11歳の少女探偵フレーヴィアが活躍するシリーズの第4弾です。

(1作目『パイは小さな秘密を運ぶ』、2作目『人形遣いと絞首台』、3作目『水晶玉は嘘をつく?』。それぞれの感想はリンク先へ)

今回も楽しく読みました。その背景や人物造型がのみ込めているせいか、巻を追うに従ってお話がスムーズに流れてる気がします。

クリスマスシーズン、フレーヴィアはその科学的知識を駆使してサンタクロースを捕まえようと計画を練っています。

頭がよく行動的で、11歳にしてすでに3件もの殺人事件を解決しているフレーヴィア、でもこういうところは年相応に可愛らしい。

2歳上と6歳上のお姉ちゃん達に「サンタなんかいないわよ」と言われて、「そんなことない。サンタはきっといる。私が捕まえる!」と、煙突に鳥もちを仕掛けるのです。

一方、バックショー荘には映画のロケ隊が訪れていて。

これまでの3作でも語られてきたのですが、フレーヴィア一家は実はお金に困っています。お父さんは貴族で退役軍人で……どうも働いていない。

先祖伝来の食器を売ったり、色々と苦労している中、屋敷をロケ地として貸すことで多少の収入を得ようと。

すごい豪邸なんですよねー、フレーヴィアの住むバックショー荘。ロケ隊が全員お泊まりできるぐらい空き部屋があって、ロケ隊のスタッフが「ホントにこんなとこに住んでるのか!?」とびっくりするぐらい。

映画の主役、大女優のフィリスに町の司祭がチャリティーを頼んで、『ロミオとジュリエット』の1場面をバックショー荘の玄関広間で上演することになるんだけど、町の住民が大挙して押し寄せても入れるぐらい広い、玄関広間。

家政婦のマレットさんと庭師のドガーしか使用人がいないのに、掃除とか普段どうしてるんだろう……。

屋敷の維持費だけでもそりゃ大変だよね。

で、そのチャリティーで集まった町の人たち、雪がひどくて帰れなくなる。みんな玄関広間等で雑魚寝。寒っ!っていうか、ホントにどれだけ広いんだ、バックショー荘。

そして雪に鎖された「陸の孤島」バックショー荘で起こる殺人事件。

コナン君並みに事件に遭遇してしまうフレーヴィア嬢です(笑)。

バックショー荘のあるビショップス・レーシーって「田舎」で、そんなに人が多いわけでもなく、住んでる人たちはお互いに顔見知り、って感じなのに、よくこんなにしょっちゅう殺人事件が起こるよね。ある意味コナン君よりあり得ない遭遇率かもしれない(爆)。

まぁ、殺されるのはいつも「外から来た人」のような気がするけど。

今回も殺されたのはロケ隊の一人。

「陸の孤島」と言いながらもさっさと警察は来ちゃうんだけど、もちろんフレーヴィアも独自に捜査を進め、最後はクリスマスの夜(24日の夜?)に屋根の上でサンタならぬ犯人と追いかけっこ。

夜だし、雪いっぱい積もってるどころかまだ降ってるんじゃないかと思う中、屋根の上で大立ち回りって怖すぎる。

サンタ捕獲作戦用「鳥もち」が威力を発揮するものの、第1巻と同じようにフレーヴィア絶体絶命!

ほんまヒヤヒヤさせるわ、この子。

主役だから助かるとは思ってるけど(笑)。

でもフレーヴィアがピンチになると普段は意地悪なお姉ちゃん達が優しくなるという利点もある。

うん、事件の謎解きよりも、家族の描写の方に心惹かれるのよねぇ。

フレーヴィアが「どうしてあたしを嫌ってるの?」と上の姉、フィーリーに訊ねるシーン。

「あんたを嫌ってるですって?」彼女はふるえる声で言った。「わたしがあんたを嫌ってるなんて本気で信じてるの?ああ、嫌いになれたらどんなにいいことか!そしたら物事がずっと簡単になるのに」 (P272)

この作品はフレーヴィアの一人称で書かれているから、「フレーヴィアから見たお姉ちゃん達」しか描かれていない。彼女たちが本当はどんなふうに感じているのか、どんな気持ちでフレーヴィアをいじめるのか、どんな想いで日々を過ごしているのか、そういったことはさっぱりわからない。

フレーヴィアから見ればホントにお姉ちゃん達は必要以上に意地悪で、1冊目を読んだ時は「あまりと言えばあまりじゃない?」と一緒に憤慨したのだけど。

お姉ちゃん達にしてみれば、フレーヴィアは生意気でうっとうしい、「困った妹」で、冷たく当たっても仕方ない部分もある。お姉ちゃん達に対抗するためにフレーヴィアが生意気になってしまったのか、生意気だからいじめられるのか。

