2013年1月29日火曜日

『レ・ミゼラブル』第1巻/ユーゴー



映画が大変ヒットしているらしい『レ・ミゼラブル』。

私はミュージカル版も観たことがないし、原作もそういえば読んでいない。

子どもの頃、家にあった『少年少女世界文学全集』に『ああ無情』のタイトルで入っていて、最初の方は読んだんだけど、たぶん途中で挫折してしまった。ジャンバルジャンが司教の家から食器だか燭台だかを盗んで……というところだけでやめてしまったような気が……(少なくともその後の展開はまったく覚えていない)。

なのでちょっと読んでみようかな、と思い。

岩波文庫版は青空文庫でも読めるので、ちょっとダウンロードしてみたのですが、やはり長編を小さなスマホの画面で読むのは苦しく。

図書館で借りてきました。

岩波文庫1巻の表紙はミュージカルのポスターでも有名なあのコゼットの絵なのですが、あれって原書の挿絵だったのですねぇ。それがずーっとミュージカルやら映画やらにも使われているのか。

原書は1862年の刊行。そして岩波文庫の冒頭、訳者豊島与志雄さんによる序文は「1917年」。1917年!大正6年ですよ!ほぼ100年前です!!!

借りてきた岩波文庫は1987年に改版されたバージョンで、一部改訳されているらしいですが、豊島さんの訳。古典新訳文庫のように今風にわかりやすく訳された古典もいいですが、100年前の訳というのもまたなんとも味わい深いですね。

でもそんなに「古めかしい」とは感じない。私が「今風」な人間じゃないせいかもしれないけど(笑)。

活字の小ささにもなんかホッとします。最近の文庫本、活字デカい……。

で。

最初の方、「第一部ファンティーヌ第一編正しき人」の部分はスマホで読んだのですが。

ちょっと、だいぶ、疲れました。

お偉い司教さんのお話が延々と…。電子書籍って、「この第一編あとどれくらい続くの」とパラパラめくってみれないのがすごく不便ですよね。全体のページ表示はできるし、読まずにページを繰っていけば次の区切りがどこにあるかはわかるけど、直感的にページの厚みでわかるというのは便利ですよ、紙の本。パラパラ後ろを見てまたさっと今読んでたところに戻れるし。

『レ・ミゼラブル』と言えばジャン・バルジャンの話だと思ってるのに、細かい活字の紙の本で延々100ページも司教さんだけの話なんですもの。挫折しそうだった……。

司教さんの寛容さに触れてジャン・バルジャンの荒んだ心が変化するわけなので、なぜ司教さんがジャン・バルジャンにそんな態度を取れたのか、人一人の運命を変え得る「正しき人」とはどのような生活をし、どのような行動をしてきていたのか、ということを描くのにはもちろん意味があるんだろうけど、でも長い。

子ども向けの『ああ無情』だといきなりジャン・バルジャンが司教さんのおうちにやってきて……だと思うけど、それでいいような……。

ああ、でも、ジャン・バルジャンが他の家や宿屋からは徹底的に排除される部分は要るよね。読んでると悲しくなってくるけど。

貧しさゆえに一片のパンを盗み、19年もの歳月を牢獄で過ごしたジャン・バルジャン。途中何度も脱獄を試みたためにそんなに刑期が長くなってしまったのだけど、最初の一片のパンだってやむにやまれず、年少の家族もいて、そんな5年も牢屋に入れられるような罪じゃないよね、今の感覚だと。情状酌量とか執行猶予とか。

でも、結果的に19年も入牢していたジャン・バルジャンは立派な「前科者」で、そのことを書いた「通行証」を持たされていて、疲れて腹ぺこでも誰に彼も食事も宿も提供してくれない。

やっと司教さんに会って、司教さんが彼の素性を聞いてもまったく動じず温かい食事と宿を与えてくれると、かえってジャン・バルジャンはうろたえる始末。「俺は前科者なのに本当にいいのか?」と。

人間ひどい目に会い続けると、人の優しさも信じられなくなる。親切にしてもらったにも関わらずジャン・バルジャンは司教さんの銀の食器を盗もうとしてしまう。

しかし「正しき人」司教さんは彼を咎めず、赦すのだなぁ。銀の燭台までおまけに付けてくれちゃう。

そうしてジャン・バルジャンは心を入れ替え(と言っても別に彼はもともと悪い人間ではなく、ただ19年の徒刑生活と出所後の周囲の心ない扱いに荒んでいただけだったのだけど)、とある町でまっとうに暮らし、市長にまで上りつめる。

