※以下ネタバレだらけなので、真っ白な気持ちで読みたい方はご注意ください。

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ああ、ついに読み終わってしまった!

寂しい!!寂しいぞっ!!!

最後の方はもったいなくてわざとちょっとずつ読んだりしてました。長いお話って物語世界に入り込んじゃうだけに、終わる時がとても寂しいですよね。どんどんと読んでない部分が薄くなっていく……。

もっともっと続けばいいのに。

もっともっと読んでいたかったなぁ、『モンテ・クリスト伯』。

などと寂しがっていてもしょうがないので、最終7巻目の感想、行ってみましょう。

6巻の最後でアンドレアの正体がばれ、ユージェニーは親友と「駆け落ち」(みたいなもんだよね、ほとんど)してしまいます。

娘の結婚があんな不名誉な形で破れたことにショックを受けたダングラール夫人は、まず愛人ドブレーのところに足を向けます。が、ドブレーに会うことはできず、翌朝になって今度はヴィルフォールのもとへ向かいます。この時まだ、ダングラール夫人は娘がいなくなっていることに気づいていません。

「みんな自分のことにばかり没頭してユージェニーのことを忘れていた」っていうデュマさんの書きぶり、ホントにそうだよなぁ、と思います。ユージェニー自身のことよりも、「破談」が自分に及ぼす影響の方に父も母も気を取られている。そもそも、「あなたのためよ」という結婚が、父にとっても母にとっても「自分のため」だったんですからね。

まぁ、「あんなことがあってショックで部屋に閉じこもってるんだろう」と召使い達が思ってしまうのも無理ないことだし。

ショックどころか嬉々として駆け落ちしてるユージェニーさん最高。

で。

ダングラール夫人は検事総長であるヴィルフォールに、アンドレアを逮捕せず見逃してほしいと頼みます。そうすれば少しは家名も助かるだろうと。

それに答えてヴィルフォール。

「いったいこのわたしを、どういう者とお思いです? 法律そのものです。法律に、あなたのお悲しみを見る目があるとお思いですか? 法律に、あなたの微妙なお気持ちを斟酌するだけの思い出があるとお思いですか?」 (P26)

検事総長が個人的な理由でその責務を放棄したりごまかしていたりしたら、「法律」なんてあってなきがごとしですものね。

もちろん、ヴィルフォールはその責務を一度放棄してしまった。罪のないエドモン・ダンテスを、個人的な理由で獄に送ってしまった。でも、だからこそ。

「つまり、わたしが罪ありとみとめた一人一人の人間、わたしが罰してやった一人一人の人間、それは、とりもなおさず必ずしもこのわたしだけが醜いものではないという活きた証拠、新しい証拠をしめしてくれたわけなのですから!」 (P27)

厳格で勤勉な検事総長、彼の働きの裏には、そのような隠れた理由もあったのでした。

これらの言葉を読む限り、ヴィルフォールって、いい人だよね。少なくとも、根っからの悪人ではないというか。人間らしい苦悩に満ち、三悪人の中でもっとも「気が咎めていた人」のように思えます。「自分の罪」を認識し、その棘に苛まれながら生きていたと。

しかしダングラール夫人って、ほんと困った尻軽女だと思います。ヴィルフォールに「見逃して」と頼む時、当然昔の「関係」、昔の「秘密」をほのめかしているし、たぶん、「今でも私のこと、嫌いじゃないでしょう?」みたいな媚びも入ってるし。

「あの人ならきっと私の頼みを聞いてくれる」と思ってヴィルフォールの家訪ねてるんでしょうからね。ホントになんでこの女からユージェニーのような娘が生まれたのか……。母親を反面教師にしたってことなんですかね。「男なんて!男に媚びる女なんて!」と。

あえなくダングラール夫人の願いは断られた一方、ヴィルフォールの邸では悲劇が継続中。そう、6巻で毒殺されかかったヴァランティーヌの容態は予断を許しません。

毒を盛っているのはもちろんヴィルフォール夫人なわけで、メルセデス以外の「夫人」はまったくさんざんな描かれようですね。

ちなみにヴィルフォール夫人はなんと25歳らしく。ヴァランティーヌと5歳くらいしか違わない。それで継母。息子のエドュワールが5歳にはなってそうなところを見ると、結婚したのはまだ10代だよね。19世紀ならいたって普通なんだろうけど、しかし自分とたいして年の違わない娘のいる、自分より20歳は年上だろう男の嫁になるって……。どういう経緯で二人が結婚することになったのか、最初から彼女は金の亡者だったのか……知りたいところ。

