先日の「前段」からの続きです。

私は昔の音源をけっこうたくさん所有しているのですが、その音源の大半は「購入したレコードやCD」ではなく、「ラジオからのエアチェック」「レンタルからのダビング」で作られた「カセットテープの山」です。

「音源を所有すること」イコール「音源を買う」ではないなぁ、ということでちょっと昔のことを振り返ってみます。

【レコードしかなかった頃】

私が生まれた50年近く前、「音源」と言えばレコードしかなかったでしょう。私の家にはいわゆる「ステレオ」(チューナー付きアンプ+レコードプレーヤー)と、子どもがいじってもいいポータブルレコードプレーヤーの2つがありました。

ウルトラマンや仮面ライダー、ムーミンといった子ども向けの「テレビまんが主題歌」が入ったレコードをうちの親はけっこう買ってくれていました。

当時はまだテレビ放送を録画するなんてことはできなかったので、子どもがお気に入りのテレビ番組を繰り返し楽しもうと思ったら、「主題歌のレコード」を買ってもらうしかなかったわけです。なのでレコードには主題歌のみならず、ちょっとしたドラマが入っていたりもしました。

あの時代、こういった子ども向けのレコードを一般家庭がどれくらい買っていたものかわかりませんが、今思うと「よくこんなに買ってくれたもんだな」と思います。どれくらいの頻度で聴いていたのかもう覚えてませんが、ポータブルプレイヤーで自分でソノシートを聴いたり、「ピンポンパン」のレコードは途中でぐるぐる同じところを回っていたなぁ、という記憶はあります。

で、子どものためにそこそこレコードを買ってくれていた親が自分のためにもレコードを買っていたかというと、たぶんそうでもなかった。

母は歌好きだったし、父はバタヤン(田端義夫)のファン。でも家にそんなにたくさんレコードがあった覚えはなく、ステレオセットのレコードプレーヤーが大活躍していたような記憶もありません。

ラジオやテレビで流行歌を聴くだけで十分満足していたんじゃないのかなぁ……。

【そしてカセットテープが登場する】

我が家に「ラジカセ」がやってきたのは確か小学校の低学年の頃です。1970年代後半ぐらいかな。東芝の「アクタスパラボラ」という機種でした(リンク先に定価43,800円って書いてあるけど、父ちゃん金持ちやったんか…???)。

新しもの好きの父のおかげで、周りの友達より早くラジカセに触れたんじゃないかな。

私はこのラジカセで、ピンクレディーやジュリー、トシちゃんや聖子ちゃんの歌をいっぱい録音しました。

ラジオからのエアチェック。テレビから録ることもありました。

『ザ・ベストテン』の全盛期で、流行りの歌を少しでも早く覚えて歌うのが小学生のステイタス(?)だったのです。

中学生になるとアニメにはまり、エアチェックやレンタルレコードでアニソンやサントラをやたらに録音するようになります。

レンタルにはお金を払っていますが、エアチェックはただ。必要なのはカセットテープ代だけです。

「若者がネットでただで音楽を聴いている。コンテンツにお金を払おうという気がない」などと言われる昨今ですが、30年前の若者も、そんなにお金は払っていません

だって小中学生だもん、お金なんかないよ。月1000円程度のお小遣いをやりくりしてマンガ買ったりおやつ買ったり。そうそうレコードなんか買えない。

現在我が家の高校生もネット(主にニコ動)で音楽を楽しんでますが、彼にしてみれば「ラジオを聴いている」ぐらいの感覚でしょう。

ラジオだと好きな曲がいつ流れるかわからないけど、ネットだとピンポイントでそれだけを繰り返し聞ける。だからネットの方が音楽業界的にはダメージが大きい、のでしょう。

でも私たち世代はそこを「カセットテープに録音する」ことでクリアしていました。好きな曲だけを繰り返し「カセットテープ」で聴いていたわけです。無料のラジオから録音して。

