『鋼鉄都市』『はだかの太陽』『夜明けのロボット』というベイリ&ダニール三部作の後日談を描いた本作。

タイトルに「帝国」とついているように、アシモフの別の長編シリーズ「銀河帝国興亡史」との橋渡しとなる作品でもあります。

舞台は『夜明けのロボット』からおよそ200年後。短命な地球人であるベイリはもちろんもう亡くなっていますが、平均寿命300~400年を誇るスペーサーであるグレディアはまだまだ健在。見た目もたいして変わらないまま、ベイリの子孫キャプテン・ベイリといい仲になっちゃったりします。

タイムマシンもなしに昔愛した男の五代目(だったかな?)の子孫と恋仲になれるとかすごいです。

キャプテン・ベイリの本名はダニール・ジスカルド・ベイリ。イライジャ・ベイリが孫の名前にダニールとジスカルドを選んだことから、ベイリ一族の男子にはダニールとジスカルドがうじゃうじゃいるということになっています。

ロボットのダニールとジスカルドは200年後ももちろん健在。ファストルフ博士も亡くなった今、二人はグレディアの所有物となっています。

300年も400年も生きる長命のスペーサーにとって200年前の記憶ってどんな感じなんだろう?と思うのですが、「忘れる」ということのないロボットにとっても、ひたすら溜め込まれていく「記録」はどんなものなのか。移ろいゆく世界で「移ろわない」彼らにとって「時間」とは……。

何百年も稼働してたらそのうちメモリーがいっぱいになっちゃうんじゃないの?という素朴な疑問もあります。グレディアもふとダニールに「いっぱいになったらどうするの?消去してもらうの?」と質問します。

ダニールは、なるべくなら「消去措置」など受けたくないと答えます。

「失うにしのびない記憶があるからです」
「マダム、わたしが言っているのは、わたしのかつてのパートナー、地球人イライジャ・ベイリの記憶です」
 (上巻 P20)

うう、泣けるわ。

ベイリの最期の瞬間をダニールが回想するシーンもあるんですけど、ここがまた、涙なくしては読めない。妻でも息子でもグレディアでもなく、ベイリが最後に逢いたいと願ったのはダニールだったのよ、皆さん!!!

「ダニールに会うまでは死ねない」と言って踏みとどまっていたベイリ、ダニールと言葉を交わして、本当に逝ってしまうのよね。息子ベンジャミンにとっては父親の最期を看取るのが自分ではなくロボットというのが不本意だったでしょうが、読者としては実に、実に、嬉しい。

ベイリ曰く、

「きみが変っていないことを、わが人生の最良の日々の香りが残っていることを、きみがおれを覚えていてくれることを、これからもずっと覚えていてくれることをこの目で確かめたかったからなんだ」 (上巻 P347)

わかる。わかるよぉ。

ベイリとダニール、実は5回ぐらいしか会ってないんだけどね。一緒にいた時間は決して長くない。それでもベイリにとってダニールは「得がたい友」だし、ダニールにとってもベイリは特別な「パートナー」で、「彼の記憶は決して消去されたくない」と思ってる。

もうこれだけでお腹いっぱいになっちゃうぐらいなんだけど、文庫で上下2冊のこの長編の主題は、スペーサーワールドとセツラーワールドの相克であり、ジスカルドとダニールがロボット工学三原則の上位に位置する「第零法則」を導き出していくことです。

『夜明けのロボット』の後、ベイリが先鞭をつけた地球人の「宇宙進出」は着々と成果を上げ、いくつもの植民星が生まれています。もともとの地球人と区別して植民星に生きる者たちは「セツラー」と呼ばれ、彼らの構成する「セツラーワールド」の勢いを、オーロラやソラリアといった宇宙国家からなる「スペーサーワールド」は脅威に感じている。

元はと言えばスペーサーも「宇宙に出ていった地球人」なんですが、寿命も長くなってるし、地球人とは価値観も違う、「異なった文明」になってしまっているのですよね。その長命とロボットによる快適な生活に安住してしまった彼らは安定期から衰退期へとさしかかっていて、パワフルな地球人達の宇宙進出を喜ばない。

そもそも200年前から喜んでいなかったのに、地球人イライジャ・ベイリのせいで反地球派は負けてしまったのでした。

あの時ベイリのおかげでファストルフ博士に負けたオーロラのロボット工学研究所所長アマディロは、性懲りもなく地球人撲滅を企んでいます。ベイリやファストルフ博士は、地球人であれスペーサーであれ、「人類」が滅びず宇宙で生き残れるならいい、と考えていたけれど、アマディロは「地球人だけが生き残るくらいなら人類全部が滅んでしまった方がいい」と考える。

すごいなー、と思うけど、私もベイリやファストルフ博士ほどには達観できないだろうなぁ、きっと。

アマディロは「100年後ではなく自分が生きているうちに地球人がダメになるのを見たい!」という我欲のためにせっかくの計画を自分で台無しにしてしまうんだけど、これもすごく「人間らしい」と感じる。「人類が滅んでも」という話もそうだけど、結局「自分が死んだ後にどうなろうと知ったこっちゃない」みたいなね。

自分自身の人生を離れて、また、自分の属する世界を離れて真に「人類」のことを考えるなんて、なかなかできるもんじゃない。

だから。

「人類」のことはロボットが考える。

作中のかなりの部分を、ジスカルドとダニールの「哲学的」と言っていい会話が占めています。

「人間に危害を加えてはならない」というロボット工学三原則の第一条。普通はこれを「身体的な危害」だと考えるけれど、人間の感情を読むことのできるジスカルドにとっては、「精神的苦痛」も「危害」と考えざるをえない。

どういうことが「危害」になるのか、また、複数の人間がいる場合にどちらを優先するのか。そして“人間”という定義を変えれば(たとえばスペーサーだけを人間と見なし、地球人は範疇に入れないとか)あっという間にロボットは有能な兵士になってしまうのではないか。

「理性の上では、三原則は不完全で不備なものだと思う」 (上巻 P31)

とジスカルドは言います。

「理性の上では」って、ジスカルドには「理性」と「感情」があるってことなのか?と思ってしまいますが、「ベイリの記憶を消去されたくない」と思うダニールには当然「感情」があるわけで、ファストルフ博士すごい、って感じです。

「他人の感情を読んでその感情を増幅したりできる」というジスカルドの能力については「そんなの何をどうプログラムしたらできるようになるの!?」って思うんですけど、自律的なプログラムが「自我」や「感情」を生むことは大いにありえるかな、と。

ベイリの最期の言葉も踏まえて、ロボット工学三原則に「第零法則」を付け加えるダニール。

「“ロボットは人類に危害を加えてはならない。またその危険を看過することによって人類に危害を及ぼしてはならない” わたしはこれをロボット工学第零法則と考えます」 (下巻 P158)

かくて「人類」のために、ダニールとジスカルドは行動を起こすのです。誰に命じられたわけでもなく、自分達で判断して。

そしてダニールはひとりぼっちになる。

ダニールは立ち上がった。彼はひとりぼっちになった――その肩に、銀河系を背負って。 (下巻 P331)

いつも最後の一行が印象的なシリーズでしたが、今回のこれは……つらすぎる。可哀想すぎる。ダニールっ!!!

セツラーはロボットを使用しない。オーロラやソラリアにはヒューマンフォームロボットを作る技術があるけれど、諸々の理由でダニール以外のロボットは公に日の目を見ることがなかった。たぶんこの先もないのだろう。

自我と知性を持ったロボット、そして「第零法則」を自らに課すロボットは広い宇宙にダニールただ一人……。

途中、ダニールが破壊されそうになった時、ジスカルドはダニールを助けるために人間の方に危害を加えるのですよね。「一瞬君のことを“人間”と考えたのだ」と。

そして二人はおずおずとたがいの手を取り、にぎりあった――まるで二人が使っている呼称のとおり、友だち(フレンド)であるかのように。 (下巻 P181)

フレンド・ダニール、フレンド・ジスカルドと呼び合っていた二人。自我と知性を持つ稀有なロボットだった二人は、互いにかけがえのない「フレンド」だった。

フレンド・ジスカルドもパートナー・イライジャもいなくなった世界で、それでも二人との約束を果たすために“人類”を守っていくのであろうダニール。

もう想像しただけで泣けてくるよ、ううう。ダニールぅぅぅ。

その後のダニールについては、「銀河帝国興亡史」シリーズの1冊である『ファウンデーションと地球』に言及があるそうです。『ロボットと帝国』の中では未解明なままだった「ソラリア人の集団失踪」の謎も、『ファウンデーションと地球』の中で明らかにされているそう。



そんなこと言われたら読むしかないじゃないですか。「銀河帝国興亡史」シリーズ全部読むしか……。アシモフさんったら商売上手なんだからもう。


しかし本当に、ロボットを考えることは人間を考えることになりますね。ロボット工学三原則に当たるような「人間を律する法則」はあるのか、人間だけではなく「知性」を持った存在には等しく敬意を払わねばならないのではないのか。それが嫌なら、なぜ「知性」を持ったロボットなど作ったのか……。

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