さて、それで。

マクシミリヤンに泣きつかれてヴァランティーヌを助けると決めたエドモン、ヴァランティーヌの部屋にこっそり居座って、不眠不休で監視。ヴァランティーヌ本人にもヴィルフォール夫人が毒を盛っているところをしっかり確かめさせたあとで、エドモンは彼女を仮死状態にします。

「一旦死んだ」ことにしなければ、ヴィルフォール夫人は執拗に彼女の命を狙うに違いないので、単純に「解毒剤で助ける」とか、現行犯でヴィルフォール夫人を捕まえる、というわけにいかなかったのですね。

そもそもモンテ・クリスト伯がヴァランティーヌの部屋にいる、っていうのが変なので、「現行犯逮捕」は難しい。それに、エドモンとしてはやはりヴィルフォールに対する復讐は果たさなければならないから、ヴィルフォールに十分な苦悶を与えるためにも、ヴァランティーヌを「死んだことにする」必要があった。

でも。

「仮死状態」って、どれくらいまで大丈夫なもんなの?

医者を騙せるってことは脈も止まってるってことで…。エドモンがブゾーニ司祭として彼女のそばにやってくるまでに、それなりに時間が経ってるけど、たとえば2時間とか3時間とか経ってからでも「蘇生」させられるもんなの???

そして、埋葬されたのは誰なのか。

ブゾーニ司祭として駆けつけたところですでに「死体のすり替え」が行われていなければ、さすがに埋葬まで「仮死状態」を続けることはできないと思うんだけど、いくら死体で、悲しみに目を曇らせられていても、家族の目には本物か偽物かわかるんじゃないのかなー。

まぁ、「すり替えた」という記述は出てこないし、どういうトリックを使ったのか詳述されてないけど、そしてそれは物語の「筋」としては些末なことなんだろうけど、でも気になる。「ロミオとジュリエット」でも「死んだように見せる薬」って出てくるでしょ。あれってホントに存在するものなのかしらん。ググると「フグ毒ならできるかも」とか出てくるけど…。

「敵を欺くにはまず味方から」ということなのかどうか、エドモンはマクシミリヤンにも「ヴァランティーヌは生きている」とはっきりとは告げません。マクシミリヤンが身も世もなく嘆き、自殺しかねない勢いだというのに。

ただ「希望を持て。後を追って死のうとは思うな」と言うだけ。

その日は、9月5日。

マクシミリヤンの父モレル氏を救ったのと同じあの9月5日に、エドモンは約束するのです。「1か月後の10月5日までに、私はあなたを元気にしてみせる」と。

1か月。恋人を亡くして死にたがっているマクシミリヤンにとっては、決して短くはない苦悩の日々です。まだヴィルフォール夫妻の件が片付いていないから真相(ヴァランティーヌは実は生きている)を明かせないのはわかるけど、でも親切なのか意地悪なのか……って感じですね、この仕打ち。最後には黙っていた理由として「不幸を味わってこその幸福」みたいなことも言うんだけど……1か月の苦悩、可哀想だわ、マクシミリヤン。

さて。

一方ダングラールです。

アンドレアとの結婚で金を手に入れるはずが失敗し、それどころか家名に大いに傷がつき、しかも台所は火の車なダングラール。モンテ・クリスト伯に最後の金までむしり取られて、いよいよ夜逃げしちゃいます。割とあっさりしてるのが好感が持てる(笑) 「じゃあ逃げちゃえ!」っていうの、やっぱりユージェニーと似たもの親子なのでしょうか(爆)。

しかもダングラールが夫人に宛てて書いた「書き置き」がなかなか良いのですよ。夫人に対する皮肉に満ちて。

そもそもなんで夫人はダングラールと結婚したんでしょうね。ダングラールが夫人の持参金目当てだったのはわかるとして、夫人の方には彼との結婚にどんなメリットがあったんだろう…?

