(13巻の感想記事はこちら

全15巻の『双調平家』、いよいよラス前です。

いよいよ「源氏の巻」が来ます。そう、頼朝挙兵。

大河ドラマでもこの間「頼朝挙兵」というタイトルの回が放送されましたが、頼朝の前に、以仁王のこと。

平家追討の令旨を出したはいいものの、事が露見して都を脱出、以仁王は三井寺に逃げ込みます。山門と呼ばれる比叡山と並び、寺門と呼ばれて勢威を持つ三井寺。そんなめんどくさいもの敵に回したくないなぁ、と宗盛はうろたえます。相変わらず宗盛は役立たずです。

代わって事態収拾に乗り出したのは高倉院。

そして高倉院こそ「御世のリーダー」であるべきと考える邦綱。

だが邦綱は、院の御前で御世の摂政をねじ伏せてしまったのである。 (P31)

『双調平家』で描かれる邦綱はホント格好いいです。もう宗盛じゃなくて邦綱が平家の棟梁になっちゃえばいいのに。

頼みの重盛は世を去った。兄の死を危機とも思わぬ宗盛に、望みはない。一院ご幽閉の御世を統べ給えるお力をお持ちのお方は、新院をおき奉って他にあらせられぬのである。 (P31)

そう思って邦綱は高倉院の補佐をし、以仁王をかくまう三井寺に対して「院宣」を出させるのですが。

これがかえって三井寺の態度を硬化させてしまいます。邦綱がどう思おうと、世の人々にとって高倉院は「清盛の傀儡」でしかなく、「高倉院の院宣」など「清盛の差し金」としか思えないわけです。そして三井寺は「清盛の暴虐に屈するものか」と院宣を無視してしまう。

はぁ。

で、結局平家方の軍勢が以仁王や頼政を討つべく進軍することになる。

なかなかこれが、進まないのですけどね。兵を集めるだけ集めて、「こんなにいっぱい兵がいるぞ」というだけで一仕事してしまった気になる宗盛。自分の判断で三井寺や以仁王と敵対する気概がない宗盛。

ホントに宗盛って……。

それでも、先日の大河ドラマで描かれた通り、平等院での戦いで頼政は自害、以仁王も南都興福寺へ逃げる途上で見つかって、首打たれます。

埋木の花さくこともなかりしに みのなる果てぞかなしかりける (P105)

というのが頼政の辞世の句。時に頼政77歳。義朝亡き後、都で「源氏の棟梁」としてあった頼政。同じ武者として清盛も彼に心をかけ、三位の位にまでのぼせた。

以仁王が彼を召さなかったら、討ち死になどすることはなかったのかもしれない。源三位入道として、平氏以外の武者としては破格の地位を得て、「恵まれた晩年」を静かに過ごせたのかも。

最後の最後に「武者」として起った頼政。結局は「武者」として戦場に死ぬしかなかった頼政の、「埋もれ木」という辞世。

武者の家に生まれた者を、埋木のままに放置する世であればこそである。しかし、頼政は問いたかった――埋木は、真実、花開くことを望んではならぬのかと。 (P106)

この、頼政最後の場面は心に沁みます。

清盛が晩年暴走してしまったのもこれじゃないのかな、と思ったりします。「武者の家に生まれた者を埋もれ木のまま放置する世の中」。どんなに清盛が頑張っても、貴族達は彼を受け入れない。いつまでも「成り上がりの一族」としか見られず、隙あらば「横暴!」と譏られる。

まぁ、一貫して「朝廷」ではなく「院の御所」に仕える、という清盛の姿勢にも問題はあったんでしょうし、重盛が何に苦しんでいるのか理解できなかったところとか、清盛は王朝の複雑怪奇を生き抜くには単純すぎたのかもしれませんが。

平家を滅ぼしたあと、頼朝が都ではなく東国に「幕府」を開いたのも、「都に武者の居場所はない」ってことだったんだろうと。

都に、もはや清盛の居場所はなかった。だから清盛は、狂わざるを得ない……。

すべての計画が、次から次へと崩れ去って行く。なんの力もない、親王宣下も受けぬままの無品の皇子の存在が、次から次へと渦を広げるように、収束の手立てを覆して行く。 (P118)