昔も今も、可処分所得の少ない小中高校生が「音源にバンバンお金を払う」のは無理です。昔のシングルレコードより今の配信1曲は安いと思うけれど、音楽だけがお金の使い道でもない。著作権意識や「コンテンツは有料」という意識があるかどうかより、自由に使えるお金があるかないかの方が大きいんじゃないでしょうか

【じゃあ可処分所得が増えてCDをバンバン買ったか?】

社会人になって「自由に使えるお金」が増えた20代。すでに世の中はCDの時代へと移っています。

当時買っていたのは小曽根真さんやcobaさんのCDが主。安室ちゃんや小室サウンドが席捲していた90年代末まではJ-popのヒットチャートをそれなりに追いかけてましたが、音源は全部レンタル。CDを借りてきてカセットテープにダビング。

レンタルにある楽曲はレンタルで十分、というスタンスでした。レンタルにないけど聴きたい、というものだけを厳選して(?)買ってた。

MDというものが登場して「デジタル録音で音がいい!」「カセットテープよりかさばらない!」ということになると、カセットテープの音源をせっせとMDにダビングするという今思えば恐ろしいこともやりました。ホント、カセットテープのままなら聴けたのに……。

CDをバンバン買う人間ではなかったけど、音楽自体は好きで、「いつでも好きな音楽を聴けるよう」手元に音源を持っていたい、と思う人間ではあったのです。

【CDを買うのはアーティストへのお布施?】

CDが売れなくなったのはネットのせい、とよく言われますが、ネット以前から買うよりレンタルの方が多かった人間としては、90年代のミリオンセラー続出の方が「特殊な状況」で、昔も今もたいていの人はラジオやテレビで音楽を聴くだけで十分で、時々好きな曲を買ったりレンタルする――ぐらいじゃないんでしょうか。

好きなアーティストを追っかけてCDやグッズやライブにお金を費やす、という人は、「本は買って読むものだ」「好きな作家さんの本はコンプリートするんだ」というのと同じくらい一部の人のような。

私はネット登場以後にGACKTさんにはまって、CDやDVDにかなりつぎ込みました。ええ、ただ聴くだけならレンタルでいいのにCDシングルも毎回買ってましたよ。おかげで置き場に苦労しています。

最近はシングルは配信でいいか……となってきました。CDで買うとかさばるし、結局聴く時はPCに取り込んでデータにしてから聴くんですからね。

別に握手券が付いてるわけでもないけど、ファンとして「買い支えなきゃ」みたいな気持ちは確かにあって、コンテンツとしての「音楽」をただ聴きたいだけでなく、「それを買うことがファンである」みたいな、音楽以外の「物語」があるからこそいちいち全部買っているんだと思います。

いわゆる生活必需品以外のものを「買う」――それも熱心に買う、ためにはまず「お金」がいるのはもちろん、その「中身」以上に付随する「物語」が必要で、たとえば「いつかは家を買う」みたいな「マイホーム幻想」も、「それでこそ一人前」というような「物語」によって支えられてるんじゃないでしょうか。

「若者の車離れ」とも言われるけど、「マイカー」も「マイホーム」と似たような「物語」で、田舎はともかく都市部では別に車なんかなくたって生活できるんだもんなぁ。むしろ維持費がかかるだけ。

大量生産大量消費で「物をより多く所有すること」がステイタスだったのって、高度成長期からバブルに至るごく短い期間の特殊なライフスタイルだったんじゃ……。

【音楽ストリーミングにお金を払うということは】

で、やっと音楽ストリーミングの話になりますが、定額聞き放題のストリーミングサービスは「音源を所有するため」ではなく「音源にアクセスするため」にお金を払うものです。

お金を払っている間は何万という曲が聞き放題。サービスによってはダウンロードしてオフラインで聴くこともできるけれど、課金をやめればダウンロードしたものも聴けなくなります。

後には何も残らない。

電子書籍ではサービス自体が終了してしまって、これまでお金を払ってきたものが全部読めなくなる、ということがすでに起こっています。読み終わったものはまだしも、読んでる途中のものがいきなり「サービス終了」で読めなくなったら「えー!」と思いますよね。「書籍」の場合、音楽ストリーミングと違って1冊ずつ、その「対価」を払って「実物的に」購入しているわけですし。