「思えばお前をもらった当時、たとい金持ではあったにしても、かなり評判のわるかったお前だった。(中略)そこでわたしは、かつてお前を妻にしたときそのままに、つまり金持ではあったにしても、あまり評判のよくない女としてのお前を残していこう」 (P165-P166)

「尻軽女」として有名だからこそ、「誰かの妻」という名目が必要だったのかな。社交界的に。そしてそんな「評判の悪い女」を喜んで「妻」にしてくれるのは金目当てのダングラールのような男だけだったと……。

しかしそんな「評判の悪い女」と不倫して赤子を埋めるという「過ち」を犯してしまったヴィルフォールも……ねぇ。魔が差したのかしら…。

で、娘にも夫にも逃げられてしまったダングラール夫人は愛人のドブレーのもとへ駆け込むのだけど、このドブレーって男がまた!

二人の仲が実際に「愛人」だったのか、肉体関係や「愛してる」という言葉の応酬があったのかどうか、それはわからない。でもダングラール夫人は彼を「愛人」だと思って、「夫がいなくなった以上ドブレーと」というつもりで、彼に助けを求めに来た。その「愛情」を期待して訪れたのに。

ドブレーにとって夫人は「ただの金づる」だったんだよね。ドブレーには全然その気がなかったの!!!

ダングラール夫人ぇ…。

身から出た錆とはいえ、ある意味ダングラール以上にひどい痛手を負ったんじゃない? エドモンの復讐の、もしかしたら一番の被害者。死産だったと思っていた子どもは殺人犯として姿を現すし。

そう、アンドレアの裁判の場に、彼女もこっそり姿を見せているんです。もちろん検事総長ヴィルフォールも自ら出席しての裁判なのだけど。

その裁判の前に、ヴィルフォールは妻に「おまえのやったことはすべてわかっている。私が帰ってくるまでに、自分で自分の始末をつけておけ(つまり死ね)」と言い置いてきていました。裁判で何が暴かれるのか、邸に帰る自分の心境がどのようなものになっているのか、予想もしないまま……。

裁判で、アンドレアは「自分の父はヴィルフォール検事総長です!」と明言します。収監されている間に、ベルツッチオがそのことをアンドレアに伝えていたのです。裁こうとした殺人犯は、かつて地に埋めようとした自分の息子だった。そのあまりの衝撃にふらふらになって邸へ戻ったヴィルフォールは…。

「おお! 虎と蛇との夫婦なのだ! まさに似たもの夫婦なのだ!…あれを生かしてやらなければ! そしてせめては、おれの汚名であれの汚名をかばってやらなければ!」 (P270)

妻の悪事も、自分が発する「罪の空気」に感染したからなのだと思い、彼女の罪を許してやらなければ、と思うヴィルフォール。ヴィルフォールって、やっぱりいい人だよね。誰でも罪を犯す可能性はあって、私たちがそれをせずに済んでいるのはただ幸運なだけかもしれなくて。「罪の自覚」と葛藤を持ちつづけていたヴィルフォールは、とても普通の、いつでも私たちがそうなりうる、“善良な”人間なんだろう。

だからこそ、最後には耐えきれずに気が触れてしまう。

「妻を赦さなければ!」という決意を胸に邸に戻ったヴィルフォール。でも、ほんの少し遅かった。間に合わなかった。

夫人は毒を飲んでしまっていた。しかも、息子を道連れにして。

ヴィルフォールもエドモンも、「母」というものを見くびっていたんだね。「自分で自分の始末をつけろ!」と言った時、ヴィルフォールは夫人のことしか頭になかった。夫人に毒薬の講義を行い、自らの復讐の手駒として利用したエドモンも、幼い子どもの犠牲までは望んでいなかった。

またしてもブゾーニ司祭として邸に現れたエドモンは、ついにヴィルフォールに正体を明かします。ヴィルフォールは妻と子どもの死体をしめし、「これで気が済んだか!?」と叫び、気が違ってしまうのです……。

子どもの死体を見せられたエドモンは顔色を変え、

そして、自分として、復讐の権利をはるかにふみ越えてしまったこと、自分として、もはや、『神われにくみしたまい、神われとともにいます。』と言うことのできなくなったことをさとった。 (P283)

