ウールリッチ
『耳飾り~コーネル・ウールリッチ傑作短編集5』/白亜書房
ウールリッチの傑作短編集第5巻。門野集さん訳出の分はここまで。もう1冊「別巻」として立てられているのは稲葉明雄さんの訳となります。
(これまでの感想記事→1巻目『砂糖とダイヤモンド』、2巻目『踊り子探偵』、3巻目『シンデレラとギャング』、4巻目『マネキンさん今晩は』)
1巻から発表順に作品が編まれてきたこの短編集、最終5巻は1943年以降に発表された晩年の作8篇が収められています。
1940年代半ばから筆力が落ち、徐々に「かつての人気作家」になっていったウールリッチ。ミステリ作家としての全盛はもう終わったとされた時期の作品群ですが。
面白かったです。
うん、むしろ他の巻より胸に迫る。
収録作を選ぶ門野さんの「目」もあるのでしょうね。そして翻訳の巧さも。
しかし、逆説的だが、このあと晩年までのあいだには、ミステリとしての結構を無視したぶん、暗い情念がむき出しになった、彼の全作品のなかでもとりわけ強烈な印象を残す作品が書かれている。 (P285)
と、訳者であり編者でもある門野さんがあとがきでおっしゃっています。「暗い情念」というか「狂気」のようなものが通奏低音のように響いて、その胸苦しさがなんともいえない魅力になっているのですよねぇ。
壊れていく感じ。
好きです。
【耳飾り】
上流階級の女が昔の恋文をネタに脅され、金を払い続けることに倦んで相手の男を殺してしまう。
ミステリではよくあるお話です。
相手の男を殺そうと思ったけど現場に行ったらもうすでに男は死んでいた、というのもよくあるパターン。
この『耳飾り』のヒロインは、脅迫犯を殺そうと思ったわけではありませんでした。男の言うなりに素直にお金を払ってドキドキして家に帰ってきたらイヤリングが片方ない。「さっきあの男のアパートで落としてしまったんだわ!あれをそのままにしていたらまた脅されてしまう!」と思ったヒロイン、慌てて戻ってみると男が死んでいて……。
このお話の影の主役はヒロインの夫。
「まっとうな夫というものは、妻のすべてを理解し、すべてを許すものだ。そして面倒をみる。何より、そうしたことをひとことも口にはしないものだ」 (P52)
いい旦那さんなんだけど。
うん、たぶん、いい旦那さんということになるんだろうけど。
微妙に怖い。
すべてを知って、なじるでもなく話し合うでもなく、妻には何も話さず、「秘密を知っている」と悟られることもなく、ただ必要な手を打って、静かにいつも通りの生活を続ける。
この人、本当に「いい夫」なのかな?
ウールリッチの筆致には、そこはかとない疑念が差し挟まれているような気がする。
脅迫者から解放され、殺人の汚名も着ずにすんだ一組の夫婦。でもこの二人は、果たして本当に幸せな夫婦なのかな……。
【射撃の名人】
これは割と明るめの作品。
射撃の腕を見込まれて変な依頼を受けてしまったばかりに殺人犯にされてしまった男が保護観察官ネルソンのもとを訪れ、「俺はやってないんだ!助けてくれ!」と泣きつきます。
「ただ一人主人公の話を信じてくれる警察関係者が事件の真相を暴いてくれる」という、お馴染みの展開です。
真犯人はちょっとだけ意外だったし、最後のオチにもくすりとさせられ、暗いお話の多い5巻の中では息抜きのような一篇。
【妄執の影】
気の合わない上司のせいで職を失い、ノイローゼ気味の夫。銀行口座の残高はゼロになり、やっと掴んだ再就職のチャンスも例の上司のおかげでふいになり、夫は「あいつを殺してやりたい!」と嘆く。
数日後、夫を絶望の淵に追い込んだその上司が死体となって発見される。殺されたのだ。妻の胸には「もしや夫が…」という疑念が。
