『赤い館の秘密』が面白かったので、その解説で紹介されていた「死体の出てくるコメディ」も手に取ってみました。

「ヴィンテージ・ミステリ」と銘打たれたシリーズに入っていますし、この訳書でもまた「ミルンが遺していた幻の長編ミステリ」と帯に書かれているのですが。

うーん、どうなんだろうな。広義のミステリと言えないこともないけど、主眼はどたばたコメディだよね。ミステリのパロディ、というのが一番当たってるかもしれない。

だって犯人は――というか事件の真相はもう最初っから明らかにされてるんだもん。「事故死」だって。

叔母さんの死体を発見したヒロイン・ジェニーはびっくりして、「おばさんが頭をぶつけたらしいドアストップ(つまりは凶器)」を拾い上げ、ご丁寧にそこについた血を自分のハンカチでぬぐい、そのハンカチを現場に残したまま逃げてしまう。

すぐに警察とか医者を呼べばよかったのに、ジェニーが思わず逃げ出してしまったのは、「叔母さんの死体があった家」がもう自分の住まいじゃなくて、見ず知らずの借家人に貸し出されていたから。

ジェニーはもともともう一人の叔母と一緒にその家に住んでいたんだけど、その叔母が亡くなって、身寄りのないジェニーは管財人である弁護士のところに引っ越して、家は他人に貸している。

で、たまたま近くを通りがかって懐かしい“我が家”に立ち寄ってみたら、同じく懐かしくて立ち寄ったのであろう叔母が事故死していた。

うん、まぁ、「事故死」っていうのはあくまでジェニーの見立てで、「本当の死因」はちゃんと調べないとわからないと思うんだけど、ジェニーが警察を呼ぶ前に現在の住人(借家人)が帰ってきてしまって、とっさにジェニーは身を隠し、いったん身を隠したら「えへへ、実は私この家のもとの住人で」と顔を出すのも変なので、そのまま窓から逃げ出すことに……。

かくして現場には血のついたジェニーの名入りのハンカチと窓の下の足跡が残され、単なる事故死だったかもしれないものが「謎の殺人事件」になり、ジェニーは「殺人犯もしくは彼女自身も被害者で、誘拐されたか何かしている」とその行方を捜される立場となります。

うん、ジェニーが悪い(笑)。

そりゃ、借家人が帰ってきてとっさに隠れてしまう気持ちはわかるよ。いくらもとの住人とはいえ、死体と一緒にいるところを発見されて色々説明するのは大変。とっさに「疑われちゃう!」と身を隠して、逃げ出しちゃうのはわかるけど、そのまま逃げ続けなくても……。

親友のナンシーに服を借りたり時計を質に入れてもらったりして、本当に「逃避行」しちゃうんだもん。たった四日間とはいえやりすぎだろうと。

ジェニーが逃げている間に借家人が疑われたり、「質入れされた時計」をめぐってドタバタが起こったり。

また捜査を担当するマリゴールド警部が無能なの。警部のとんちんかんな捜査、疑われたことをこれ幸い宣伝に使おうとする作家、「ミステリ」というよりほんと「ミステリのパロディ」。

最初少し「語り方」に慣れなくて惑ったけど、慣れると「コメディ」として楽しく読めました。

ジェニーは18歳なんだけど、一度も会ったことのない亡くなった父親を「ハザー(軽騎兵)」と呼んで「心の友」「相談相手」にしていて、なるほど「プーさん」の作者らしいな、と思います。「空想世界」を友として育ってきた女の子。

ナンシーともずっと「なりきりごっこ」をして遊んできたから、逃避行の際にはお互い「ごっこ遊び」で使った偽名を用いてやりとりし、「秘密の合図」や「暗号」を用いて連絡を取る。またナンシーが切れ者なんだ、これが。

