先日Twitterで、「搾取される感じがするものはとにかくもう嫌なんですよ」というtogetterまとめが話題になってました。

「年寄りや失業者に搾取されるのはもう嫌だ、俺の金を他に使うな!」というようなことを大学生の方が言っているのですね。

大学生ってことはまだそれほど税金や年金を払ってないんじゃないか、と思ったりもするんですが、この先否応なく「高齢世代を支えさせられていく」のはまぁ自明なわけですし、そうやって「搾取」されて、いざ自分が年寄りになったらもう全然年金もらえない、というのもかなりはっきりしている。

「嫌だ!」と思うのも仕方ないと思います。

今二十歳ぐらいの人って、物心ついた時から「少子高齢化」って言われてきて、「このままでは年寄りを支えられなくなる」ってずーっと言われてきて、でも全然その状況が好転しないどころか悪くなる一方で、不景気も悪くなる一方で、でも大人は「景気さえ良くなれば」ってずーっと問題を先送りして、子ども達の未来の資産を「借金」という形で食いつぶしてる。

そんな、「騒ぐだけで何もしない・出来ない」大人達をずっと見てきて、その大人達のために税金や年金や医療費を負担させられてるって思ったら、キレない方が難しい。

「少子高齢化問題」の扱われ方って、どう見ても「俺たちの老後を養う頭数が足りないんだからおめーらさっさと結婚して子ども産めよ」だし。

別にあんた達養うために生まれてきたんじゃねーよ!って言いたくもなります。

もはや「若者」ではまったくない私でさえそう思うんだから、今の若者、そしてこれから生まれてくる子ども達はホント可哀想です。

…って、こんな言い方すると当の若者達からは「わかったようなこと言うんじゃねぇよ、おまえも既得権益な“大人”だろ!」って怒られそうです。すでに選挙権持って20年、私も「現在の状況の成立」に無関係とは言えません。

「私たちはもうきっと年金もらえないんだろーな」「早く死んだ方がいーな」とは思っています。

で。

「増え続ける高齢者を支えさせられ、自分の老後には何の希望も持てない青少年」、「既得権益層である大人達が正社員の座を手放さず若者にしわ寄せ」みたいな「世代間格差の増大」を思って、「いっそもう若者は独立しちゃえばいいのに」とか思ったわけです。

「若者の、若者による、若者のための政治!」を掲げて独立国家作っちゃえ、と。

もちろんそんな簡単に国家が作れるわけもないけど、「少子高齢化」が問題で、子どもが減る一方で「養えない」なら、「養われる方を減らす」を考えたっていいんじゃないか、そんな話を昔読んだぞ……。

と思い出したのが平井和正さんの『親殺し』という小説。

本棚から引っ張り出して超久々に読んでみました。


角川文庫版『悪徳学園』所収。昭和50年初版、昭和58年第19刷。今は中古でしか手に入らないようです。

(Kindle版で読めますね↓)

読んでみたら「世代間格差でキレた若者が親世代を殺す」という話ではなく、「17歳以下の子ども達(新人類)が親を含めた旧人類を殺戮し、旧人類は絶滅する」という話でした。

初版が昭和50年ですから、時代は高度成長期、イケイケドンドン、一方で公害や冷戦、核戦争の恐怖などもあって、「人類が地球を滅ぼしてしまうのでは?」という懸念も出てきた頃なのでしょう。

ちなみに小松左京氏の『日本沈没』が1973年(昭和48年)刊行。

「旧人類最後の生き残り」の男の一人語りによる文庫本にして30ページ程度の短編。

敵の正体は前半ではわからず、一体何と戦って「人類最後の一人」になったんだろう?宇宙人襲来?それとも核戦争による人類同士の殺し合い?――と読者が興味を抱いたところで「実は敵は子ども達」ということが明かされる。

17年前から、生まれてくる子ども達はみな「新人類」になっていて、互いにテレパシーで繋がり、「個」であるよりも「総体」として存在しているような「新しい種」になっていた(このあたり、『幼年期の終わり』で描かれる“新人類”に似ています)。