夫は13年前にも人を殺していたのだ。結婚を決める前、妻はそのことを打ち明けられていた。
「夫は一度人を殺している。二度殺さないとどうして言えよう?」
上司殺しの犯人はほどなく捕まるのですが、それでも妻は「本当は夫がやったのではないか?」という疑いを捨てられない。夫のポケットからは殺人のあった夜、近くまで行っていた証拠となる電車の切符さえ見つかっている。
無実の人間が誤って逮捕され、その女房は嘆き悲しんでいる。彼らを助けられるのは私だけだ、私は真犯人を知っている……。
「妄執」というタイトル通り、「夫が殺したのでは」という疑念のために常軌を逸していく妻の「壊れ方」がたまらない作品です。
最後、彼女の行動は全然不合理というか、「無実の人間を救うこと」と、「それをすれば夫が逮捕される」ということが結びついていなくて、後から「その理解」がやってきて「嫌だ嫌だ!」になる。嫌も何も、自分で蒔いた種ですぜ、奥さん。
でも「あれ」と「これ」が結びつかないからこその「妄執」だし、人間ってそんなに合理的にできてなくて、辻褄の合わない行動、矛盾する言動を取ることなんていくらでもある。
そもそも彼女、結婚前に「僕は人殺しなんだ」って打ち明けられた時に「なぁんだ、そんなこと。てっきり他に女の人がいるのかと思ったわ」って反応をしてるんだよね。
彼女が感じたのは、安堵だけだった。拍子抜けでさえあった。 (P101)
たとえるなら、息子がやってきてこう言ったのと同じだった。「石を投げて、誰かの家の窓を割っちゃった」もちろん、してはならぬこと、悪いことだ。街角の警官は渋い顔をするだろう――しかし、そんなことで子供への愛情が薄れることはない。分かり切ったことだった。 (P101)
この描写、すごく巧いなと思うんだけど。
恋に盲目になってる時ってそんなもんだろうな、って。しかもそれは「10年前の人殺し」で、彼女にとっては何の実感もない、「言葉の上だけのこと」に過ぎない。「そんなの何でもないわ」と思っちゃっても仕方がない。
でも。
それが「身近に起きた殺人」なら。
会ったことはないとはいえ、殺された相手は知ってる人間。しかも夫は「あいつを殺してやりたい」と言っていた……。
疑念が差した時点でもっと夫と話し合っていれば良かったんだけど、「10年前の人殺し」を打ち明けられた時に「喧嘩してもこのことだけは持ち出さないでくれ。決して口にしないでくれ」と言われている以上、「ええ、黙っていると誓うわ」と答えた以上、冗談でも「まさかあなたがやったんじゃないでしょうね?」などとは言えなかった。
うん、わかるよ、わかるけど。
夫を疑うなんて「裏切り行為」だ。でもちゃんと話し合っていれば、疑いは晴れたかもしれない。疑いのまま温めてしまったから、それは「妄信」にまで育ってしまった。
『耳飾り』もそうだったけど、「黙っている」というのは本当に優しさなのか。たとえ大喧嘩になったとしても、それで別れることになったとしても、ちゃんと向き合って、ちゃんと話し合って……。
結婚する前、「二度と口にしない」と誓った時、妻は「墓場に眠る者のように黙り続けます」と言ったのです。だから原題は『Silent As The Grave』。「妄執」なんて言葉は原題にはないのよね。
その同じ台詞が最後にまた出て来る。そして何度か繰り返される「いつもと同じ夜だった」。
印象的なリフレイン。
暴力的な狂気ではなく詩的でせつない狂気。ウールリッチならではの魅力に溢れた1篇です。
【間奏曲】
ダンスパーティを抜け出して駆け落ち相手のもとへ急いだ18歳のサニー。彼女を優しく出迎えてくれるはずの恋人は床で冷たくなっていた……。