「平氏にあらずんば人にあらず」というほどの栄華は、本当にあったんだろうか? 無品の皇子が「平家追討」と言っただけで、かくも危うくなる平氏の天下。

都に居場所のない清盛は、「都にいればこそ、よからぬ者が帝や院によからぬ企みを指嗾する」と考え、お主上や高倉院を福原へ遷すと決める。

清盛はためらう。自身の進むべき道が鎖され、塞がれてあることを訝しみながら、嘆き、苦しみ、悶えながら、ためらう。そして哀れなことに、人は清盛の長い煩悶をたやすく見過ごして、清盛の下すべき決断の先回りをする――ただ、「専横」と譏るためだけに。 (P132)

橋本さんの描く清盛は本当に哀れだ。都の人間からすれば福原への遷都なんて、清盛の「横暴」「無茶」でしかない。そんな「無茶」をしなければならないほど清盛を追い詰めているのは、他ならぬ都の人間達だというのに。

うーん。

でもそれにしたって清盛は、一番やってはいけないこと、世間を敵に回すことばかりやっちゃってるよねぇ。後白河院を幽閉するとか、安徳帝を嬉々として帝につけちゃうとか、都の神社仏閣を無視して厳島神社に高倉帝を行幸させたりとか。

主上と高倉院と後白河院を自分の隠居場所である福原に連れてっちゃうとか、どう見ても「帝たちを拉致監禁」としか思えないわけで。

摂関家が都で事実上のトップとして振る舞うのとはやっぱり、「見え方」が違う。

清盛にしてみれば「鹿ヶ谷」だの「以仁王」だの「自分のこれまでを無にするようなこと」が次から次へと起こって、それを「許せない!正してやる!」と思うのも無理ないんだけど、そう思えば思うほど、なんとかしようとすればするほど、どんどん泥沼にはまってっちゃう。

何が起こっても「我関せず」で「前太政大臣」としてどーんと構えていればいいのに、あたふたと動いてしまう。

そりゃ、平家は没落していってしまうかもしれないけど、でも滅亡まではしないで済んだんじゃないかな。もしも清盛が、こんなにもあたふたしなかったら。

やっぱり長生きしすぎたんだよな、って思ってしまう。

「太政大臣」にまでのぼりつめた後の、「その後」が長すぎて。見なくてもいいものを見過ぎて、やらなくてもいいことをやる羽目になって。

大河ドラマ見てると、「それもこれも後白河の策略」というふうにも思えてきたりする。

盛子の所領や重盛の知行国を取り上げたのも、清盛をわざと怒らせ追い詰めて無茶をさせるためだったのかと。

「さっさと出世させてさっさと追い払う」を考えられた人なら、「清盛が無茶をするよう仕向ける」なんて朝飯前だよね。まぁ、実際の後白河はただ気まぐれで、「清盛ウザい」ってだけだったのかもしれないけど。

ともあれ、6月2日、安徳帝含め三帝が福原に行幸、清盛はそのまま福原に遷都を決める。もちろん公卿達は誰もそれを喜ばない。

清盛に動かされる者達は、それを「遷都」と言う。しかし、都から遥かに離れた東の者達にとって、それは、「合戦に怯(お)じた平家が、都ぐるみ逃げ出した」ということでしかなかった。 (P147)

確かに清盛は「逃げた」んだろうねぇ。清盛を受け入れない「都」から逃げて、ある意味「自分の世界」へ引きこもろうとしたんだろう。東国の源氏が怖かったわけでは、この時点では全然ない。

というわけで、はい、やっと「頼朝挙兵」の部分です。

福原遷都が6月。

頼朝は、8月の17日に伊豆の目代を夜討ちし、「源氏の棟梁」としての姿を現します。23日には石橋山の合戦、9月2日にその東国での騒ぎが福原に伝えられます。

その時頼朝は34歳。政子は24歳。

伊豆の配所に二十年。いつか頼朝は大兵肥満で知られるようになっていた。 (P252)

え、そうなの…? 大河ドラマじゃ大変スリムで美形な頼朝ですのに。「大兵肥満」と言えばかの信頼、塚地くんと同じイメージじゃ…。

以仁王からの令旨を受けても「いや、オレ流人だし。平家に弓引くったって軍隊もないしさー」みたいに受け流していた頼朝。ここに荒聖(あらひじり)文覚(もんがく)という変なヤツがちょっかいをかけてくる。

この文覚、都で後白河院の御所に乱入して、それで伊豆に流されていたヤツなんだけど。

「聖」になる前のエピソードがひどい。

小さい頃からかなりのはみだし者だった文覚、道端で見かけた女に一方的に恋をして、2年だか3年だか経ってその女の母の居所を知り、母に取り入った末に「娘を呼んでこい!」と脅し、わけもわからず母に呼びつけられてやって来た女を手込めにしてしまう。

