにいられなくなる。

人間って、馬鹿だなぁ。

静かにひっそり生きようとしても許されないキリコ。好きで「異能生存体」なんかに生まれたわけじゃないのに放っておいてもらえないキリコ。だから愛するフィアナと静かに「永遠の二人ぼっち」をしようとカプセルに入ったのに、やっぱりそっとしておいてもらえず俗世に連れ戻されたキリコ。そして。

フィアナを失ってしまったキリコ……。

ココナがテイタニアに向かって「キリコは強くない。強くないのよ」というところ、うるうる来たよ。いい女になっちまったじゃねぇか、ココナぁ(T_T)

「造られた存在」であるテイタニアも可哀想だけど、でもやっぱりキリコの「孤独」がたまらなくせつない。

テイタニアに対するキリコの優しさ、それ以上に胸を打つ、キリコのフィアナへの想い――。

なんかこう、全体に、じわぁ、と来る。

「面白かった!」って手放しで言うんじゃなくて、「嗚呼…」ってこう、地味に浸みてくる感じ。

『赫奕たる異端』の時、フィアナもまたテイタニアに向かって「キリコを愛してあげて」と言った。私、フィアナは好きじゃないんだけど(笑)、でもフィアナもやっぱり「いい女」だったんだよなぁ。感情を排されてあるはずのPSなのに、そんなにも細やかにキリコを愛してたんだなぁ。キリコに出逢ったからこそただの戦闘兵器ではなく「一人の人間」「一人の女」になれたんだろうけど。

しかし考えたらなんでPS1号を女で造ったんやろ。戦闘兵器ならまず男で造りそうなもんなのに…。それもワイズマンの策略なのか。

どこまでが仕組まれて、どこまでが自由意志なのか。

たとえ全部仕組まれていたとしたって、キリコとフィアナの出会い、キリコとココナ達の出会い、全部、「会えて良かった」ことに違いはないと思うけど。

キリコがグルフェーに来た理由がフィアナなら、『幻影篇』でサンサにいたのも同じ理由だったのかな。

半身をもがれて一人取り残されたキリコには、「神の子の養育」という「当面の生きる目的」ができたのはいいことだったのかもしれない。付録の高橋監督と郷田ほづみさんの対談の中で、監督が「キリコの男としての物語は終わって、次は父としての物語が」なんておっしゃっているのだけど、うーむ、やっぱり「続き」が見たくなりますなぁ。

特殊な宿命を負わされたキリコ。でも人は誰だって、好きで「そんなふう」に生まれてくるわけではなくて、周囲からの「ちょっかい」と無縁ではいられなくて。

帯に「OVAとは別展開を見せる」と書いてあるので、OVAも見たいし、『赫奕たる異端』ももう一回おさらいしたくなったし、そんなこと言ったらテレビシリーズも…(キリがない)。

テレビシリーズ、ちょっと前にアニマックスで放送してくれたから全部見たんだけどね。なんか、あんな話を打ち切りもせず1年間放送してくれたって、昔のスポンサーは太っ腹だったな(笑)。

面白いけど、こう、何がどう面白いのかちょっと説明できないような作品じゃない? 「なんかわかんないけどすげぇ!」っていう。

今だからこそ「ワイズマンがどう」とか「異能生存体がどう」とか言えるけど、テレビシリーズ本編は最後の最後までそんなことわかんないんだから。

リアルタイムで見てた時はホントに「えええ、これそーゆー話(神殺し)だったの!?」ってびっくりしたもん(笑)。

多感な時代に『ボトムズ』という作品とめぐり逢った幸せ。30年経ってまたキリコ達に逢える幸せ。

かみしめております。

2 件のコメント:

  1. ��V版(1983年)のオープニングテーマ「炎のさだめ」の歌詞に”そっとしておいてくれ”って
    あるけど、OVA『幻影篇』全話観たらもういいかげんにキリコをそっとしてあげて欲しいと思う。外伝なんて個々人の頭ン中でいくらでも紡ぎあげりゃいいんだからさ

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  2. ��立山川水さん
    コメントありがとうございます[E:happy01]
    「そっとしておいてくれ」
    本当にそうですね。
    キリコ本人がひっそり生きようと思っても、周りがそれを許さずちょっかいをかける。
    キリコにとっては迷惑この上ない。
    「神の子」を手に入れてキリコはこの先どう生きるのかなとどうしても続きが気になってしまうけど、テレビシリーズ以後のお話は蛇足と言えば蛇足ですよね……。

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