12歳年上の姉ジェーンの過去との絡みがほのめかされ、姉と妹は互いに「わかっている」とばかり無言で手を握り合う。何も知らない父親はそのそばで呑気に「毎週毎週何から何まで同じことのくり返しだ。特別なことは何も起きない」などと言う。
すぐ横に座っている娘が、ついさっきまで死体と一緒にいたのに。
殺人の真相はほのめかされるだけで、なんとも余韻のある佳品です。
ただ。
殺しの現場に遭遇してしまったサニーを救うため、「ここには君は来なかった。こいつは自殺だ」とあれこれ細工をするサニーの元彼トムの手際が良すぎるんですよねぇ。
指紋を拭き取るぐらいは私でも思いつきますけど、自殺に見せかけるため接触痕をつけるところなど、「彼女を追いかけてきたらたまたま事件に出くわした」というにはあまりにも手慣れているというか落ち着いている。
「元彼」というか、トムの方は高校時代からずっとサニーのことが好きだったらしいんだけど、サニーの方が彼を「恋人」と認めていたことがあったのかどうか、その辺はちゃんと書いてなくてよくわからない。ダンスフロアの花形らしいサニーにはきっと大勢ボーイフレンドがいて、その中ではきっとトムは「一番」だったのだろうけど、サニーは旅先で出会った男と駆け落ちしようと……あれ? 本文中に「駆け落ち」とは書いてなかったのかしら。ただこっそり会ってただけなのかもしれない(^^;)
とにかく、サニーとその男のことを知ったトムが全部仕組んだのでは?と思えないこともないんですよね。男が殺されていて、パニクった自分を救い、後始末をつけてダンスパーティに連れ戻してくれたトムを、サニーはすっかり信頼し、愛してしまうから。
トムにしてみれば、「もっけの幸い」としか思えない殺人事件。
真犯人が明言されていないからこその想像の楽しみです。
【女優の夫】
この巻で一番好きなお話。
ミステリではなくメロドラマです。
タイトル通り(と言っても原題はただ「Husband」ですが)、売れっ子女優アルマの夫ブレインが主人公。出征前には女優の卵でしかなかった妻が、戻ってきたらすっかり有名になっていて、自分は戦場で片腕をなくし、職にもつけずヒモ同然の日々。
今夜も彼女は撮影で帰ってこない。
今夜は記念日なのに。
「ごめんね」と電話で謝ってくる妻。言葉の上では残念そうだけれど、本当はどれくらい夫のことを想っているのだろう? 撮影の方が――女優としての自分の方が――そしてクラシンとかいう監督だかプロデューサーとかの方が大事なんだろう、きっと。
「ブレイン、一人でさみしくはないわよね」
大丈夫、さみしくはない。そう彼は答えた。そんな質問に、他にどう答えようがあるだろう。 (P174)
語りは3人称だけど、ずっとブレインのさみしさに寄り添っていて、それがもうたまらないんです。彼のさみしさと諦め。仕事を優先する妻に声を荒げることもなく、「さみしい」という言葉一つ言えずに。
ちょっと読み返しただけでもうるうるしてしまう。
「きみは、しばらくのあいだぼくに貸し出されていただけだったんだ。きみは生涯ただ一人の男に縛られるには美しすぎる。そのことにもっと早く気づくべきだった。今ならわかる、これ以上欲張らずにきみを返すべきなのだと」 (P180)
女々しいと言えばそうなんだけど。
おセンチにすぎるんだけど。
でも、「夫婦」の時間を楽しむ間もなく戦場に送られ、ただの冴えない青年どころか片腕のない無職の男になってしまった彼が、どうして「夫」としての権利を主張できるだろう。今やすっかり人気女優となってしまった彼女の夫が、こんなわびしい男だなんて。
そうして。
神様は思いがけない幸運を彼に授けてくれる。
幸運?
