2014年1月15日水曜日

修道士カドフェル9『死者の身代金』/エリス・ピーターズ



カドフェルシリーズ9巻目です。

8巻目の終わりでスティーブン王に対する謀叛が勃発し、ヒュー・ベリンガーも兵を率いて出発しなくちゃ!という情勢になっていました。

なのでこの巻は、ヒューの帰りを待ちわびるアラインのもとをカドフェルが訪れ、やっと戦地から戻ってきたヒューを二人で出迎えるシーンから始まります。

ヒューは無事帰ってきたものの、ヒューの上官であり州の執行長官であるプレストコートは行方不明。死んだのではなく、ウェールズで捕虜になっているのではないかと疑われています。

そこへゴドリクス・フォードの女子修道院からウェールズの若者が一人捕虜になっている知らせが入り、その若者とプレストコートとの捕虜交換が模索されます。

この、ゴドリクス・フォードの女子修道院には非常に有能な、ウェールズから略奪にやってきたならず者達を罠にかけるだけの頭と指揮の才を持った修道女マグダレンがいるのですが、マグダレンとは誰あろう、5巻目『死を呼ぶ婚礼』に出て来たソーンズベリのエイヴィスなのです。

60歳くらいの花婿ドンヴィルが、うんと年下の花嫁と結婚式を挙げる前の晩に会いに行った長年の愛人、それがエイヴィスでした。

ドンヴィルの死を知り、さっさと尼僧になってしまったエイヴィス、いかにも「この後も活躍してくれそう」な感じでしたが、しっかり出て来ました。

プレストコートの娘メリセントに「もう人との付き合いは終わりです。連れていって尼僧にしてください」と頼まれたエイヴィス改めマグダレンは、「まあ、あなた」とその物言いを咎めます。

「死んでしまわぬ限り人との付き合いを終わるわけにはいかなくてよ。(中略)生きている限り、人間から逃げることは出来ないの」 (P163)

純粋培養の尼僧ではなく、愛人暦20年以上(たぶん)を経て神の道を選んだ人の言葉はやっぱり深い。

あくまでもあっけらかんと明るい感じなのがまたなんとも素敵です。

で。

なんでメリセントが「尼僧になりたい」などと思い詰めることになったのか。

それは、無事捕虜交換でシュルーズベリに戻ってきたはずの彼女の父プレストコートが2時間後には亡くなり、その容疑者がプレストコートと交換されるはずの若者イリスだったから。

捕虜として捕まっている間に、イリスとメリセントはあっという間に恋に落ち、その恋を燃え上がらせていたのです。

……ちょっと、ここの展開が、おばさんにはついていけませんでした……。

ウェールズの若者にとって、色白で金髪のメリセントが「神々しい美女」に見えるのはともかくとして、そんな短い間に「二人はもう離れられない!お父様なんか戻ってこなくていい!」というほどの愛を育んでしまえるものなの。

まぁ『ロミオとジュリエット』もたったの5日間かそこらの話で、おそらくイリスとメリセントの方がもうちょっと長いんだけど。

プレストコートが無事帰ってきたらイリスもウェールズに送り返される。だから二人は「いっそ帰ってこなきゃいいのに」と思っていたわけで、「君と離れるぐらいならボクは悪魔にだってなる!」みたいな若気の至り発言を連発していたイリスはメリセントから「あなたがお父様を――!」と疑われるわけです。彼がプレストコートの部屋に立ち入ったことは事実だったし。

というわけで、カドフェルの出番。果たして真相はいかに?

若い恋人同士にはあまり感情移入できないものの、謎解きはやはり面白く。

「神はやたらに死を命令することは許さない。物であれ悲嘆であれ、巡礼であれ監禁であれ、それで死が償われれば、長年多くの命が失われるよりはるかによいというものだ」 (P244)

と、暗に恩情判決を諾うオエイン・グウィネズ(ウェールズの大公)も魅力的。こういう「お殿様」ならついていこうと思うなぁ。

スティーブン王も捕らわれたり、内乱が激しくなる中、

人もこれほど目先のことばかり考えていたのでは、生きている間苦労が絶えないのではあるまいか。 (P8)

野心と権力に酔った者は武器を捨てることができず、これから殺そうとする相手の人間性を理解しようともしない。 (P8)

といったピーターズさんの筆に強くうなずいてしまいます。

「真犯人」に殺される前から、重傷を負って担架で運ばれていたプレストコート。特に好きな人物ではなかったとはいえ、決して悪い執行長官ではなく、ヒューとともにシュロップシャー州の平和と治安を守ってきた彼。2巻から出ていた馴染みのキャラクターがいなくなってしまうのはやはり寂しいですね。

今後はヒューが執行長官に昇格するのかしら。

シリーズ最終20巻目に辿り着くまでには、まだまだ見知った顔がいなくなることもあるのだろうなぁ。

でもソーンズベリのエイヴィスのように新しく登場してレギュラーになりそうな人もいるし。

プレストコートの葬儀の参列者としてさらっと「町長の息子フィリップ、その妻エンマ」と言及される二人も4巻目『聖ペテロ祭殺人事件』の登場人物。無事結婚したのね~。こんなふうにさらっと登場させるなんて心憎い。

町長の息子夫妻だし、この先名前だけじゃなく本格的な再登場あるかしら。

1巻目で57歳だったカドフェルも61歳。9冊の間に4年の歳月が流れているのですね。20巻目ではカドフェルは65歳ぐらいかしら……。

最後の「恩情判決」というか、「決着のつけ方」がいかにもこのシリーズならではで、「罪と罰」ということを考えさせられます。ある罪にふさわしい「罰」とは何なのか、何をもって「償い」というのか。失われた命は二度と戻らない以上、もう一つの命を差し出してさえ「真の償い」にはならないのなら……。

現代の感覚からすると「この結末でいいの?」という落ち着かない感じもあるんだけど、こういう終わり方があるからこそ素敵なカドフェルシリーズでもあって。

「できれば神の手に委ねたい。そしてその神の手が長ければよい」という感覚。キリスト教信者ではないけど、「人が人を裁けるのか」とは思ってしまいます。

「もし誰もつまずかず、道を踏み外すことがなければ、この世はすべてうまく行くであろう。しかし、われわれは誰しもつまずき、転ぶのだ。それを承知で対処して行かねばならない。それをし、共に苦しみを分かち合うのだ」 (P283)

これはカドフェルのセリフですが、深いですよねぇ。こういう心構えが今急速に失われているような気が……。


私はこの9巻目を光文社文庫版ではなく図書館の社会思想社版で読んだのですが。

なんと「解説」に『修道士ファルコ』の名前が出て来るのですよ! 「お勧めのコミック」として。

社会思想社版は1993年1月の発行。つまり21年前。21年前にすでに「残念ながら掲載誌の休刊で連載は中断」と紹介されている『修道士ファルコ』。よく復活したなぁ。

社会思想社版で読んでよかった♪と思ったことでした。


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