稼いでも自分のためには使わず貧しい人に分け与え、その人柄で「市長になってください」と頼まれるまでになるのよねぇ。

が、しかし。

過去が彼を追ってくる。隠した名前、捨てた名前が追ってくる。

「ジャン・バルジャン」と間違われて捕まった男を救うために、彼は「自分こそジャン・バルジャンだ」と名乗り出る。

もちろんそこに到るまでに激しい葛藤があるんだけど。

ともかく彼は再び捕縛されてしまうのだ。え、でも司教さんの食器と燭台は司教さんがくれたものだし、男の子の銀貨をネコババしたのだって、その後の「善き行い」で帳消しになってるよね?

「ジャン・バルジャン」だというだけで、前科者だというだけで、罪なの?

心を入れ替えいい人になっても過去をほじくり返され断罪される。もしそうなら、「改心すること」に何の意味があるんだろう。するだけ無駄じゃん!

……でも。

世間の「前科者」に対する目は実際厳しいよね。私だってやっぱり色メガネで見てしまうと思う……。

ジャン・バルジャンが捕まった後、市長として彼を尊敬していた人々は「2時間で彼のすべての善行を忘れた」って記述があって、さらに「前から怪しいと思ってたんだよ」みたいなことを言う人間も多かった、みたいな記述があって。

いかにもありがちな話……。

嗚呼、まったく人間ってやつは。

ジャン・バルジャンが救おうとして救えなかったファンティーヌの悲劇も、「シングルマザーの悲劇」として今でも当たり前に転がっているんだろうしなぁ。

美しい娘だったファンティーヌは金持ちの悪い男に引っかかって捨てられる。すでにファンティーヌはその男の子どもを生んでいたんだけど、男にとってはただの「遊び」なので、母子ともにあっさり見捨てられてしまうのだ。

頼れる身内も友達もないファンティーヌはそこから真っ逆さまに人生の坂を転がり落ちる。子連れでは働けないと一軒の宿屋に娘を託したのが大きな間違いで、その宿屋の主人から折に触れ金をせびられることになる。

「子どものため」と思ってファンティーヌは頑張るんだけど、彼女が「どこやらの町に私生児を残している」と知った周囲の人間は彼女を助けようとは思わないで逆に「おまえみたいなふしだらな女に仕事はさせられない」と彼女の首を切ってしまう。

えええええ、そんな。

稼ぎ口をなくした彼女のところにしかし宿屋の主人からの催促は来て、彼女はその美しい髪を売り、美しい歯を売り、結局はその身をも売ることになる。そして彼女をからかった男に反撃しただけで、「淫売が市民に暴力を振るった」と警察に連行されてしまうのだ。

ぐえぇぇぇぇぇぇ。

なんだこれは。

くらくらする。

でも。

小さい子抱えて仕方なく水商売に足突っ込んで……なんて話、今でもざらにあるよね。そしてそんな事情を斟酌せず、「ホステスか」みたいに見てしまう気持ちが自分の中にもある。

大阪で幼い子ども2人が放置されて亡くなった事件も、周囲が母親を手助けしてやっていればあんな結末にはならずにすんだろう。(毎日新聞の関連記事

映画や小説では「可哀想!ひどい!」って思うのに、実際に隣にファンティーヌのような境遇の人がいたら、「自己責任!」って突き放しちゃうんだろう。

まさしく「ああ無情」。

なんと素晴らしい邦題であろうか……。

「よく覚えておきなさい、世には悪い草も悪い人間もいるものではない。ただ育てる者が悪いばかりだ」 (P293)

ジャン・バルジャンのセリフ。沁みますなぁ。

2 件のコメント:

  1. この間、映画を見てきたばかりなので、今日のお話は興味深く読ませてもらいました。時代や環境によってさまざまな色に染まってしまうのは、個人ではどうしようもありませんね。せめて許しあえる”愛”を持てれば・・・、ですが、なかなか!だから物書きにとっては”普遍のテーマ”になる。つづき、楽しみにしてます。

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  2. ��まんぼさん
    こんにちは。映画見に行かれたのですね[E:happy01]
    今2巻目を読んでいるのですが、相変わらず「ああ無情」が続いて「なんで赦してあげないの!」と思ってしまいます。
    1巻目でジャン・バルジャンと間違われて裁判にかけられる男のその裁判の様子も、とんでもなく「冤罪」でぞっとしました。
    罪に対する刑の重さは今とは違うけど、決してこれは「過去」の話じゃないなぁと…。

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