7月に、母方の祖母が亡くなった。

98歳。

90歳過ぎても元気で、亡くなる少し前まで頭もすごくはっきりしてた。

小さい頃から苦労して、色々とすごい婆ちゃんだったのだけど。

亡くなったのは7月27日。

ちょうど、ロンドンオリンピック開幕の日だった。日本時間だと開会式は28日の早朝で、ちょうど葬祭場で眠い目をこすりながら開会式を見ることになってしまった。

それで、「ああ、爺ちゃんはロサンゼルスオリンピックの時だったなぁ。葬祭場で森末さんの“10点!10点!10点!”を見たなぁ」と爺ちゃんが亡くなった時のことを思い出した。

実は、爺ちゃんが亡くなったのも、7月27日だった。

なんて仲の良い夫婦なのだろうか。

夫婦と言っても、爺ちゃんと婆ちゃんはいわゆる“事実婚”で、籍は入れてなかった。

そのことは前に、「祖父の思い出」という記事で書いたのだけれど、さらに爺ちゃんと私は血が繋がってなかった。

つまり、母は爺ちゃんの子どもではなかった。

これを知ったのは父が亡くなった時で、色々手続きをする上で母が自分の戸籍謄本だか抄本だかを取って、で、そこの「父親欄」に書いてある名前が、爺ちゃんとは違った。

思わず私は、「あれ?これ間違ってるよ」と言ったんだけど、戸籍謄本だか抄本だかが間違ってるわけはなく。

母、「実はあんたの知ってる爺ちゃんは私のホントの父親じゃないのよ」と衝撃発言。

私と弟は「えーーーーーーーーーっ!!!!!!!」と盛大に驚いた。

だって、「祖父の思い出」にも書いた通り、私たち兄弟は爺ちゃんにとても可愛がってもらったのだ。母の兄の子どもであるいとこ達も、特に“初孫”に当たるお姉ちゃんなどはすごくすごく可愛がられていた。

私の父方の祖父は病気で半寝たきりだったので、運動会に来てもらったのも遊園地に連れていってもらったのも、母方の爺ちゃん。家に行く頻度も圧倒的に母方の方が多くて、夏に遊びに行くと近所の市民プールに連れて行ってくれたり。

母の実の父親は母が10代後半の時に交通事故で亡くなったらしい。

あまりいい「お父さん」ではなかったというか、あまり家にいなかったみたい。母は、あんまり話してくれない。

祖母にとっては「前夫」にあたるその人が亡くなって、しばらくして、私が「爺ちゃん」と呼んでる人が家に来て、一緒に暮らすようになった。二人は籍こそ入れなかったけど、その後二十年余り、爺ちゃんが亡くなるまで良い夫婦だった。

母が父と結婚したのは酒飲みの爺ちゃんが酒飲みの父ちゃんを気に入ったからで、その後も父ちゃんと爺ちゃんの二人で旅行行ったり、なんというか、とっても“家族”だった。

“なさぬ仲”の娘の婿や子どもにあんなに普通に“家族”として接することができるものなんだなぁ。

籍を入れないとどうこうとか、夫婦別姓だと家族の絆がどうこうとかいうけど、爺ちゃんのこと思い出すとそんなの全然関係ないって思う。

爺ちゃんが亡くなる前、入院してた時、母や叔父さんは熱心に看病していたし、最後、延命治療を続けるかどうかについて決めた時のことを、母はその後も折りに触れ「辛かった」と言ってる。

そりゃあ、その「辛い」の中には色々な意味のことが含まれているのだろうけど、当時まだ高校1年だった私は母や叔父さんの態度に違和感を覚えるようなことは何一つなく。

だからこそ私も弟も「実は血が繋がってない」と知って盛大に驚いたわけで。

弟は「オレ、本当の爺ちゃんだと思って死んだ時大泣きしたのに!!!」などと言っていて。

いやいや、本当の爺ちゃんでしょう。大泣きして当然でしょう。血が繋がってようがいまいが爺ちゃんは爺ちゃんだよ。

何年か前、婆ちゃんが倒れて救急で運ばれた時、診てくれたお医者さんが婆ちゃんのことを知っていた。実はそのお医者さんは学生の時爺ちゃんと婆ちゃんが管理人をしてたアパートに住んでたことがあったのだ。

国家試験だか医大の受験だったか詳しいことは知らないんだけど、「諦めて故郷へ帰ろうと思います」と管理人室に挨拶に来た時、爺ちゃんが「もう1年がんばってみたら」と言って引き留めて、で、その学生は無事お医者さんになって、婆ちゃんを治療することになったらしい。

そんなことがあるんだなぁ。

酒飲みで孫に甘くてせっかちで達筆だった爺ちゃん。若い時何してたのかも知らないし、私が知ってる爺ちゃんはごく限られた「一面」でしかないだろうと思うけど、でも、爺ちゃんが私の爺ちゃんで良かったと心から思ってる。

爺ちゃん、ありがとう。

小学生の時爺ちゃんに買ってもらった24色の色鉛筆、今は私の息子が使ってるよ。

きっとあの世から見ててくれてるよね。