「まだ読んでなかったのに!500円返せ!」って思う。

電子書籍も「所有権」じゃなく「アクセス権」。

中古で売ったり人に貸したりできないし。

音楽ストリーミングも実体がないので当然中古で売ったり人に貸したりはできません。でも「課金をやめたら何も残らない」に関しては、わりと許せる気がする。そもそもが個々の楽曲にお金を払う形じゃなく、「ここにある物は好きに聴いていいよ」ってサービスなんだもんね。

CDというパッケージを持っていても、実際もう「CD」では聴いていないので、音楽が「サーバー」にあることに違和感はない。そのサーバーが自分で構築したものか、ストリーミングサービスのサーバーか、というだけの違い。

個別に音源にお金を払って自分で「アーカイブ」を作るのと、すでにたくさん音源が入ってる業者のアーカイブにお金を払うのと、同じお金を払うならどっちがいいか、どっちが便利か、どれくらいなら払ってもいいか

Apple Musicは月額980円。1年で11,760円。

アルバム1枚レンタルするにも300円ぐらいかかることを考えれば、バカ高くはない。好きなジャンル、アーティストが揃っていて、Apple Musicだけで聴きたい音楽がほぼ網羅できるなら、個別に買うよりお得な気がしなくもない。

家族6人まで使えるファミリープラン1,480円ならさらにお得。うん、iPhone持ちの中高生の子どもが二人ぐらいいたら、十分元取れそうですよねぇ。中高生の子どもの好む楽曲がApple Musicに入ってるか、っていう話はあるけど。

「実体を所有すること」に執着しない若者達は、「アクセス権」にどれだけお金を払ってよいと考えるんでしょう。

10日ほどApple Music使ってみて、クラシックやJazzが色々聴けてなかなか楽しいんだけど、3か月の無料期間が終わった時に「これは聞き続けたいから個別に購入しよう」という楽曲があるかというと微妙。

小曽根さんやcobaさんの持っていない音源、MDにしか入ってないので持っているのに普段聴けないGYPSY KINGSの音源、OTTAVAで気になったギター音楽やJazzの大御所達の名演、「好きに聴いていいよ」と言われると大喜びで聴くけど、じゃあそれを全部買うかっていうと金銭的に無理。そう何度も聞かなくていいし。

むしろその、「たまに聴けると嬉しい音源」を聴くために月500円ぐらいなら払ってもいいかなぁ、と思ったり。

有料ラジオにお金を払うのと似たような感覚。Apple Musicの場合実際に「ラジオ」もあるし、リコメンドされた音楽を適当に聴くことも、自分の好きな曲をピンポイントで聴くこともできる。すでに自分で構築したiTunesのライブラリともシームレスに聴ける。

無料の3か月が終わる前に飽きちゃうかもしれないし、3か月終わって使えなくなったら「ちょっと寂しい」と感じるかもしれない。

どっちにしても、「音源を所有する」意味ってもうあんまりないなー、と思えてきました。いつでも聴ける、何年経っても聴ける、と思って持ってても「MDの悲劇」とか起こるし、CDもレコードも物理的に壊れることはあるし、ダウンロードしたデータは破損する。

地震や津波で全部ダメになっても、AppleIDとしかるべきデバイスとネットと払い続けられるお金があればApple Musicで今まで通り好きな音楽が聴ける。

昔のカセットテープにまとわりついている「青春の記憶」のようなものはもう、クリック一つで入手できる「データ」には付随しないでしょう。自分だけのもの、自分の持ち物である必要はない。

「所有」ではなく「聴く」ことに対してお金を払う方が音楽の本来のような気はします。ストリーミングでお金を払う相手は事業者であってアーティストではない、それではアーティストが食って行けない、ということはあるのかもしれないけど……。うーん、でも本当に好きなアーティストならライブで生で聴くのが一番で、音源用のお金は節約してライブのためにお金を貯める方がいいような。


なんかぐだぐだな記事になりました。

とりあえず無料体験3か月、めいっぱい使い倒そうと思います。