悪党たちの血の饗宴だった『ブラッド・マネー』から一転、のんびり英国ユーモアミステリーへトリップ。

『くまのプーさん』でおなじみミルンさんが書いた唯一の長編ミステリです。

あまりにも『プーさん』が有名になりすぎて、今では児童文学者のように思われているミルンさんですが、実はプーさん以前にエッセイや戯曲を書いていて、ご本人は生前、自分が児童文学者としてのみ記憶されることに戸惑いを覚えていたそうです。(本書の「解説」参照)

Amazonさんをミルンさんの名前で検索しても本書と自伝の他はプーさんばっかりですもんねぇ。

でも。

私にとって『赤い館の秘密』は『黄色い部屋の秘密』と一緒に小学校の図書室の棚に並んでいた懐かしいミステリ作品。

子ども向けに編まれた「世界ミステリ全集」のようなものに入っていたこの2作、「赤と黄色」で覚えやすく、お話の中身はさっぱり覚えていなかったものの、そのタイトルは非常に強く印象に残ってました。

当時私は「プーさん」をまったく読んだことがなく。

子どもが生まれて『プーさん』を読んで、「え?『赤い館の秘密』書いた人なの?」みたいな。

今回たまたま図書館にあったのが「乱歩が選ぶ黄金時代ミステリーBEST10」というシリーズの1冊だったのですが、シリーズの2冊目には『黄色い部屋』が入っています。赤も黄色もミステリの古典中の古典なのですよねぇ。

今回読み返してみて、うん、こっちの――『赤い館の秘密』の方が面白かったです。『黄色』の方は今読むとなんか大げさすぎるというか、いかにも「古めかしい」感じがしたんだけど、こちらはすーっと自然に読めたんですよね。

裏表紙に「極上の英国的ユーモアに満ちた愛すべき名作!」と書いてあるとおり、とても温かい気持ちで読める。

それは後に児童文学者として名を馳せるミルンさんご自身の持ち味でもあるだろうし、フランスとイギリスの違いとか、書かれた年代の違いでもあるでしょう。

『黄色』は1907年の作品、『赤』は1921年の作品。

「私は日常使う英語で、現実の人たちについて探偵小説を書きたかったのです」と言ったミルンさん(解説による)。 名探偵が快刀乱麻の大活躍をする大上段に振りかぶったミステリではない、新しい、日常的で現実的なミステリを書く。

ミルンさんのその意志は見事に結実していて、服装全部が逆さまになっているとか全裸死体といった珍奇なことはまったくないのに(クイーンさん、例にしてごめんなさい)、主人公たちと一緒に推理しながら最後まで楽しく読める作品になっています。

物語は、「赤い館」に館の主人マークの兄ロバートがやってくるところから始まります。オーストラリアから15年ぶりに帰ってきたロバート。彼が事務室に通されたすぐ後、銃声が響いて……。

館の滞在客ビルを訪ねてやってきたアントニーはその銃声を聞きつけ、マークのいとこケイリーとともにロバートの死体を発見することになります。

ロバートとともに事務室にいたはずのマークの姿はなく、警察はマークがロバートを殺して逃走したと考えます。「本当にそうだろうか?」と思ったアントニーはビルをワトソン役に調査と推理を始めるのですが……。

アントニーは「快刀乱麻の名探偵」ではないものの、非常に記憶力が良く目で見たものはほぼすべて後から思い出せるという特殊能力の持ち主。一方のビルも、十分頭の回る、快活な好青年で、この二人がいわば「ホームズとワトソンごっこ」を楽しむように推理を進めていく様子がなんともほのぼのとしていいんですよね。

会話の妙。

人一人死んでるし、証拠品を捜すために夜の池に飛び込んだり、冒険もあるんだけど、スリル&サスペンスというのとは全然違って、アントニーとビルのやりとりを楽しむような作品になってます。でもその「推理の筋道」はとてもしっかりしていて、色々な可能性を一つずつ潰していくその過程、よくできてます。

私でさえ「これってもしかしてこういうこと?」と早い段階で気付いてしまったし、鍵となるトリックが現代ならまず真っ先に覆されてしまうとは思うんですが、それでも最後まで楽しく読めました。

この時代にすでに「歯医者の治療歴による本人特定」が考えられていること、そしてすでに「ホームズ&ワトソン」がネタになっているのも面白いです。ホームズが最初に登場した作品は1887年、最後に登場した作品は1927年。『赤い館の秘密』が書かれた当時、まだホームズシリーズは続いていたけれども、初登場からはもう20年余り経って、読者も作中の人物も「探偵を気取るならホームズとワトソンにならう」のがごく自然になっていたのでしょうね。

最後に真犯人との直接対決がなかったのはちょっと寂しかったですが、それもミルンさんの温情と思えます。真犯人を断罪する!って感じじゃないのよね。

集英社文庫『乱歩が選ぶ』版の表紙はクローケーの道具だと思いますが――そして確かに「クローケー用具入れ」は事件を解くちょっとした鍵になってはいますが。

うーん、この表紙では全然どんな話かも、「温かいユーモアミステリ」ということもわからない。

一方新潮文庫版は「温かい雰囲気」はよく出てるんだけど、なぜ「男女」なのかが謎。アントニーとビル、二人が主役だよ? 表紙に描かれてるこの女性はいったい誰のことなの……。

プーさん以外のミルンさんの著作を今日本語で読むのはかなり難しいようですが、『四日間の不思議』という作品が図書館にもあるようなので、読んでみたいと思ってます。

この『四日間の不思議』という作品、本書の解説に

アメリカ版のカバーに〈ミルンの新作ミステリー〉と刷り込まれていたため、ミステリーに分類されることもあるが、死体(事故死)の出てくるコメディであり、いわゆる推理ものではない。 (P344)

と紹介されています。そしてすぐ続けて

しかし、ほかにはめぼしい作品を書かなくても、黄金時代の幕開けを告げる名作をひとつ書いたことによって、ミルンの名前はミステリー史に残ったのである。 (P344)

アントニーとビルの素人探偵コンビの活躍、あと3作品ぐらいは楽しみたかったですよ、ミルンさん。


(※『四日間の不思議』の感想記事はこちら