(※2018年6月7日に文庫版も出ました)

橋本さん、久々の書き下ろしです!

出版社のサイトで目次を見ただけで「これは(笑)」と思いました。

「知性はもう負けている」「知性はもっと負けている」という章題だけでやられてしまいます。

出版社の方から「知性に関する本を書いてください」と言われてできたのがこの本で、「知性ってなんだろう?」と橋本さんが考えて出した答えが「負けない力」。

「勝つ力」ではなく、「負けない力」というところがミソです。

全254ページ、活字が大きいのでそれほどの分量はなく、橋本さんの流れるような論調と鋭い指摘にうなずいたり笑ったりしているうちにあっという間に読み終わってしまいました。あまりにさっさと読み過ぎて、何が書いてあったのか思い出せないぐらいです(笑)。読み終わってからちょっと日も経ってしまったし……(仮面ライダー映画を見に行く以前に読み終わってたんですけど、感想書き始めたら長くなるだろうから後回しにしたらもう記憶が……^^;)。

読みながら気になる箇所をメモしていたのですが、もう「気になる箇所」だらけなのですよねぇ。引用したい箇所が多すぎて。

読んでもらった方が早いです。

うん、読んでください。面白いから。

以上――だとあまりに手抜きなので、特に面白かった部分を頑張って少し紹介してみます。

第一章「知性はもう負けている」の中に出てきた節題「勝ちに行くつもりで負ける日本」。苦笑せずにいられない秀逸なタイトルです。

明治以降の日本は、西洋に追いつき追い越せで一生懸命勉強して、学んだことに自分達なりの工夫も施して、そのうちに「勝てる!」という自負心を育んで、でも、結局負けてしまう。

どうして日本は、いいところまで行って負けてしまうのでしょうか? それは日本が「ここら辺でやめておこう」という考え方をしないことです。 (P26)

あはははは。身も蓋もないというか、当たり前というか。

負けたら大変な被害と損失が生まれるんですから、「負けないこと」をまず第一に考えるべきです。でも、どういうわけか日本人は、「どうして我々は負けてしまうのだろう?」を考えないのです。考えるのは、「もう一度勝とう」ばかりです。 (P26)

負けたままじゃ悔しいからもう一回……みたいな今の政権の動きを見ててもそう思いますし、原発事故にしても、なんというか、「負けた(失敗した)ことを認めない」ような感じですよね。「負けたらどうするか、どうなるか」ってことを考えること自体が「縁起でもない」から、そういうことは考えないで、都合の悪いことは見ないふりして突っ走る。

リスク管理というのはリスクをゼロにすることではなくて、リスクを減らしたり分散したりすることで、何かあった時のためにバックアップを取っておくとか、迂回路を考えておくとか、万一負けた(失敗した)時にも損害がなるべく少なくてすむように、最悪の事態をも予想しておくべきもの。

でもなぜか日本では「負ける」とか「失敗する」を考えることはタブーで、その結果「安全神話」になって、必要な対策を考えない。途中で旗色が悪くなっても引き返せず、「勝てるはずだ」で突き進んでひどいことになる。

知性は「負けない力」です。「負けない力」を本気で発動させるためには、「負ける」ということを経験した方がいいのです。負けることをバカにする人に、ろくな知性は宿りません。 (P121)

「途中で引き返せない」というのは、「ここまでお金と時間をつぎ込んだんだから」みたいな「損得勘定」もあるのでしょう。ここでやめたら全部無駄になる、という考え方。ここまでの努力が無駄になるのと、これからも全部無駄になって損するかもしれないこととを天秤にかけるのは考えたら変で、「ここまでが無駄になっても、これ以上の損が出ないことを優先」した方が最終的には「良い結果」になるはずなのに。

そりゃあ「これ以上の損」は可能性の話ですから、引き返さない人にとっては「だってまだ負けるとは決まってない」なのでしょうけど、「ここまでを無駄にしたくない」がために未来予測を甘く見積もるというか、「無駄にしないためには勝つしかない」と思い込んじゃうというか。

