カドフェルシリーズ11作目です。

これは、すごい。

めちゃくちゃ面白かった。

ここまで11作読んできて、どの作品もそれぞれ面白かったけれど、この『秘跡』は1、2を争う傑作だと思います。

一応「ミステリ」だし、さわりをちょっとしゃべっただけでもネタバレになってしまうので――そして何も知らずに読んだ方が絶対良いと思うので――今回ストーリーについては触れませんが。

別に、殺人事件はないんです。

相変わらず女帝モードとスティーブンの内乱は続いていて、その煽りを食って焼け落ちたハイド・ミードの修道院から二人の修道士がシュルーズベリにやってくる。でも別に、どっちかが殺されるとか、どっちかが何らかの嫌疑を受けているとか、そういう話ではない。

社会思想社版だと背表紙にちょっとした「あらすじ」が書いてあって、同じ内容がAmazonさんの「内容紹介」にも書いてあって、実はこの数行の「あらすじ」を読んだだけでも、「え?それってもしかして」と思っちゃうんですけど、その「もしかして」が読み進むにつれどんどん確信に代わり、でもなかなか真相は明らかにされず、すごい緊張感を保ったままお話が進んでいく。

「どうなるのぉ!」とページを繰らずにいられないのです。

この、「おおかた見当がつく」というところがすごくミソだと思うのですが、読者はその自分の「見当」がいつ「真相」に変わるのか、どんな形で暴かれるのかが気になって夢中で読み進んでしまう。

ほんと、ピーターズさんってば巧い。

しかも「断言」は最後まで出てこないの。

カドフェルが「真相」に辿り着いても、決定的な文言は一つも出て来なくて、状況証拠からほのめかされる「真相」を読者も「確信」として持つしかない。

直接的な言葉を出さずに、それでも十分読者に「わからせる」この表現の積み重ねというかもうなんかホントに話の組み方も言葉の選び方も(まぁ原文で読んでるわけじゃないので翻訳に負うところも大きいのだろうけど)素晴らしすぎます、ピーターズさん。

最後の決着のつけ方もカドフェルシリーズならではだしねぇ。

すべてを白日の下にさらすことが正義ではない、ということ。

カドフェルのみならず、真相を知る少数の人間がそれぞれに口をつぐんで事態を丸く収めるのも素敵。

カドフェルの頼みならと、細かい理由は聞かずに協力してくれる人々。

いいよねぇ。

悪い人は一人も出て来なくて……いや、一人だけちょっと、修道士のくせに煩悩を捨てられなくて魔道に落ちそうな人が出て来るんだけど、ギリギリ踏みとどまってたし。

この危うい修道士を救うのがカドフェルじゃなく見習い修道士のルーンってところもいいなと思う。

ルーンって、前作『憎しみの巡礼』で聖ウィニフレッドの奇跡を体現した少年なんだけど。

生まれながらに不自由だった足が奇跡によって癒え、そのままシュルーズベリで聖女に仕えるべく修行を始めている。

彼もまた、「事の真相」を理解し、それが公にならないように一役買うのだけど、彼の純粋で聡明な魂はもちろん、やはりそこには「彼を通じての聖女の奇跡」が働いているような気もして。

神さまなんか信じないけど、でも「神の計らい」というしかない「決着」ではあって、人がより良く生きようと努めれば、何らかの「天の配剤」というものは起こりえるのだろうと、カドフェルシリーズを読んでるとつい納得させられてしまいます。

いやー、ほんとにねー。すごい話だったわ。

そもそも「なぜそこまでの献身ができたのか」というところが謎というか「12世紀の感覚だとありなの?」というか。こういうお話が成立するのはやはり中世ならではなんだろうなと。

タイトルの「秘跡」という言葉は一番最後の「祈祷書」からの引用部に出てくるけど、日本語タイトルつけるのすごく難しい作品だと思う。

原題は「An Excellent Mystery」。「ミステリー」というと推理小説からの類推で「謎」という日本語が思い浮かぶけど、辞書をひくと第一義は「神秘」で、宗教上の「真理」という意味や、キリスト教での「聖餐式」の意味もある。

「すぐれた神秘」「素晴らしい真理」

事件そのものが、「人間」とか「生きる」ということとか、「愛」ということについての「素晴らしい真理」であるということなのか。

そもそも「人」という生き物が「すぐれた神秘」であると……。

お見事です。


【カドフェル感想記事一覧はこちら