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※以下ネタバレだらけなので、真っ白な気持ちで読みたい方はご注意ください。

いやぁ、なんか、盛りだくさんだった。さすが最終巻と言うべきか。

次から次へと色々起こるので、最初の方で感動したことを忘れてしまいそうだった。

えーっと、最初。

エポニーヌ。

マリユスに淡い恋心を抱いていたエポニーヌ。3巻でも、父親達悪漢からマリユスとコゼットの愛の苑を守った彼女は、4巻でマリユスの命を守って死んでしまう。

パリ市中でいくつか暴動が起こり、そのうちの一つ、彼の友人クールフェーラック達が立てこもった防塞に、マリユスもいる。実はそこにマリユスを誘ったのはエポニーヌで、彼女はたぶん、マリユスとともにそこで死ぬつもりだったんだろう。マリユスがコゼットと一緒にいるのが嫌で、マリユスをあの愛の苑から引き離したくて。

でも兵士の銃口がマリユスを狙っているのを見た時、彼女はとっさにそれを阻止した。自分の手で銃口を塞ぐことによって。

ひえぇぇぇぇぇ。

わざと掌を撃ち抜かれるって、そんな、シティハンターでもあるまいし!

シティハンターでも何でもない、ただの女の子のエポニーヌの掌を貫いた弾は、彼女の体をも突き抜けて、哀れな彼女に致命傷を与える。

うわぁぁぁぁぁ。

たまたまマリユスは彼女が倒れてる場所に行きがかって、彼女の最期を看取ってくれるけど、そうじゃなかったらあんまり哀しすぎるよ、エポニーヌ。通りがからなかったら、マリユスは自分が誰かに命を救われたことも知らなかったんだから……。

マリユスを知ってから、盗賊仲間の汚い隠語を使うこともできなくなったエポニーヌ。死の間際、ちゃんとコゼットからの手紙をマリユスに渡すエポニーヌ。死後の額への口づけだけを求めて、「あたしいくらかあなたを慕ってたように思うの」とだけ言い置いて、此の世を去っていく。

うわぁぁぁぁぁん。

これが泣かずにいられようか。

コゼットのマリユスに対する想いより、ずっとずっとせつないよ、エポニーヌの想いの方が……。

原文がどんなふうになってるのかは知らないけど、「いくらかあなたを慕ってた」っていう言葉がまたなぁ。好きだとか愛してるだとかじゃなくて、「慕う」っていうのがいっそう泣ける。

テナルディエの娘に生まれたことは彼女の責任じゃないのに、貧乏な、ぼろをまとった盗人の一味としてしかマリユスに出会えなかったエポニーヌ。慕っても仕方がないことをわかっていたエポニーヌ。

ううう。

そして、エポニーヌの弟ガヴローシュも、この防塞の戦いで死んでしまうんだな。

3巻での彼が鮮烈だっただけに、「え、ガヴローシュも!?」とショックだった。

なんというか、最後まで快活で、彼にとっては暴動も「遊び」の一つだったのか、それとも彼は彼なりに政府にもの申すことに意義を感じていたのか、なんか、不思議な存在感。

親からは見捨てられたも同然で、路上で一人生きていた彼は、「年端もいかない少年」とは言っても、私なんかよりずっと自立して生活力もあって、“大人”だったんだろうなと思う。だから、誰に強制されたわけでもなく、それどころか逃がしてやろうとしたマリユスの意に反して防塞に立ち戻ってきたガヴローシュは、「可哀想」とか「哀れ」と言うには当たらないのかもしれない。

エポニーヌにしてもガヴローシュにしても、その短い人生をただ「不幸」とか「恵まれない」とか言っちゃっていいのか、その「恵まれない」境遇の中で彼らは精一杯自分の人生を生きたように思えて、「人生」ってホントに何だろうと……。

ガヴローシュが実の弟と知らずに一夜の宿を提供した幼い兄弟。彼らのその後も少しだけ描かれてる。

ガヴローシュと同じく、街の片隅でたくましく生きていくのかと思わせる短いシーン。

沁みます。

コゼットがテナルディエ夫妻にひどい扱いを受けていたシーンにしても、幼い兄弟が「立派な市民」から「あんなのが無政府主義の始まりだ」みたいに言われ嫌悪されるシーンにしても、こう、「これを読んでるあなたはどうなの?」って突きつけられる感じがする。

読者として彼らの内情を知らされているから同情できる。物語の中の「自分とは関係ない世界」だから、彼らを助けない人々に対して無責任に「ひどい!」と言える。果たして現実世界の自分の隣にあんな子供達がいたら、自分はちゃんと助けてあげられるのか。「ひどくない」対応をできるのか。

1巻でのフォンテーヌも、そして全巻に渡るジャン・バルジャンの、「前科者」としての苦悩も。

自分は彼らを平気で排斥する側に立っているんじゃないか?