エドュワールが死んでからというもの、モンテ・クリスト伯の心には大きな変化が起こっていた。ゆるやかな、曲がりくねった坂道をたどりながらついに復讐の絶頂にまで達した彼は、その山の向こうがわに、懐疑の谷を発見したというわけだった。 (P319)

「復讐の権利」とは何でしょう。

無実の罪で14年もの間牢獄で暮らし、ファリア司祭との出会いがなければおそらくそのまま獄死していたエドモン。目の前に広がっているはずだった明るい未来を奪われ、闇の底へ突き落とされた彼に、「復讐の権利」がないとは言えない。彼を陥れた3人の人間には相応の制裁が加えられて然るべきだと、私も思う。

でも。

彼らの家族にまで罪があるのか。彼らを苦しめるためにその家族まで悲劇に落とすことは「正当」なのか。

彼らのせいでエドモンの父は飢え死にした。「同等の苦しみを与える」と言っても、そもそも「将来ある20歳の青年」ではなくなっている3人の中年男たちに、どうすれば「同等の苦しみ」が与えられるのか。同じように14年の牢獄暮らしを強いたとしても、それはエドモンが20歳で味わった暗黒とはやはり違うだろう。

罪にふさわしい罰ってなんだろう。

そんなものあるんだろうか。

夜逃げしたダングラールを、エドモンはルイジ・ヴァンパに捕まえさせる。そして彼を飢えさせ、法外な値段で食事を提供する。金の亡者である彼には、何を失うより金を失うことが「罰」になるから。

でも、エドモンはダングラールを最後までは追い詰めない。アンドレアによって殺されたカドルッス、自殺したフェルナン、狂気に落ちたヴィルフォール。ダングラールだけは、命も、正気も失わずにすむ。

「わたしは、あなたによって父を飢え死にさせられた男であり、そのためあなたを飢え死にさせようとし、しかもいま、あなたをゆるしてあげようとしている男なのです。それは、このわたし自身、ゆるされなければならない男だからです」 (P403)

ダングラールって、3悪人の中では一番悪いというか、「首謀者」と言ってもいいのに、最終的には彼だけが「赦される」ことになるんだなぁ。

「わたし自身、ゆるされなければならない男だから」。

幼いエドュワールまで犠牲にしてしまったことはもちろん、「復讐」とはいえ多くの人の人生を狂わせたことに対する「罪の自覚」がエドモンにもあったんだろうなぁ。とりわけ、「エデ」の存在が大きいのだろうと、私は勝手に思うのだけど。

エデとともに「もう一度幸せになれるかもしれない」と思ったからこそ。

「復讐」だけが生きる意味だった彼に、そうじゃない人生が開けた時、「自分は生きていてもいいのだろうか。幸せになってもいいのだろうか」という思いが強く去来したのでは。

だからあなた方には幸せになってもらわなければ、とマクシミリヤンとヴァランティーヌに言うのだ。

「このわたしが、お二人をお救い申したということを、どうか神さまがおぼえておいてくださいますよう!」 (P430)

それでも最後の最後まで、エドモンは「エデとの人生」を選ぶことに躊躇していたのだけどね。

はぁ。

19世紀のジェットコースターエンターテインメント、本当に面白かった!なんで今まで読んでなかったんだろう、と思うぐらいだけど、でも、今だからこそより一層楽しめたのかもしれないし、『レ・ミゼラブル』との対比も面白かった。

うん、きっと「今でしょ!」のタイミングだったのだと。

「本を読む」って、そういう「出会い」なのだと思ってる。

最後にもう二つだけ引用。二つともエドモンがマクシミリヤンに向かって言った言葉です。

「わたしたちの失ったどの友人たちも、けっして地面の下に眠っているのではないのです。彼らは、わたしたちの心のなかに葬られているのです。神さまは、わたしたちがいつもそれらの人たちといっしょにいられるようにと、そうしてくだすったというわけなのです」 (P299)

「人は誰しも、自分のそばで涙をながしたりうめいたりしている不仕合わせな人にくらべて、自分のほうがずっと不仕合わせだと思っています。それこそ、われらあわれむべき人間どもの思いあがりの一つなのです」 (P344)