長らく20歳だった選挙権年齢が引き下げられ、いよいよこの夏の参院選から現役高校生も投票できるようになります。

高校での模擬投票実施や「主権者教育」に関する話題をニュースで目にすることも多く、中高校生をターゲットにした筑摩書房のちくまプリマー新書の6月刊でもこの橋本さんの『国家を考えてみよう』と政野淳子さんによる『投票に行きたくなる国会の話』と2冊の「主権者教育」本がラインナップされています。

『投票に行きたくなる~』の方は手に取っていないのでわかりませんが、橋本さんのご本の方は最後に「二〇一六年の夏から、参政権――つまり選挙権は十八歳にまで引き下げられます。(中略)参政権を与えられるということは、政治に参加する義務を与えられたことで、「自分達」がこの政治を支えていかなければならない」ということを自覚させられることです」(P199)と「18歳選挙権」への言及があり、この本全部が「ちゃんと考えなきゃいけないよ」という若い人達へのメッセージだと感じました。

もちろん大人が読んでも読み応え十分、「ああ、そういうことか!」といつもながら橋本さんの巧みな論の展開にうならされます。

「政治なんて難しくてわからない」「誰に投票すればいいかわからない」、だから投票権をもらっても投票に行くかどうかわからない……と言ってる高校生をニュースで見たりしますが。

いや、大人だって「わかってるから投票に行く」わけじゃないからね(^^;)

新書版で200ページ、すらすら読めるのに中身はめっちゃ濃くて最初から最後までメモ取りっぱなし。若い人ももう若くない人も「とにかく読んでみて!」と思います。できたら参院選の前に読んでほしい。参院選には間に合わなくても、ぜひこの夏休み、中高校生に読んでもらいたいなぁ。

“国家”ってそもそも何か。

“国民に主権がある”ってどういうことか。

まず。

漢字の話から始まります。

「国(國)」って字の成り立ちから。

漢字が生まれた中国で、「くに」とはどういうものと考えられていたか。

こういうところからお話を始めてくれるのがさすが橋本さんですよねぇ。すごくとっつきやすい。

そもそもは「くにがまえ」の部分だけで「くに」を意味していたそうです。四方を境界線で囲ってしまえばそこが「くに=俺の領地」ってことですね。

「国家」には「土地=領土」を前提にして考えるか、「人=国民」を前提にして考えるかの二つの考え方があるけれども、中国に限らず世界中で「国=領土」という考え方の方が長くて、いわゆる「国民国家」という考え方が出て来たのはごくごく最近の話です。

「邑」という字の成り立ちを引いて橋本さんは、

つまり、大昔の中国人にとって、「国の中にいるはずの国民」は、「城壁に守られている」のではなくて、「国に対してひざまずくようにして存在するもの」だったのです。 (P22)

と解説されています。

ためしに「人」を入れてみます。「囚」です。 (P29)

「くにがまえ」に「人」を入れると「国民」ではなく「囚われ人」になるっていうのホラーというかブラックジョークみたいですけど、それぐらい昔の(というかつい最近までの)「くに」というのは「支配者のもの」だったんですねぇ。

日本では「国(國)」は「山城の国」とか「武蔵の国」というふうに使われていました。

日本の各地に「国」があった時代、日本はあまり外国と接触をしていないので、「日本国」というトータルなアイデンティティが必要ではなかったのです。 (P34)

で、「山城の国」とかいう「国」はやっぱり「土地=領土」を指すもので、そこには「領主=お殿様」がいる……かというと実はちょっと違う。

江戸時代だと「お殿様」は「藩主」です。「山城の国」や「武蔵の国」の中に複数の藩が置かれ、藩ごとに「お殿様」がいるわけですが、その「領土」はお殿様のものではありません。お殿様は幕府に命じられて突然よその土地へ行っちゃったりするからです。「転封」というやつですね。

幕府に命じられればお殿様は家臣を引き連れてよその土地へ去っていきます。もともといた土地も、そこに住んでいたいわゆる「領民」も、別にお殿様の持ちものではありません。「そこの土地で採れるもんをおまえのものにしていいよ」とお給料代わりに貸与されているだけです。

じゃあ江戸時代の土地は全部幕府(将軍)のものか、っていうとこれまたそうではなくて、名目上は朝廷(天皇)のものだったりするんですね。

えっ、そうなの???