完全に、ギャンブルにのめり込んで破産する人の考え方ですよね……。

第四章「「教養主義的な考え方」から脱するために」の中に、日本人の行動原則は「損得勘定」だという話が出て来ます。

その日本人がどうして、「よく分からない民主主義」をさっさと取り入れたのでしょう? 答は簡単です。「それをするとトクになる」と、日本人が考えたからです。 (P158)

日本では、大きな体制の転換があっても、あんまり混乱が起こらない。

損得に敏感な日本人は、「上からの指示」や「社会のあり方」に対して調和的で、だからこそ「そんなことを言ってもしょうがない」として、黙って社会の変化を受け入れてしまうのかもしれません。 (P167)

「空気を読んで」「長いものに巻かれる」日本人は、主義主張よりも「どっちにつけばトクか」ということを考えて、新しく支配的な立場になったものに簡単に同調してしまう。まぁ、みんなが同調するから「同調しないと一人だけ損をする」とも言えるわけで、そもそもどっちが先なのかよくわからない気もするけれど、

普通だったら自分の中に核として存在するような「自分」が、日本人の場合、多くは「自分の外」にあるのです。 (P169)

と言われてしまうと、「さもありなん」と笑うしかありません。日本人は空気を読んでるんじゃなく、「外の自分」にお伺いを立てているだけだったのか……。

日本人にとって、「正解」というのは「自分の外」にあるものですから、必要なのは、「自分で考えて答を出そうとする」ではなくて、「どこかにあるはずの正解を当てに行く」です。 (P170)

グサグサ来ますね。

日本人の「勉強」ってまさにこれですもんね。考える訓練ではなく、ただ「正解」を当てるもの。雑学クイズ番組が好きだった私もまさに……。「正解」が決まっているって楽だもんなぁ。

現実の諸問題には「これといった解決法(答え)」がないものの方が多くて、だから「学校の勉強」ができてもそれだけで「賢い」とか「知性がある」とは言えない。ただ多くの知識があるだけで、「この問題の答えはこれ」という組み合わせをたくさん知っているだけ。

日本の「勉強」は「正解を当てる」だから、たとえば最終的な答えが合っていたとしても途中の式が「その学年ではまだ習っていないもの」だと「×」になったりするし、謎の「掛け算の順序」とか、「決まり事」からはずれた「答え」を書くことが推奨されない。

感想文でさえ、「面白くなかった」とか「いい気味だ」とか正直に書いてはダメで、「出題者の意図する正解」を書かなきゃならない。

「先生がどう答えてほしがっているか」、たいていの小学生は知っているし、良くも悪くも「それを察する能力」を鍛えるのが日本の学校だったりはする。

日本の学校教育に「生徒の独創性を育てる教育」などというものは存在しません。(中略)逆に「独創性などというものを振り回されると、基礎学力を身につける上で邪魔になる」と考えてしまうのです。 (P30)

これは第一章「知性はもう負けている」に出て来る言葉。社会全体が「正解を当てに行く」「どこか外側に正解(自分)がある」を基調としている以上、日本の教育がそこから脱せないのは当たり前のことだという……。

「答は自分の中にある」と思えるのが知性です。「答は自分の中にあるんだから、自分で答を引き出さなければならない」と思うのが知性です。 (P41)

もう第一章で「答え」は出てますね。これまでの著作でもずーっと橋本さんは「自分の頭で考えなさい」しか言ってなくて、この本もやっぱりそういう本です。

だから、この本を読んでいちいちうなずいて、「そうかぁ」と鵜呑みにしているだけではダメなのです。「橋本さんの本に正解がある」「橋本さんが代わりに言いたいことをまとめてくれる」なんて思ってお任せしているようでは、まだまだ私に「知性」はない。

自分で考えなくてはね。