※以下、ネタバレあります。これからご覧になる方はご注意ください。

『京都大火編』がなかなか面白かったので。

期待して見に行ったのですが。

うーん。

京都大火編の最後で煉獄が沈まず、そのまま首都攻撃に行ってしまいそうだったので、後編は映画オリジナルの展開になるであろうことは覚悟していました。どういうふうに改変してまとめるのか、むしろ楽しみだったんですが。

うーん。

比古師匠のくだりが長くてですね。

剣心が「奥義」を――「自分の命の重みを知る」というのは大変重要なテーマだと思うので、じっくり描くのはいいと思うのですが、それにつけても長かったなぁと。

前半すっかり「福山雅治映画」になってた感じ。決して福山さんが格好良くないわけではなく、アクションも見事にこなしていたけど、でも原作の比古師匠が好きな人間としては見てる間ずーっとむずむずしてしまいました。

早くこのくだり終わって次へ行ってくださーい、と。

そもそも浜辺で剣心を拾うところからして。

都合が良すぎるだろうと。

途中で翁が「もしも緋村くんが生きているなら行くのはあそこしかない」みたいに言うのですが、剣心自ら師匠を求めたわけではないのですよねぇ。たまたま師匠に助けてもらっただけで。

「奥義を会得したい」と自分からケンカ別れした師匠に頭を下げに行ったわけではなく、そして師匠が「バカ弟子」の“るろうに”としての生き方を薫や弥彦といった第三者から聞くわけでもなく。

たまたま浜辺に行ったらバカ弟子拾っちゃったって何(´・ω・`)

しかもあの浜辺はどこなのか。

煉獄って、大阪湾だよね? 京都大火と同時に、煉獄は大阪湾から東京へ向けて……だったはずだよね。京都の市中に海はないから(当たり前)、剣心が打ち上げられてたのも大阪のどこかの浜なんでしょ。師匠は一体どこの山奥にいるの……。

薫ちゃんも都合良く漁船に助けられてこぎれいな診療所に運ばれてるんだけど(あの時代にあんなベッドをいくつも置いた診療所ってもうあったのかな?)、そこから葵屋の手ぬぐいを頼りにわざわざ京都まで連絡に来てくれて。

まぁ、京都-東京ほどの距離じゃないし、そういうこともないとは言えないでしょうが、連絡が来て駆けつける左之と弥彦は走って大阪まで行ったんかなとか…。(パンフレット見たら「京都の病院」って書いてあった。大阪湾のどこかで漁船に助けられて京都の病院まで運ばれたん…)

京都-東京と言えば、煉獄が浦賀沖あたりまで来たところで「この漁師が頬に十字傷の男が浜に倒れているのを見たと」と言って志々雄の前に運の悪い漁師が引き出されてくる。

え、え。

煉獄は大阪湾を出発してずっと海上を来てたと思うんだけどその漁師は一体どこの浜から連れてこられたの??? 志々雄(あるいは方治)が剣心の死体を探すよう部下に命じていて、それであの漁師が「その男なら…」とうっかり証言して連れてこられた、という可能性はあるけど、すでに浦賀沖まで来ているらしい煉獄にわざわざ漁師を連れてくるのか……。報告だけならともかく。

そんな重箱の隅をつつかなくていいじゃないか!と自分でも思うけど、気になっちゃうんだよぉ。

薫が意識を取り戻してなぜかふらふら浜辺に出ていくシーンも何だったんだろうと。「海が見たい」なのか?

「これってどこの海なんだっけ?」とあのシーンで思っちゃって、そこから芋づる式に重箱の隅が……。(パンフ通り「京都の病院」だったらますますあの海どこなのかわかんないんだけど…。日本海側か???)

診療所で昏睡状態の薫に「何やってんだよ!」って呼びかける左之のセリフも「いやいやいや、海に落ちたんだから。こんな手負いの女の子に“俺たちが動かないと!”なんて言ってないでおまえがさっさと動けよ」と思ったし。

そもそもあんた達ちゃんと消毒してから病室に入ってんの? ばい菌いっぱいなんじゃないの?(笑)

原作にないオリジナルのシーン、オリジナルのセリフはどうしても気になってしまう。原作の左之助ファンとしては、剣心が公開処刑されるところも「左之ならあんな竹矢来とっとと壊すか飛び越えるかして乱入してるだろ」と思っちゃった。事実、茶番が発覚した後はさっさと壊してたもんね。

当たり前だけど「二重の極み」も安慈との「拳の語らい」もなくて、映画の左之はただの打たれ強い喧嘩屋のまま。それなら無理に安慈と対決させなくてもいいのに。無理に宇水と斎藤のシーン入れなくていいのに。

てか十本刀要らねー(´・ω・`)

みんなちゃんと原作ぽいコスしてくれてるんだけど、宇水さんなんか盲目かどうかもわからないうちに倒されちゃうし、ただの志々雄の部下で良かったんじゃないか。原作知らない人にはあの格好の意味がわからないんだし。