将軍というのは「征夷大将軍」の略で、征夷大将軍というのは朝廷の役職の名前です。江戸時代にも天皇はずーっといて、よくわかんないけどたぶん貴族もいて、よくわかんないけど「朝廷」は存続しています。

正確には「徳川幕府に日本のすべての土地の管理が認められている」なのです。 (P109)

幕府も「天領」という直轄地を持っていたりしますが、それだって「幕府が自分で管理する土地」というだけで、幕府の「持ちもの」ではありません。幕府は日本全土の土地の管理を任されているいわば不動産会社みたいなもので、任せているのは天皇の朝廷。だから明治維新で王政復古になると、

「王政復古」というのは、「もう徳川幕府には日本の土地を自由に管理する権利を与えないよ」ということで、そうなった瞬間、「日本という国は天皇のもの」という、律令制国家の原則にまでさかのぼってしまうのです。 (P109)

ということで名実ともに日本全土が天皇のものになります。

律令制度が確立したのって持統天皇くらいの時でしたっけ? 律令制度って「土地は全部国有」なんですよね。だからこそその後「墾田永年私財法」みたいな「土地を私有してもいいよ」という法律が出て来るんですけど、「開墾した土地は自分のものにしてもいい」けど、そうじゃない土地は「国(朝廷=天皇)のもの」というのが日本ではずーっと続いていた。

うわぁ、と思いますね。

明治維新の後、「土地の私有」はきっと当たり前になったんでしょうけど(それについては橋本さんが書いてくれてないのでわかりません)、「日本という国」は明確に「天皇のもの」になります。

だから――というか、それを法律上も保証するためにというか――明治の「大日本帝国憲法」では主権者は天皇と定められ、「天皇はなんでもできる」になっています。

大日本帝国憲法は「天皇の力を縛るもの」ではないので、明治の日本は「立憲君主制」なんかでは全然ありません。 (P61)

はい、ここ重要、テストに出ます!(笑)

ところで「土地=領土」は名目上ずーっと朝廷のものだったわけですが、そこに住んでる一般の「日本人」の立場はどうだったんでしょうか。

江戸時代、お殿様の家臣は武士だけで、お殿様の領地に住んでいる農民や町人はお殿様の持ちものではありません。お殿様に仕えたり、忠誠を誓ったりもしません。

だからお殿様が「転封」でよその土地に移っても、家臣じゃない農民達はくっついて行ったりはせず、新しくやってくる別のお殿様の「領民」になります。

(百姓や町人は)ただ、将軍や大名の領地となった場所に住んでいるだけです。 (P40)

そもそも、「日本全体」を一まとめにする考え方がないのです。どうしてかと言うと、日本人は「日本人」である前に、「武士」だったり「町人」だったり「百姓」であったりするような、階層ごとの捉え方しかしていないからです。 (P47)

まだ「日本という国家」という意識がない時代なんだから「日本人」とか「国民」とかいう考えがないのは当たり前っちゃ当たり前なんだけど、「ただ住んでるだけです」っていうのなんかすごい。

ただ住んでるだけで年貢取られるんですよ。年貢取られるけど別に「家臣」でも「お殿様の持ちもの」でもない。たぶん別に朝廷の持ちものでもない。

あ、でも年貢取られるのは農民だけで、江戸時代の「町民」は別に税金なんか納めてなかったって話もあったような。

まぁどこの国でも近代までは一般大衆に政治に参加する機会なんてなくて、そーゆーのは「お上」の仕事なんだけど、「ただ住んでるだけ」だった日本人、明治になると「天皇の持ちもの」になってしまうらしい。

江戸時代だと、「幕府の臣下」は武士だけです。町人や百姓は「その他大勢」です。でも、明治になってしまうと、日本人の全員が「天皇の臣下」なのです。 (P62)

うーん。「ただ住んでるだけ」だった江戸時代の方が一般大衆は自由で楽だったんじゃないかという気がするけどどーなの。

「お上のやることはわからねぇ」「関係ねぇ」と言ってられたのが、「臣下」としてその命に服さなくちゃならなくなったわけよね……。

明治維新は「革命」ではなく「政変」で、天皇を担ぐ組織が変わっただけだけど、一般大衆の位置づけは大きく変わったってことなんだなぁ。



(長くなるので続きます。続きはこちら

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