ナンシーは19歳(だったと思う)でアーチボルドという作家の秘書をしているんだけど、ジェニーを助けるために色々話をでっち上げたり、わざわざ服の下に詰め物をして体型を変え「別の女性」になりきったり。

ジェニーが逃避行の途中で出会ったデリクもナンシーと電話でやりとりして、「まさに打てば響くように返事が返ってくるな」(P245)と感心しています。

またこの電話のやりとりが面白いんだけど。

一応ジェニーが「当局から逃げてる」ってことになってるから、誰かに盗み聞かれてもいいようにジェニーの名前は出さずにテキトーなでっち上げを交えつつ必要な情報を交換をしなきゃならない。いや、だからなんでジェニー逃げてるの、もういいじゃん、みんなお芝居しすぎだってば!(笑)。

私も空想世界を友にしている人間なので、嬉々としてお芝居しちゃう気持ちはよぉくわかるけれども。

実はデリクはナンシーの雇い主である作家アーチボルドの弟で、デリクとジェニーはすっかりラブラブになって、アーチボルドもうっかりナンシーとの「兄弟ダブル結婚式」を夢見ちゃったりします。

すぐに「すでに結婚していてこどもが六人もいる」ことを思い出すんだけどね(^^;)

マリゴールド警部と同じくらい「おちょくられキャラ」なアーチボルド、「作家」という職業に対するミルンさんの自虐だったりもするのでしょうか。

作家になることの弊害は、書けないあいだはずっと苦しみ続けなければいけないことだ。 (P282)
小説を書いていてのなによりの弊害は、書きたいシーンは常に頭のなかにあるのに、そのシーンになるまでは我慢を強いられることだ。 (P283)

なんて一節もあります。作家としての心の叫びなのかしらん……。

でもあんなに頑張った切れ者のナンシーにはチビでデブの雇い主(しかも40過ぎてる)しか出てこないの残念。話を混乱させるだけ混乱させた迷惑なジェニーだけハッピーエンドなんてっ!

ジェニーは18歳、そしてデリクは30歳らしく。

当時はそーゆーカップル普通だったんでしょうかね。一回り上だよね? 30歳の男が18歳の女の子と出会って2日くらいで結婚決めるってそれ犯罪じゃ。

うん、デリクがいい人だったから良かったけど、「ろくにお金も持ち合わせず知りあいもいない田舎で一人野宿している18歳のきれいな女の子(ジェニーは美人らしい)」なんて危ないどころの話じゃないよね。よくぞご無事で。

良い子は真似しないように。

ナンシーとデリクのやりとりだけでなく、マリゴールド警部と質屋と巡査部長の会話など、ミルンさんのユーモアの腕にニヤリとさせられます。

結婚して五十年になる夫人は、男というものはこどもじみたふるまいをするものだと心得ていた。それは戦争や政治やスポーツなどが証明していた。 (P102)

社交界の花形たち――若い独身のカップル、若い結婚したカップル、若い離婚したカップルが列をなして押し寄せていた。 (P191)
法廷は笑いに包まれた。独身カップルは大声で、離婚したカップルはふてぶてしく、結婚しているカップルは自意識過剰に笑った。 (P193)

なんて描写にも。

殺伐としたお話は苦手、ハラハラドキドキよりのんびりほっこりが好き、という方にはお勧め……かな?



ところで『四日間の不思議(Four Day's Wonder)』というタイトル、クイーンの『十日間の不思議(Ten Day's Wonder)』を思い出しちゃいます。

『十日間』は1948年の作品。『四日間』は1933年頃の作品のようなので、クイーンが『四日間』の存在を知っていて『十日間』というタイトルをつけた可能性もなくはない。とはいえストーリーはまったく違うので単なる偶然かな……。

『十日間』は章題が「1日目…2日目…」。『四日間』は「火曜日…水曜日…」となっています。水曜日に出会って、金曜日にはもう「結婚しよう!」になってるデリクとジェニー。返す返すもすごい(笑)。