(※以下ネタバレあります!これからご覧になる方はご注意ください)



観に行ったのは5月の23日で……もう3週間ぐらい経ってしまいました。記憶違い等多々あると思いますがご容赦ください。

さて。

4DX上映も非常に気になったのですが、めまいの既往があるため安全を鑑みて通常上映で観てきました。

うーん。

テーマとしては好きだけど、最後「え?これで終わり……?」みたいな。

「良かった、最高、もう1回観たい!!!」って感じにはならなかったです。うん、まぁ、シーズン2もちょっと微妙だったし、七羽さんがあんなことになってしまった時点でね。七羽さん、今回も回想でしか出てこられないだろうとわかっていたし。

七羽さんと仁さんの出会いを描くスピンオフください!七羽さんが生きてて、仁さんがこんなにズダボロになっていない時期のお話を見たいですっ。

悠&美月にはときめかないんだもん……。

しかし映画は悠&美月が4Cに追い詰められ、湖に飛び込むところから始まる。

対岸(?)の施設「切子聖園」の子ども達に助けられた二人。「身寄りのない子ども達のための養護施設」に見えたそこは、実はアマゾンを家畜として養殖する「牧場」だったのです。

黒塗りのセダンで子どもたちを迎えに来る上品な夫婦。いかにも「新しい家族のもとへ引き取られていく」ように見えて、園長も他の子どもたちも旅立っていく子を祝福して送りだしていたのだけれど、その夫婦は「食べるため」にアマゾンを買ったんですよね。

村内の別の建物が「レストラン」になってて、引き取られたアマゾンの子どもはそこで調理され、夫婦によって舌鼓を打たれる。

その実態に気づいた悠は当然激怒し、施設の子どもたちを助けようとするんですが……。

いやぁ、ほんと、相変わらずテーマがエグい!

シーズン1の「人肉レストラン」回を思い出します。あれ見たあとハンバーグが食べづらくなった人も多いと思いますが、大丈夫です、今回はステーキなので(何が大丈夫なのか)。

アマゾンが人間を食べるなら、人間がアマゾンを食べたっていいじゃないか、というのは「なるほど」なんですが、しかし冷静に考えてアマゾンって美味しいんだろうか。見た目完全に普通の人間だし、普通の人間の腹の肉とかももの肉とか、人間が食べて美味しいのかな……。しかもただ肉だけを「どうぞ」って出されるんじゃなく、生きてる状態の子どもと言葉を交わして、「さぁこの子を今から食べるぞ」ってことになるんだよ。鴨とか豚だって、「今からこいつをさばいて夕飯にします」ってなったら気持ち悪くなったりするよね。普段、もう「食べ物」になってるとこしか見てないとさ。

「アマゾンを食糧にしよう」なんて妙なこと考えるのはもちろんドクター真木――じゃなくて橘さん。世界的に肉の供給が足りない、そこでアマゾンだ!みたいにぶち上げて政治家を「視察」に連れてきて実際に食べさせようとする。

その政治家さん、悠が親しくなった「ムク」って女の子を食べることになるんだけど、一緒に車に乗り込んで女の子を「ほほぉ」という感じで見るのがなんか“やらしく”て、「おっさん、食べる前に変なことしとこうかなとか考えただろ」みたいな。

そう思う私が変なこと考えてるな、ははは。汚れつちまつたかなしみに(´・ω・`)

それはともかく、「生け簀から出したばかりの魚を造りにする」みたいに「ほぼ人間」を調理させて食べるって、普通の人にはできなくない? まだ実験段階だから、ってことはあるだろうけど、あのやり方では一部のゲテモノ食いの人たちを喜ばせるだけだよね。

それで「美味しい食べ方」を確立してゆくゆくは「工場→大量生産→肉だけパック詰めで売る」を考えてるのかもしれないけど、いくらアマゾンの成長が早くても、そして人間を食べさせず草食で育てても、コスト的に「食肉供給の救世主!」にはならないんじゃ……。

施設の子どもたちは自分たちで作った野菜を食べて育ってて、もし本当に人間を食べないアマゾンが作れるなら「食糧」としてより「安い労働者」として使った方が良くないかとか、「食糧」として育てるんならよけいな知恵つけないでもっとドライに、それこそ厩舎にすし詰めブロイラー状態で“飼え”ばいいじゃん、と思ってしまう。

何も知恵をつけなければ――“教育”を施さなければ、生存本能が勝ってあっさり逃げ出したり、人間を食べたりするかもしれないけど。

施設の子どもたちは、知っているんだよね。自分たちが食べられるために育てられていること。そしてそれを「素晴らしいこと」だと教えられている。「私たちは幸せを運ぶ天使だ」と。

中には逃げ出した子もいて、その子たちは「肉食のアマゾン」として施設を襲ってきたりする。で、草食の子どもたちに「彼らは穢れた肉食になった」と忌み嫌われる。食べられて他の命の糧となって生きていくことは尊く、自分のためだけに生きることは醜い。

いやほんと、このテーマはすごく好きなんだけど。

「食べる」ってどういうことなのか。牛や豚なら平気で、なