シメさんディナーショー記事の最後の「注」で、メインのお肉料理をお魚料理に変更してもらったと書きました。

私はお肉が食べられません。

牛肉だけでなく豚肉も鶏肉も鴨肉も鹿肉も馬肉も猪肉も、獣肉は全部ダメです。

ミンチになってると大丈夫なのでハンバーグや肉団子は食べますが、高級レストランの牛100%粗挽きハンバーグとかだと「おえっ」となることがあり、ハムやソーセージも混ぜ物たっぷりのその辺のお安いやつの方が好き。

お歳暮でもらうような塊のハムは肉々しすぎて……。

別にアレルギーとかではないのですが、美味しいと思えないため、無理に食べると吐きそうになります。

特に何かきっかけがあったわけではなく、ものごころついた時にはもう嫌いだったので、小学校の給食は地獄でした。当時はお肉以外にも食べられないものが多く、掃除の時間になっても給食トレイを前に「食べなさい!」と一人残されていることがしょっちゅうでした。

自分で料理を選べる時は注文しなければいいのですが、冠婚葬祭のおよばれの時などはメインのお肉料理が食べられず、宴会やバーベキューの時も野菜しか食べるものがなかったり。

その手の苦労は枚挙にいとまがありません。

が。

この苦労、あまり理解されないのですよねぇ。

「食べないのが悪い」と言われて終わりです。

食べるとじんましんが出るとか下手すれば死ぬ、というのではなく「単なる好き嫌い」、しかも世の中の大多数の人が「大好き!美味しい!」と言っているものを「まずい…嫌い…」と言っているので、「は?なんで食べないの?ありえないwww」という視線がちくちくと刺さります。

視線どころかまぁ普通に言葉で言われるわけですが。「えーっ、なんで?」と。

「なんで」と言われても嫌いなものは嫌いなのですよ。美味しくないんです。喉を通りません。

これがもう少し「嫌いな食べ物」としてメジャーなものなら……たとえば納豆だったりゴーヤだったり、子どもならピーマンやニンジンといったものなら「ありえない」とまでの反応は返ってきませんが、「お肉」ですからね。

「魚が嫌い」な人はまだ理解されるでしょう。

でも「お肉が嫌い」なのは、ものすごく特殊で変わった人間として扱われます。

少数派の悲哀です。

思えば、阪急ブレーブスファンだったり、まだ「ヲタク」という言葉がない時代からアニメファンだったり、食べ物に限らず色々な面で「マイナー」側に所属することが多いです。

「趣味は読書」と言っても村上春樹も東野圭吾も読んだことない人間ですし。

世の中的にはそれを好きな人が圧倒的多数なのに、自分はそれを好きじゃない。

そして自分が好きで大事に思っているものを、世の中の人はそんなにも好きじゃない。

マイナーなものを好きな人間にとっては、「自分が好きなものを他の人は好きじゃない」は当たり前のことです。

なので、自分が好きなものを嫌いな人に向かって、「えーっ、なんで?信じられない!」と無邪気に言える人は羨ましいし、自分が“メジャーの側”だと屈託なく信じられるってすごいな、と思ったり。

まぁそうは言っても、私も旦那さんが「バターやチーズが嫌い」と知った時には「えーっ、なんで?」と思ったし(笑)、たとえば友だちに「実は私レズビアンなの」とカミングアウトされておろおろしない自信はありません。

もし息子が「実は…」と言い出したらおろおろどころじゃきっとすまんわなぁ。

「世の中の大多数の人が好きだが自分は嫌い」でずっと苦労してきたのに、それでもまだまだ私も「メジャー」側の思考なのです。

子どもの頃には嫌いで食べられなかったものでも今は食べられるものもあります。好きになったものもある。だから、「食べないのが悪い」「嫌いなのが悪い」「(食べられるように)練習すればいい」「食べられるようになるべき」という論が完全に間違ってるとは思いません。

なんでも美味しく食べられるにこしたことはないんですから。

食べ物の好き嫌いを言えるというのは――それで栄養上たいした問題がないというのは――非常に恵まれたことです。

食糧危機でサバイバルな状況になったら、私のようなものはすぐに死ぬでしょう。

でも。

「好き嫌い」って、「努力」や「説得」ではいかんともしがたいものなのですよねぇ。

食べ物であれ人や音楽や本の趣味であれ。

いくら栄養がどうこうと諭されても、それで急に味覚が変わるわけじゃないし、無理に呑み込もうとすればするほど「美味しい」からは遠ざかっていく。

「彼はこれこれこういうところが素晴らしいのだ、だから好きになれ!」と誰かに説得されて恋に落ちる人は……まぁ、それがきっかけになることはあるでしょうが、「それだけで」はなかなかないのでは。

「好き嫌い」は理屈じゃないのです。

「好きになれ」と強制できるものじゃない。

大多数の人が好きなものは好きになった方が生きていく上では楽だけれど――。

 
なんかねー、理不尽ですよねー。今回のディナーショーで、弟に「姉ちゃん食べるもんあるんか?」と心配されたんですけど、実は私より弟の方がよほど好き嫌い激しくて、野菜や果物はほとんど食べないんですよ。ただ彼が嫌いなのは「メインの食材」ではないというだけで、彼より私の方が苦労する頻度が高い。

同じ「好き嫌い」でもそれが世の多数派か少数派かで扱われ方が違ってくる。

多数派の人はあっけらかんと、それが「あたりまえ」で、「嫌いな方がおかしい」って言う。何かのきっかけで、「多数」と「少数」は入れ替わるかもしれないのに。

 

以上、少数派の繰り言でした。