安慈はまだ説明セリフ喋ってたからマシだけど、宇水さんはセリフもなかった。

そう考えると『京都大火編』でのアンクちゃん(刀狩りの張)は出番いっぱいあってホント良かったなぁ。

この後編では宗次郎も意外に出番が少なくて、剣心vs宗次郎も予想よりあっさりめに終わってしまって神木くん不足。

その分最後の志々雄との闘いは派手で、時間もたっぷりあって、剣心・斎藤・左之・蒼紫と志々雄が乱れ討つ様はもうなんかすごすぎて何がどうなってるのかよくわからない(笑)。

ほんと、アクションは今回もすごかったです。

でも血みどろもすごくて、「実写だとグロいなぁ」とつい。最後、血塗れボロボロの剣心に白い着物着た薫が駆け寄っていくところでは「あかん、着物が汚れる!」って思ってしまったほど。

血とか泥ってなかなか落ちひんねんから。

マンガでも「こいつら不死身かよ」って思う死闘だったけど、実写だとさらに「こいつらなんでこれで死なねぇんだ」感が強くて、「もういいよ、わかったから」って気にちょっとなりました…。いやホント、吹き替えなしでキャストがあれだけのアクションをしてるってだけで見る価値あるとは思うんだけどねぇ。

あの暑くて動きにくい志々雄スーツで大立ち回りやる藤原くんがまたすごいし。

セリフ回しと言い佇まいと言い、藤原くんの志々雄は「敵(かたき)役」としてのエポックを作っちゃったんじゃないかしらん。

伊勢谷さんの蒼紫もすごく格好いいんだけど、観柳邸での因縁がないことになってるから(今作で対決する時に初めて剣心と顔を合わせる)、「剣心を倒して最強の称号を手に入れる」っていうのが今ひとつ納得できなくて、「ただの頭おかしい人」に見えるのが残念。

まぁだからこそ「狂気の美しさ」が増幅してるところもなくはないけど。

原作よりも吠えててヤバい伊勢谷蒼紫が嫌いじゃない。うん。


「残念」なのか「それでいい」のかどっちなんだよ(笑)。


「よくできてるかどうか」という評価と「好き嫌い」はまた別の話ですから。

サザンオールスターズも矢沢永吉さんもすごいとは思うけど、特に好きじゃないのと一緒で、この『伝説の最期編』も、すごいとは思うけど「これ好き!もう1回見たい!」とまでは思いませんでした。『京都大火編』はけっこう「好き」だったけど…アンクちゃん効果かな…。

志々雄との対決が煉獄の中になってるのは原作よりも絵的に面白いと思うし、その煉獄に向かって政府が「抜刀斎や警官も死んでかまわない」と大砲を撃ちこむっていうのも「本当に悪いのは誰か」を考えさせられて面白い。

うん、原作と展開が変わっているのは別に、かまわないんだよ。でもなんか、なんか、退屈だったんだよなぁ。

やっぱり福山比古師匠のくだりが長いせいかな。本編2時間10分くらいのうち、1時間くらい使ってなかった???

『京都大火編』では刀狩りの張のキャラクターとかコミカルな部分もあったけど、今回はずっとシリアスで重いせいもあるのか。原作やアニメだと死闘の合間にも「おろ?」と笑えるコマがはさまってるけど、実写ではデフォルメできないしなかなかギャグを入れるというわけにいかないから、そういう緩急はなかなかつけられないよね。

一緒に見に行った息子ちゃんと夫に感想を聞いたところ。

息子ちゃん:「“うーん”、と首を傾げる感じ?」

夫:「まぁ期待が大きすぎたんやな」

とのお答え。私以上に原作好きな二人だからな(^^;) 原作まったく知らないで映画を見た人にはどう見えるのでしょうね……。


あと。

斎藤の部下、高野役の眞島秀和さんが格好良かった。出番少ないけど、眞島さんってなんか印象に残る。

「誰かがやらねばならんのだ…!」と言って死んでいく高野に向かって、斎藤が珍しく「ご苦労だったな」とその働きを労うのですが。

斎藤ってそんなこと言うのかな。

ちょうど映画見た次の日の京都テレビ『るろうに剣心』が斎藤と宇水の対決回で、「かつて新選組がそうだったように警察とは日本の治安と民衆の生活を守るのがその任務、どんな理由であろうと一度その職についた以上、任務の過程で命を落とすのは至極当然の事」と言ってましたが。

斎藤と言えば着流しの下に「いつもの警官スーツ」着込んでたのにはびっくり(笑)

最後煉獄から戻ってきて、剣心には薫、左之には弥彦、蒼紫には操ちゃん、と支えてくれる人がいたのに斎藤だけひとりぼっちだったのはちょっと可哀想だったなー。

でも家に帰れば「よくできた菩薩のような嫁・時尾さん」が待っているはず!

ちらっと竹矢来の向こうで見守ってる森高千里さんとか映ったら面白かったのにね(そういう映画じゃない)。

剣心を指名手配しておきながら神谷道場に警官が詰めてないところとか、恵さんが「剣さんを連れて行くなら私を殺してからにして!」って言うのも気になった。「いや、別にあんたなんかさっさと殺されるでしょ」とか思っちゃって。

なんか、そういうことしか思い出せない……。

うーん。

何かを「面白い」と感じるのはどういうことなのか、「面白さ」って何なのか、と考えさせられた映画ではありました。

おしまい。