ある日を境に新人類は旧人類の駆逐を始め、主人公の男も妻を小学三年生の息子に殺されている。

子ども達が一斉に、自分の親の寝込みを襲う。

いたいけな子どもの顔で「痛いよぉ、助けてぇ」と訴え、近づいてきた大人達の胸にナイフを突き刺す。

「まさか子ども達が」と思っていた大人達は後手に回り、あっという間に劣勢になり、少なくとも日本の東京で残っている旧人類は主人公一人っぽい……。

旧人類の視点から描かれているので、なぜ「新人類」が「旧人類」を滅ぼそうとしているのか、その理由とか思想はさっぱりわかりません。

ただ、主人公と直前まで行動を共にしていた男(すでに死亡)が推論を述べる。

「そうだろうか?こんなことになっても、まだ子どもを産もうとする者があるだろうか。孵すべき卵が、人間以外の怪物だとわかりきっているのにか?」 (P242)

「人類の子を最初に孕んだ類人猿の母親は、わが子がいずれ、己の種族を滅ぼす怪物だとは夢にも思わなかったろう。(中略)人類のために滅ぼされていった類人猿たちの呪いが長い年代を超えて降りかかってきたのか……親殺しの子孫たちに約束されていた、歴史の復讐なのか……」 (P242)

新しい種が古い種からしか生まれないのだとしたら、そして新しい種が優勢になる過程で古い種が滅ぼされていくのだとしたら、「親殺し」の罪を負っているのは何も人類に限らない、という気はするのですが。

まぁ「人類」なら、その母種族であった生き物を選択的に絶滅に追いやる、ということもやりそうではありますけど。

作中の男は人類の残忍さ、他の生き物を次々と絶滅させ、核兵器生物兵器といったもので地球そのものを滅亡の淵に追い込んでいることに触れ、「人類を一気に消し去るために、奴らは必然として発生してきたのではないか」と言う。

大人達もやつらが自分達と違うことにうすうす感づいていたはずだと。

親を殺害した者は、おのが子を信用することはできない。わが子に、心を許せないことを知っているからだ。これこそ親殺しの受けねばならぬ呪いなのだ。(中略)だからこそ、人類はいつの世も、次の世代に対して、疑惑を持ちつづけてきたのではなかったか。いまどきの若い連中はどうも理解できない。われわれの若い時分はああではなかった。あいつらのやることなすこと、とてもついていけない。と。
(P246)

……そーか、あれって祖先が大昔に起こした「親殺し」の呪いだったのか……。

他の生き物に「若い世代」をなじったり疑ったりする習性があるかないか知りませんが。うーん、人間は生殖能力を失った後も長く生き続けてしまうからなぁ。「次の世代を産んだらもう終わり」な生き物の方が圧倒的に多いわけだから……。

ともあれ、新人類達はなぜ親を殺すのか。どんな想いで、どんな思想で。そしてどんな社会・どんな文化を築こうとしているのか。

もしも今、こんなお話を書くとしたら、新人類が旧人類を一気に殲滅しようとするその理由は、「旧人類を生かしておいたら俺たちの未来はないから」でしょう。

旧人類は新人類を搾取し、未来の資産を食いつぶし、新人類の現在の生活をも脅かす。

テレパシーならぬネットで繋がった新人類達がある日一斉に――。

ただ、新人類というか新世代もやっぱり年は取っていくわけで。「長生きしない種」に進化する可能性はもちろんあるけど、17歳以下だけの世界ができて、でも彼らも年を取ってきて、また新しい若い世代が生まれてきたらどうなるのか。

うーん、テレパシーで繋がって「総体」として生きるのなら――「肉体」で区切られた「個」を重要視しないのなら、「老化」という概念は違うものになってしまうのかなぁ。

「長生きしたくない」「そうまでして生に執着しない」というのは、「老後のない種」になるということなのかもしれないなぁ……。(ああ、まとまらない)