女はすでに「人妻」で、でも母を人質に取られているから仕方ない、「一晩だけの我慢」と思って堪え忍ぶのだけど、文覚はもちろん「一晩だけ」なんて思ってなくて、「もうおまえはオレのものだ。邸へ戻る必要などない」と言う。

絶望した女は一計を案じ、「それなら主人を殺してください」と文覚を嗾し、夫の留守中に夫のふりをして文覚に殺されるのでした。

自殺などしては自分の身に何が起きたかが夫に知られてしまう。夫を心から愛していた彼女は、文覚に汚されたことなど決して夫に知られたくなかったのです。

自分の邸で文覚に殺されたのなら「運悪く物盗りに命を奪われた」で済む。

なんと哀れな……。

自分が殺したのが2年も3年も思い続けやっと手に入れた最愛の女だと気づいた文覚は大いに嘆き、それを機に出家して「荒聖」となるんだけど、おまえの粘着のせいで女は捨てなくていい命を捨てたんじゃないか、何嘆いてんだ、このストーカー。

いや、ホント、この文覚の行動ってストーカー以外の何物でもないよね。平安時代からいたんだね、自分の想いだけで突っ走って相手を絶望の淵に陥れるストーカー。しかも道端で見かけただけの相手を……。

で、そのストーカー野郎は伊豆に流されて頼朝と顔見知りになっていたんだけど、以仁王の令旨の後、『これぞおまえの父、義朝の髑髏!父の無念を晴らすのだ!早く決起しろ!』と言いに来るのです。

何やねんこいつ。

もちろんそんな髑髏、テキトーにその辺で掘ってきたもの。さらに文覚は平氏追討の『院宣』まで偽造して持ってくる。

ホンマこいつ何なん…。

また頼朝が文覚のニセ院宣を信じちゃうんだよなぁ。そりゃ本物の院宣なんか見たことないんだし、まさかそんなものを捏造するやつがいるとは思わないだろうけど。多少の違和感を感じても、「院」の名前を出されたら軽々には扱えないものなぁ。

以仁王の令旨や文覚の変な焚きつけがなかったら、頼朝はどうしていたんだろうか。

以仁王や文覚がいなくても、別の誰かが平家打倒のために「源氏の棟梁」を引っ張り出してきたんだろうか。

頼朝自身は、「引っ張り出されなければ」、なかなか自分では態度を決めかねたように見える。実際問題、流人の彼に「動かせる兵」はいなかったわけだし。

清盛の乱心とも言える振る舞いは、真っ逆さまに坂を転げ落ちているとしか見えなくて、頼朝が起とうと起つまいと、いずれ平家は滅ぼされてしまったのかもしれない。

火のないところに煙は立たない。しかし、熾った火を消すことに「功」のありようを見出だしていた大庭の景親は、深い心を持たぬまま、煙の見えることを待ち望んでいた。その心が、佐々木の秀義にどのような火を点けるのかを知らぬまま。 (P246)

「頼朝に何か動きはないか?」と源氏方である佐々木にうっかり尋ねてしまった大庭景親。佐々木は頼朝の動きなど何も知らない。けれど尋ねられたことで逆に、「大庭は何かを知っているのではないか?何か動きがあるからこそこうして探ってくるのではないか?」と考えてしまう。

そして佐々木は「ならば頼朝に味方を!」と思って、火のないところにどんどん火が熾っていく。

人の世は面白い。

思惑が思惑を呼び、「ないもの」が「あるもの」になる。

おまけに偽の院宣と大庭の言動がぴたりとタイミングを合わせてしまうんだから。これが歴史の必然というものなのかしら……。

かくて頼朝は「平氏打倒」の初戦として、新任の平氏の目代の館を夜討ちする。

と言っても頼朝自身は夜討ちに加わらず、一人北条の館に残って、館に自分を守るものが誰もいないことを不安がっていたりするのですが。

義朝とはえらい違いやなぁ。まぁ20年も流人暮らしじゃ、“武者”であるはずもないけど。

で、なんとか夜討ちは成功して、成功したとたん、東国の武者たちは“源氏の御家人”たることを蘇らせるのです。それまでは「頼朝に何ができるんだ?」としか思っていなくて、率先して彼を担いで“源氏”としてまとまろう、なんて気はさらさらなかったのに。