卵が先か鶏が先か、みたいな話だけど。

もう少し、仲良くなれればいいのにね。

寡黙で娘達にとっては何考えてるかわからないお父さんも、今回は泣かせてくれる。

チャリティーで演じられた『ロミオとジュリエット』。捜査の参考のためにバックショー荘の図書室から『ロミオとジュリエット』の本が持ち出される。その古めかしい版には、フレーヴィアの父と亡き母のイニシャルが組み合わされて、二人の直筆で書き込まれている。

事件が解決した後、その本が珍しい貴重な版だとわかって、バックショー荘の金銭的苦境を十分に救えるだけの値がつくと教えられる。

「書き込みがあるけど、こんなものは専門家に頼めばきれいに消してもらえるから」

直筆のイニシャルの意味を知らない部外者は簡単にそんなことを言って。

でもフレーヴィアには、その書き込みがどんなに大切なものかがわかる。フレーヴィアがまだ赤ん坊の頃に亡くなってしまった母。母が亡くなってから、すっかり意気消沈してしまった父(つまりフレーヴィアには、「意気消沈していない父」というものが果たして存在していたのかどうかがわからない)。

「そんな書き込みはすぐ消せる」と言われた父は、そのイニシャルを丁寧になぞり、『ロミオとジュリエット』の一節をつぶやき始める。ロミオがジュリエットの墓前で言った言葉を。

「そんなことになるといけないから、ぼくはまだあなたと共にいて この暗い夜という宮殿から 二度と離れはしない」 (P325)

もちろん彼は、死んだジュリエットならぬ死んだ妻に向けてこの言葉を言ってる。

……お父さんったら、ロマンチストやねんから……。

フレーヴィアの母ハリエットはチベットの山で死んだらしいんだけど、今回フェリシティおばさんが戦時中に軍の仕事に携わっていた(この作品は1950年が舞台。第二次世界大戦はほんの5年前に終わったばかりです)こともわかり、ハリエットの死も実は何か裏があるのかなぁと。

1作目からずっと、「ハリエットの不在」がバックショー荘に影を落としているんですよねぇ。

なぜ彼女は生後間もないフレーヴィアを置いて遠いチベットなんかで亡くなってしまったのか。

気になる。

「戦争」と言えば、捕虜収容所での過酷な体験がトラウマとなって時々発作を起こすドガー。彼はフレーヴィアにとってとてもいい「相棒」なのだけど、「死体」に詳しいんだよね。

「死体」に限らず人体に詳しい(医学の知識がある)のか、ロケ隊の一人が出産する時に町の医師から助手として頼りにされてるし。

ドガーの謎も気になる。

最初全6作の予定だったのが、各国での人気を受けて全10作に延びたらしいので、家族それぞれの「謎」(と勝手に私が思っているだけ?)もこの先しっかり解き明かされていくのかも。

フレーヴィアの2つ上(ということは13歳)のお姉ちゃんダフィの「本の虫」ぶりも気になる。というか他人とは思えない(笑)。図書室のどこにどの本があるか、全部覚えてる。いつも本を読んでいて(ディケンズの『荒涼館』、私も持ってる!)、『ロミオとジュリエット』のセリフもそらで覚えてて。

捜査のためにチャリティーで演じられた場面を再現しようとして、ダフィがジュリエット役を自然に引き受けちゃうんだよね。ロミオのセリフにすらすらと答えてしまう。自然に口をついて出てしまう。

ダフィはすべてのせりふを暗記していて、ウエストエンドの舞台で千一夜もそのせりふを言い、観客をうっとりさせてきたかのようだった。この美しい人があたしの内気な姉だなんてことがあり得る? (P247)

それでいて、必要な場面が終わればパタっとまた、普段の彼女に戻る。何事もなかったように再び『荒涼館』のページに目を落として。

いやー、フレーヴィアだけじゃなくお姉ちゃん達も、よく描き込まれてるなぁ。

5作目はこれ↓でいいのかな? 原著が来年1月発売ということは邦訳が出るのはまだだいぶ先ですね。


そう言えばこの『サンタクロースは雪のなか』の原題は『I AM HALF-SICK OF SHADOWS』。サンタのサの字も出てこない(笑)。

冒頭に引用されているテニソンの「シャロットの妖姫」の一節、「影の像などもううんざり」っていう部分なのでしょうね。確かこれまでの巻も冒頭の詩の一部分がタイトルに使われていたと思います。

坪内逍遙が訳した『シャロットの妖姫』が青空文庫に上がっています。

該当箇所は「あはれ倦みはてつ影見るもと」と訳されてます。

「影の像」=「映画」ってことなのかな? 映画なんてもううんざり…? それとも「影」は姿の見えないサンタクロース? 姿の見えない、けれど確かにバックショー荘にいる、ハリエットの影……。