東京創元社さんのゲラ版読者モニターに応募して、6月13日刊行の小説『静寂~ある殺人者の記録』(トーマス・ラープ著/酒寄進一訳)を一足お先に読ませていただきました。

サウザンブックスさんの出版応援企画でも編集中原稿を読ませていただいたんですが、あの時は原稿がPDFファイルで来て。

今回はドーン!と紙。


おおお、ゲラだぁ、まだ普通の人は読んでない生原稿だぁぁぁぁぁぁ(いや、コピーだけど)。

全320ページ、コピー用紙160枚ということでこのままでは読みにくい。右肩に穴開けて紐を通し、赤ペンと付箋片手に読み始めました。


モニター募集案内ページであらすじが紹介されていますが、この作品の主人公カールは聴覚が異常に発達していて、生まれ落ちた時から彼にとってこの世のすべてが「騒音」なのです。世界が騒がしすぎて、それに耐えられなくて泣き止まない。

でももちろん赤ん坊のカールに「それ」を説明することはできず、なぜ赤ん坊が泣き止まないのか原因のわからない両親は、カールの扱いにとても苦労します。子どもの誕生を待ち望み、とても楽しみにして、そして生まれた赤ん坊を十二分に愛していたはずの母親が、泣き止まない赤ん坊に精神を壊されていく過程がまず、つらいです。

どうしても、母親目線で読んでしまいますね……。

カールが泣き止まないのは「耳が良すぎるからだ!」と気づいた両親は、カールを地下室に隔離して育てます。普通の子どもとはまったく違う育ち方をするカール。でも地下室にいてもその鋭敏すぎる耳は外界の音をキャッチし、人の話し声を聞き分け、息づかいや鼓動の音でその人物の気分までもわかるようになっていく。

カールに悪意はなかった。両親を嫌っていなかったし、傷つけたいと思ったこともない。これほど引きこもって暮らしているのに親は悩みっぱなしだ。カールはひどく不安に駆られた。望まれた子から望まれない子になってしまったのはどうしてだろう? (P39)

うん、もちろん、カールも可哀想なのです。聴覚が優れているのは、そんな風に生まれついたのは、別にカールのせいじゃない。その後、耳栓をして地下室を出ることになるんだから、もっと早く外へ出て、村の人にも「この子は耳が良すぎる」と説明して、普通に暮らせていれば……。

でも、やっぱりそれは無理な話だったのかもしれません。人々のひそひそ話を全部聞けてしまうカール。こっそりと囁かれる悪口も、隠しておかなければいけない不倫関係も、彼はその耳ですべて聞きつけてしまう。そんなことが村人たちにバレたら……。「耳が良すぎる」なんて、下手にカミングアウトできないよねぇ。

隔離されて育ったカールには、「死」の意味がわからない。

この世界をあまりに騒々しいと感じるカールにとって、むしろ「死」は喜ぶべき「静寂」の状態であり、解放であり、救済であるように思えた。

しかも人は、虫や動物なら簡単に殺す。ぶんぶんうるさい蝿を殺しながら、父親はカールに、

「今度はおまえだ、カール! ほら、安らぎを取りもどすんだ。静けさを取り返すぞ」 (P88)

なんて言う。

後半には安楽死させられる馬も出てきます。

「死」は苦しみからの「解放」、静けさと安らぎの世界。

カールが人を殺すことを「善行」と考えるようになるのも仕方ないんだけど……カールは「悪くない」んだけど……でもやっぱり、カールの行いを完全に肯定することはできない。自分や自分の家族が、カールに「殺される」としたら、たとえ不治の病に苦しんでいたとしても、死が、「楽になること」だったとしても……。

だってね、カール自身も「それが世間的には認められないこと」っていうのはわかっているんだよ。もしもそれが本当に「解放」であり、「祝福されるようなこと」なら、カールは逃げ隠れする必要はないじゃない。刑事が家にやって来たら、「それは僕から彼らへの贈り物です」と言ってしまえばいい。いいことをしたのだという自信があるなら。

普通の教育を受けさせてもらえなかったカール。でも彼は十分に頭がいい。だから、「捕まってはいけない」ということも「理解している」。

村を出たカールは、「どう見ても悪人。こんなヤツ殺されても仕方ない」って相手も殺すし、たまたま行き会っただけの人も殺すし、カールに居場所を与えてくれた人たちをも殺す。

とある少女と出会って愛着とか喜びを知っても、それでも彼にとって「死」は「解放」のままであり、自分がそれを他人にもたらすことについての屈託はない。

「勝手」だと思ってしまうんだなぁ。カールは狂ってるわけじゃないし、判断能力もあるし、「死」について探究し、殺人を実行に移せてしまう行動力もある。少女との愛を知って、最後には「誕生」を言祝ぐことまでして……。

なぜ「死」についてだけ、「人を死なせる」ことについての判断だけ、覆らないのか。

さんざん人に「死」を与えておいて、新しい命がこの世に生まれることを――この騒々しい世界にやってくることを喜ぶなんて。

大体、「死」が解放なら、真っ先にとは言わないまでも、早い段階で自分を「解放」するべきなんじゃ。

でも。

そういう勝手さこそが「人」なのかなぁ。論理は終始一貫しない。辻褄なんか合わない。


訳文は読みやすく、さくさく読めるんだけど、読みながら心がずっとざわざわして、「好きか」と聞かれると好きとは言えない、なんとも考えさせられる作品でした。

人間にとって「死」とは何か。
「生きている」とはどういうことか。
「生きているだけで素晴らしい」のは本当か。
人が人を「死なせる」のはなぜいけないのか。
虫や動物を死なせるのとはどう違うのか。

私はかなり小さい頃から死を――「自分が死ぬこと=この世界から消え失せること」を恐怖して生きてきたけど、一体どういう経緯で「死」を「無になること」と認識したのか、「自分も死ぬんだ」と理解したのか……。

あと、カールの場合は人並みはずれた聴覚のせいで世界を極端に違うふうに感じ取っていたけど、人は誰でも自分の感覚で世界を認識していて、それが「他人の見ている世界」と本当に同じかどうかは決してわからない。

文化による視点の違いとかではなく、生物としての「感覚器官」の違いで世界や「生死」の意味が変わってくるっていう切り口が面白いなぁと。


「死」についてざわざわ考えたい人にお薦めの作品です。