マリユスのいる防塞に、ジャン・バルジャンもやってくる。ジャヴェルさえもやってくる。全編通じて「そんな都合良く!」という邂逅が多すぎるのだけど、しかしそれによって描かれるテーマが素晴らしすぎるので、文句言えないんだよなぁ。

ジャヴェルは警察のスパイとして暴徒達に捕まって、で、彼の「処分」を「やらせてくれ」と申し出たジャン・バルジャンは、彼を処刑せずに逃がしてやる。もちろんジャヴェルは彼を「ジャン・バルジャン」だと気づくし、ジャン・バルジャンの方もわかっている。わかっていて彼を逃がし、それどころか「私はオンム・アルメ街に住んでいる」とまで教える。防塞から生きて出られるとは思わないが、生きていればそこにいるからと。

捕まえに来るがいいと言外に匂わすのだ。

「君は俺の心を苦しめる。むしろ殺してくれ」とジャヴェルは言う。ジャヴェルにとってジャン・バルジャンは解き得ぬ謎のような存在で、結局ジャヴェルはその謎の前に自分で自分を殺してしまう。

防塞での戦いで怪我を負い、瀕死の状態になったマリユスを、非常な苦労をして助け出したジャン・バルジャン。彼は再びジャヴェルに出会って、そして再び「自分を捕まえるがいい」と言う。

けれどジャヴェルは彼を捕らえない。

ついにジャヴェルは彼を見逃してしまう。

善良な市長マドレーヌであった彼を容赦なく糾弾したジャヴェル、執拗に彼を捕まえようとしたジャヴェル。法の正義だけを絶対のものと信じ、徒刑囚であり脱獄囚であるジャン・バルジャンの「善」を見ようともしなかったジャヴェルが、ついに。

自分に復讐するどころか、命を助け、あまつさえ「どうぞ捕まえてください」とまで言う男をもはや「きさま」とも呼べなくなっていたジャヴェルはジャン・バルジャンを見逃して、そして自分のなしたことに苦悩する。

彼の心痛の一つは、考えなければならなくなったことである。相矛盾するそれらの感情の激しさは、彼をして考えるの余儀なきに至らしめた。思考ということは、彼がかつて知らなかったことであって、何よりも彼を苦しめた。 (P386)

……え、これまで「考えた」ことなかったの、ジャヴェル……。

「法」を絶対視していた彼は、ただ法に従っていればよくて、自分で善悪の判断をする必要がなかったんだよね。だから彼は「思考」を知らなかった。

すごいな、と思う。ここの、ジャヴェルの苦悩の部分は、すごいことが書いてあると。

彼の最大の苦悩は、確実なものがなくなったことであった。 (P389)

何が正しくて、何が間違っているのか。それを自分で考えねばならないことが、どれほどの葛藤を人にもたらすか。

つまり、普段人は自分の頭で考えているようでいて、実は法律とか世間の常識とかいうものに、判断を委ねているということ。そうやって外部の規範に従うことで、私達は「楽をしている」。

法律では「犯罪者」である男。同時に自分の「命の恩人」である男。それを捕まえないのは「法律違反」であり、けれどそれを捕まえることは良心への、「神の法」への違反になる。

普通の人間ならそんな矛盾には見て見ぬふりをして、どちらか一方に従って、「仕方なかったのだ」と納得する。どちらかを切り捨てて納得する自分を赦してしまう。

でも謹厳なジャヴェルは一方を選ぶことができなかった。揺らいだ「絶対」の上で今まで通り警官として「法の正義」を振りかざすことなどできない。彼の生きる基盤は根底から覆されてしまった。

それで、彼は死を選ぶのだけど。

そういう自殺もあるのか、って。

彼の苦悩は理解されない。警察は「精神に異常をきたして自殺した」と結論づけ、ジャン・バルジャンからさえも「私を放免してしまったところからして、すでにあの時彼は気が狂っていたのだろう」と思われる。

……ジャヴェルの気を狂わしたのは、あなたなんだよ、ジャン・バルジャン……。

徒刑囚でありながら善人である、という複雑を具現化したあなたの存在が、ジャヴェルを混乱させた。

一人の人間の中には善も悪もある、なんていうのは、考えたら当たり前のことなんだけど。

法律も常識も、そんな人間の「複雑」を、ただ便宜上単純に切り分けているものに過ぎないのに。

忘れているんだなぁ。

瀕死のマリユスは無事回復して、めでたくコゼットと結婚する。彼の命を救った張本人であるジャン・バルジャンはそんな自分の善行にはつゆ触れず、ただ自分が徒刑囚であったことだけを告白する。

自分はあなた方とともにいてはいけない人間なのだと。

それを聞いたマリユスはジャン・バルジャンを遠ざけ、コゼットすらも彼から遠ざかる。生き甲斐だったコゼットに会えなくなったジャン・バルジャンは急速に病み衰えていく……。

うわぁぁぁぁぁん、マリユスの大馬鹿野郎ぉぉぉぉぉ!誰があんたを助けてくれたと思ってるんだよぉぉぉぉぉ!!!誰が、あんたの愛するコゼットを貧窮の淵から救い、ここまで可憐な少女に育ててくれたと思ってるのぉぉぉぉぉ!!!!!

いや、ほんま、コゼットもさ、いくら新婚さんで「父親より夫が大事」だっつっても恩知らずすぎるだろ。

コゼット、テナルディエのところにいた時のことはほとんど覚えてないらしくて。

覚えてたら相当トラウマだから、まぁ、自己防衛として幼少時の記憶をなくすのは仕方ないけど、でも、読者としてはすごい腹立つぞぉ!ジャン・バルジャンがいなかったらあんたなんかとっくの昔に飢え死にしてるかもしれないのにぃぃぃぃぃ。

最終盤のジャン・バルジャンの様子はホントに痛々しくて、読んでて息苦しくて。

「良心」のために前科者であることを告白したジャン・バルジャン。

「あなたは、だれに強いられて自白するのかと私にお尋ねなさる。それは下らないものです。私の良心です」 (P505)

ジャヴェルの苦悩の部分と同じく、このジャン・バルジャンの告白もすごい。コゼットと一緒にいられる幸福を捨ててまで良心に従わなければならない葛藤。黙っていれば、結局は毎日が嘘になり、常に「いつバレるか」とヒヤヒヤしていなければならない。

魂の安寧と、生活の安寧は、どうして並び立たないのか。

「幸福になるにはどうしたらいいでしょうか。ああこの私が幸福になるには!そもそも私に幸福になる権利があるのでしょうか。私は人生の外にいる者です」 (P507)

そんな、ジャン・バルジャン。こんな告白をできるあなたに幸福になる権利がないなら、一体誰にその権利があるの……。

「私はあなたの目には低く墜ちながら、自分の目には高く上るのです」 (P508)

「あなたの目に低く墜ちてしまう」ところが間違っているんだよぉ。マリユスの馬鹿ぁ。

いっそおまえが不幸になれよ、とか思っちゃう。

ジャン・バルジャンに幸せになる権利がないなら、あんたにだってたいした権利はないでしょう。家飛び出してほとんど仕事もせずぶらぶら女にのぼせ上がってただけのくせに。

最終的にマリユスはジャン・バルジャンが自分の命の恩人だと知り、コゼットともどもジャン・バルジャンのもとへ駆けつけるのだけど。

遅かりし由良之助。

コゼットと引き離された哀しみですっかりやつれたジャン・バルジャンは、二人の前で息を引き取ってしまう。

「彼女がきてくれたことは、神が親切であらるる証拠だ」とジャン・バルジャンは言う。いまわのきわに愛するコゼットと再び会えたこと、そしてマリユスが自分への誤解を解き、「一緒に暮らそう」と言ってくれたことはもちろん救いだっただろう。

でも。

神様、全然親切じゃなかったよなぁ。

怖ろしいほどの試練を、これでもかこれでもかとぶつけてきたじゃないの。

良心なんかこれっぽっちも持っていないテナルディエがなんだかんだで生き延びるのに比べ、「やっと社会の中に受け容れられる。自分の家庭が持てる」というところで命を奪っちゃう神様。

「悪い奴ほどよく眠る」「正直者は馬鹿を見る」

良心なんか持たない方が楽に生きられるんちゃう……。


はぁ。


人間って、ほんとに、厄介な生きものだなぁ。


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