平氏の目代を討ったことで、がぜん頼朝は“仕えるに値する主人”として彼等の目に映るようになる。

現金なもんだなぁ。ってゆーか、頼朝はこの段階では館でぽつねんと「首尾はどうか?うまくいったのか?」とやきもきしてるだけなんだけどなぁ。

というわけで、頼朝とともに戦おうとする「東国の武者」が出て来る一方、距離を置く武者もやっぱりいて。

特に波多野の次郎信景のエピソードが素敵です。かつて義朝に仕えた信景。義朝が父為義を斬った時、為義の幼い遺児を斬らされ、信景は義朝のもとを去りました。

「大義とは下らぬもの。大義の名の下に、殺めずともよい者をたやすく殺める。愚かな大義に従うことは、誤りの因」 (P282)

「大義」の虚しさを知る彼ならではの言葉です。

夜討ちの後の石橋山の合戦で頼朝軍が負けた後、頼朝に味方する三浦軍と大庭方(つまりは平家方)に味方する畠山軍との戦があって、ここでも「大義の虚しさ」「戦の虚しさ」を感じるエピソードが。

「命を捨てるにも、捨て様と申すものがございますぞ!これをいかなる戦と思し召す!無用の戦!死ぬに甲斐なき戦でございますぞ!三浦の一党は、宿世の敵にござりますか?親の敵にございますか?さようではござりますまい!大庭の下知に従う、公事にも等しき戦!かようの戦に命を落とされる事由(ゆえ)はございませぬぞ!」 (P336)

畠山軍を率いていた畠山重忠はまだたったの17歳。重忠にとって三浦の当主義明は母方の祖父だったりする。たまたま父が都に上っていたため、その父を平氏に人質に取られているように思って、大庭(平氏方)の命にさからえぬだけ。ただ、孝行息子なだけなのに、祖父の一族を敵に回さなければならない。

戦ってのは本当になぁ……。

で、重忠の爺ちゃん三浦義明ってのがまたとんでもない暴走老人で。

89歳なんですよ。

もうヨボヨボの老人なんだけど、頼朝が起ったと聞いて「ついに源氏の再興!」「やっと仕えるべき“主”が現れた!!!」と大はしゃぎ。頼朝の内実などおかまいなしに、「我ら三浦一族は源氏の棟梁のために大いに働くのだ!!!」と戦う気満々。

89歳なのに……。

最期の時を間近にした義明は、一族の命すべてを源氏に捧げる贄として、燃やし尽す決断をしたのだった。 (P342)

なんという迷惑な。

そりゃあんたにとっては「格好の死に場所」でしょうけど、若いもんはどーなるんだ。なんで未来ある若者がこんな戦で死ななきゃならないんだよー!

89歳のヨボヨボで半分ボケた暴走老人でも「当主」は「当主」。今よりずっと「家長」の権限が重かったであろう時代に口を差し挟めるものはなく。

三浦の衣笠城は落城。息子達はなんとか逃げ延びたものの義明は捕まって斬首。

何だかな……。

石橋山の合戦は8月23日で、9月の2日にはそういう東国での騒ぎが福原にも届けられます。

清盛は高倉院に朝敵頼朝追討の院宣を出させるのですが、この時清盛が怖れていたのは頼朝ではなく。

巷で囁かれる「頼政や以仁王が実はまだ生きている」という噂の方に、心を取られているのですね。だって20年も流人の頼朝に「何かができる」なんてそうそう信じられないもの。そんな忘れられた人間が、なんで平家に対して弓引くのか。以仁王や頼政がまだ生きているからこそ、東国での騒ぎも起こる。

そう清盛は信じて、9月の18日、三万の大軍を東へ向けて出発させたのでした。

以仁王がいなければ、頼政がいなければ、文覚が、そして他でもない頼朝自身が14歳の時に首打たれていれば。

平家は滅びずに済んだのでしょうか……?



いよいよ次は最終15巻。これがまた分厚いんだ…。読むの大変なんだ……。がんばろ………。

(いつ感想書けるかわからないので待ちきれない人は以前書いた15巻の感想全巻通しての感慨をどうぞ)

ところで。

頼政の郎等である渡辺一族の一字名面白かった。省(はぶく)、授(さずく)、与(あたう)、連(つづく)、唱(となう)、競(きおう)、清(きよし)、勧(すすむ)。

人の名前に「はぶく」ってどーなの、と思うけど、「さずく」とか「となう」ってなんか格好いい。

自害した頼政の首を打ち、頼政の辞世の句を後の世に伝えたのは唱(となう)なのですよね……。

(最終15巻の感想記事はこちら