そう、たぶん、彼にとっては。
でも彼女にとっては、女優生命の危機。
撮影中の事故で大やけどを負い、病院に担ぎ込まれた彼女。ブレインは献身的に彼女の看病をして、束の間昔の生活が戻ってくる。本当の夫婦だった頃の生活が。
彼女が元通りの体に戻れば、再び彼女は彼のものではなくなる。スクリーンが、観客が、彼女を奪っていってしまう。
それでもブレインは彼女の回復を祈って、彼女の幸せだけを祈って。
……女優生命を失うことと、ブレインを失うこと。どちらが彼女にとっては不幸だったのか……。
おセンチだけど、このさみしさがとても好き。
【選ばれた数字】
これは、ヤバいです。
何の罪もない若い夫婦が人違いでひどい殺され方をする話です。
それだけです。
最後に「本当だったらこいつらが殺されるはずだった」っていうのがちょろっとついてる他は、「理不尽に殺される若い夫婦の恐怖を追体験する物語」です。
ぐえぇぇぇ、なんちゅう話を書くんだ、ウールリッチ。
そりゃあ人生は理不尽なもので、事故だって病気だって、「なぜ自分が選ばれてしまったのか」はわからないことの方が多い。
不摂生による病気なんて、しっかり健康に気をつけていれば防げた「死」なんて、実のところそんなにないのかもしれない。歩道につっこんできた車にはねられた人は、なぜその時その場所にいたんだろう? なぜよりによってその車はその時その場所につっこんできたのか。なぜ他の場所ではダメだったのか。
生きものにとって死はすべて理不尽なもので、生そのものが理不尽とも言えるんだけど、でも。
こんな死に方は嫌だぁぁぁぁぁぁぁぁ(´Д`)
……あと最初の部分と最後の部分でちょっと辻褄が合ってないような気がするっていうか、部屋番号によって間違われたのなら、ん?……って引っかかりました。
とにかくキツい話です。
【復讐者】
これも、ヤバいです。
訳者あとがきに「この頃のウールリッチは明らかに精神的なバランスを崩していて」(P287)と書かれているのですが、まさにこのお話の登場人物は精神のバランスを欠いています。
警察という罰を与える機能、復讐者をつくりあげた。(中略)そもそも犯罪と無縁であろうが、法律上は罰せないはずであっても、警察という組織に逆らうことはできないのだ。 (P220)
というわけで、この話の主人公テリーは警察官です。彼には息子を殺されたマイクという上司がいて、彼はすでに警察を引退しているのですが、テリーを始め彼の元部下の刑事達はホテルの彼の部屋に詰め、同じホテルの別の部屋にいる「マイクの仇」を監視しています。
法律上は逮捕できない「仇」に復讐しようとテリーが考えた計画は……。
これこそまさに「妄執」という話でした。「仇」とされている男が気の毒というか、本当にこの男が悪い奴だったの?とさえ思えてくる。全部マイク達警察の思い込みで、実は冤罪なんじゃないの、と。
原題は「The Clean Fight」。「きれいな勝負」ってことですね。もちろん実際に行われるのは「汚い勝負」。
たとえ犯罪者であっても、勝手に殺してはいけない。警察は本来捕まえるだけの組織。
そんなものは正義じゃないのだ、と『あぶない刑事』で鷹山さんが何度も示してくれてるのになー。
明らかに狂ってしまっているテリーを、マイクや他の刑事達は褒め称えたのかしら。テリーのやったことに薄々勘づいても、警察は……?
【パルプマガジン作家】
ずっと発表順に作品が並べられてきたこの短編集、ここだけ入れ替わっています。発表順だと『選ばれた数字』の前に入るべきだと思いますが、そうすると『復讐者』が最後の一篇になってしまうし、編訳者の門野さんが「あとがき」で書いてらっしゃるとおり、「傑作短編集の掉尾を飾るにふさわしい」一篇だと思います。
というのも、タイトルから想像がつくように、作家である自分自身を揶揄したような作品なのですね。
原題は「The Penny-a-Worder」で、「一語一セント」の原稿料で小説を書く作家。
「一語一セント」だと、たとえばここに収録されているような短編の場合、どれくらいの原稿料になるんでしょうね……。
雑誌のカバーストーリーを書くはずだった作家の都合が悪くなって、急遽明日の朝までに「この表紙の絵に合うような作品を書いてくれ」と頼まれ、ホテルに缶詰になった駆け出し作家ムーディ。無事朝までに書けたら「一語二セント」の上、特別ボーナスを出してもいい。
ムーディは張り切ってタイプライターに向かうのですが……。
どこまでウールリッチ自身の書き方が反映されているのかわかりませんが、ムーディの「小説の書き方」がなかなか興味深いですし、窓に鳩がいるだけのことで「こんなんじゃ原稿に取り組めない!」と騒ぎまくるところ、電話での奥さんのやりとりなどコミカルで楽しいです。
そして「書き上げたものを読み返さずどんどんタイプしていく」というやり方のせいで待っていた悲劇(喜劇?)。
サスペンスの詩人として一世を風靡しながら晩年は筆力が落ち、「忘れられた作家」になっていたらしいウールリッチ。一体どんな気持ちでこの一篇を書いたのでしょうか――。
訳者あとがきの最後に、門野さんはこう書かれています。
孤独で偏屈だったウールリッチという作家が、そして決して完璧ではないその作品が、私にはとてもいとおしく感じられる。 (P288)
本当に。
その寂しさが、そのせつなさが、私もいとおしいです。
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