『恐怖』に引き続き、ウールリッチ作品です。

1957年に母親を亡くしたウールリッチがその翌年、「七年間の沈黙を破って発表した作品」で、母親に捧げられています。

アメリカで1958年8月に出版された本作、このハヤカワの日本語訳は1959年の9月が初版で、非常に早く邦訳が出ているんですよね。今となっては絶版ばかりのウールリッチの、当時の日本での人気っぷりが窺えます。「サスペンスの詩人ウールリッチ、待望の復帰作!」だったんだろうなぁ。

1959年って昭和32年なんですが、訳文が「おわつて」「だつた」というふうに、「大きい“つ”」になってます。タクシーは「タキシイ」で、なんとも風情がある。1話目と7話目のヒロインの言葉も「わたしむかしから、このにおいが大好きですの。(中略)うれしい気持になりますわ(P22)」って感じで、現代の新しい作品とは違う日本語が楽しめます。

で。

今「1話目と7話目の」と書きましたが、この作品は7つの短篇からなる連作ものです。原題はただ「Hotel Room」ですが、聖アンセルムというホテルの923号室を舞台に、7つのドラマが繰り広げられます。


1話目は『一八九六年六月二十日の夜』。ホテル開業の日の夜、その部屋に泊まったのは若い男女。

新婚の夜を真新しいホテルの部屋で迎えた二人。あまりにも初々しく若い二人は夜着に着替えるのさえどぎまぎして、「ちょっと僕は外に出てるね」と男はドアの外に。けれどそのまま彼は帰ってこなかった……。

「すぐ戻ってくるはず」の夫が戻らなくて不安に駆られる新妻の心理描写がさすがウールリッチで、「いたはずの恋人(や妻)が消える」のもウールリッチの定番。心の汚れた私は「この男、もしや結婚詐欺だったのか?」などと思ってしまいましたが、そういうわけではなく、殺されちゃっているんですよね。通りすがりの物盗りか何かに。

のっけから「死」に彩られているところが本当にウールリッチらしいです。

夫がテーブルに置いていたネクタイを、「いいえ、それはそのあくる日、しめることになつていたのです」と言う新妻。

「でも、そのあくる日が、きのうになつてしまいました」
「そのあくる日はどうしてしまったんでしよう? だれがあくる日をかくしてしまつたんですか?」
「あそこにあつたはずよ。くることになつていたんです。そのあくる日が、どこかへいつてしまつた。だれが持つていつてしまつたんです? どんなひとが?」 (P56)

ホテル開業の夜のエピソードがこんなに悲しいものでいいのか……。


2話目は『一九一七年四月六日の夜』。アメリカが第一次世界大戦に参戦した日です。

軍へ志願した若い男の子が一張羅の軍服を着て、意中の女の子をホテルに誘う。「明日には軍に入る。今夜しか会えない」と。「大勢いるボーイフレンドのうちの一人」にしか思っていなかった彼女、軍服姿の彼にすっかり参ってしまいます。

「軍服に恋してしまった」彼女は勢いで結婚を承諾し、その夜のうちに二人は結婚してしまうのですが……。

こういう昔のミステリーを読んでいると、役所に婚姻届を出すのでなく、教会とかしかるべき立会人のもとに結婚証明書にサインすれば結婚したことになる、っていうのがこう、「それでいいのか」って思っちゃいますね。

いや、婚姻届だって紙に書いて出すだけなので、「それでいいのか」なんですけど。

もちろん二人の両親は子ども達が勝手に結婚してしまったことを知らないし、明日には入隊する男の子、二人はすぐに離ればなれです。「戦争が終わった日、またこの部屋で会おう」と約束して別れた二人。さて、どうなる第三話?なんですが。

幼い二人の恋よりも、アメリカが「宣戦布告」した日の人々の熱狂描写が興味深いです。

男の子がホテルに着いた時、部屋は満室だったのですよね。それを「軍人さんを泊めないわけにはいかないな」と、ホテルのクラークがドイツ系の名前の宿泊客を「今すぐ出て行け」と追い出して、923号室を空けるのです。

「私はミルウォーキーの生まれだ、ドイツには行ったこともないんだ」と客が訴えてもだれも聞く耳を持たない。部屋に置き忘れられた子どもの写真も、ボーイは嫌なものでも見るようにぽいと窓から捨ててしまう。

これがもし、二十四時間前であつて、写真に見るような子供が、この部屋にいたとしたら、きつとかれはその頭をなでるなり、しやがみこんで相手になつてやつたことであろう。二十四時間のうちに、なにかおそろしく強力な化学変化が起つたにちがいない。(中略)要するにそれは、抽象的な文句、《宣戦布告》という四字によつて導き出された変化であつた。 (P77-P78)

きっとこういうことはあちらこらで本当にあったんでしょうね……。


そして第3話は『一九一八年十一月十一日の夜』。約束の、「戦争が終わった日」です。たった1年半ぐらいしか経ってないのに、男の子も女の子もすっかり「すれてる」というか「いっぱし」になってるのがすごい(^^;)

つい最近までは、女優と商売女だけが、この習慣を独占していたのだが、このように急激なアマチュア連の抬頭にあつて、むしろ最初の女たちのほうが、たじろぎだしたかたちであつた。 (P112)

「この習慣」というのは派手なお化粧のことなんですが、お話のあちこちに巧みに当時の風俗が入れ込んであって巧いです。流行のファッション、音楽、お芝居。

「結婚の一夜」以来音信を断っていた二人が、互いの出方を探りながら会話を進めるのが面白く、洒落た一篇。


第4話は『一九二四年二月一七日の夜』。打って変わってマフィアのボスらしき男が主人公。腹心の部下と女達だけを連れて逃げるようにやってきた男。その彼の前に、幻か現実か、長く会わない母親が姿を見せ、それと同時に部下達は姿を消してしまう。

「自分を守ってくれる者がいなくなった」時のボスの怯えっぷりがすごい。ボスにしてはちょっと情けないのでは?とも言えるし、人間なんてこんなものだとも言える。追い詰められうろたえる心理描写、そして少しおセンチな母親とのエピソードもウールリッチらしいです。

生のうちの大半をしめる広大な無意識の部分、それが死だ。いやあるいは、すべてを包含する死という無限のなかで、意識のうちのほんの小部分――それが生命というべきではなかろうか? (P180)


第5話、『一九二九年十月二十四日の夜』。ニューヨークで株価が大暴落し、世界大恐慌となった日。株で大損害を被ったらしい男が飛び降り自殺をするために923号室に泊まり、ボーイの少年と言葉を交わしたり、窓から登る朝日を眺めることで、「生きていこう」と考え直す物語。5年ほど前には同じその部屋でマフィアのボスが殺され、今は「新しい生」を授けられる……。

時間と色彩に、変化のおきる段階だった。暁の空が、東のほうで、澄みきつた青に輝きだした。新しくみがきあげたガラスのように澄明だつた。すぐ手のとどくほどのところに浮いていた小さな雲が、気のつかぬ間に、あんず色に染めあげられている。透明で、色もない空気のなかを、さざなみがよせてくるように、光線の波がうちよせてくる。太陽の炎が、やがて燃えあがるであろうあたりが、すでにその場所を教えていた。 (P210)

朝日の描写が美しいです。9階の窓から眺めるニューヨークの夜明け。下の階ではなく「923号室」ならではの眺めだったでしょう。

「不思議な部屋だな」
 とかれは、信じきれぬような顔つきで、もう一度、部屋じゆうを見まわした。
「わずか二ドル五十セントの部屋代をはらつただけで、神と話しあつた感じを受けたじやないか」 (P214)


第6話のタイトルは『……………の夜』となっています。このお話だけタイトルに日付が入っていなくて、本文の最後で「いつの話か」が明かされます。

互いの両親から結婚を反対され、駆け落ちしてきた若い二人。「明日までの辛抱さ」「わたしたちふたりの夢――明日」(P228)と未来に望みをかけ、眠るのですが、その明日がどうなるのか、最後に記された日付で読者に想像できるようになっている。

心憎くせつない一篇。


ラスト、第7話はホテル閉館の夜。『一九五七年九月三十日の夜』となっているので、ホテル聖アンセルムは61年でその歴史を閉じるわけです。その夜を最後に営業を終え、取り壊された後には28階建てのビルが建つという。「近ごろはやりの、高層ビルディングそのものを嘲ったにちがいなかった」(P235)という描写、ウールリッチ自身がそう思っていたのかもしれません。

閉館を前に次々と客がチェックアウトしていく中、タキシイで到着したのは老齢の婦人。923号室に泊まりに来た彼女は、1話目で登場したあの女性なのです。ホテルの最初の夜、そして彼女にとっても結婚生活の最初の夜に、最愛の人を亡くしてしまった女性。

同じ部屋に泊まり、あの夜と同じ場所に彼の形見を置き、彼への感謝をつぶやきながら、彼女は眠りにつく。永遠の眠りに……。

出てくるメイドも1話目と同じ女性のようで、さすがにメイドをやるには年を取り過ぎでは?と思うのですが(1話目で10代だったとしても80歳近い)、本人達は気づいていなさそうな中、読者には「同じメイド?」と思わせるところがまた。

新婚生活もないままに未亡人になってしまった老婦人は、ベッドの中で夫に語りかけます。

そして、なによりもうれしいのは、だんだん年をとつていく老年のあなたを見ないですんだことです。わたしもまた、あなたの眼のまえに、年をとつて老いくちていく、みにくいすがたをさらさずにすみました (P243)

そうとでも考えなければ彼女は生きてこられなかったのでしょうが、これ、「愛の絶頂でどっちかが死なないと純愛にならない」みたいな話でもありますよね。「めでたしめでたし」の後にも人生は続く、その後には色々な諍いや老いゆえの苦労が待っているかもしれない。そこまで込みで「いい人生だった」と言えれば……。


ウールリッチの母親は1957年10月6日に亡くなっていて、この第7話の日付ととても近いです。享年83歳というのも作中の女性とおおむね同じくらい。母親の面影が投影されているのでしょうかね。母親と父親はウールリッチが少年の頃に離婚していて、一時ウールリッチは父親のもとで暮らしていたとはいえ、「夫は消えた存在」。

母親と二人で長くホテル住まいを続け、母亡き後もずっとホテルで生活していたウールリッチ。勝手知ったるホテルを舞台に紡いだのは、優しさを湛えながらも死の影に濃く彩られた物語でした。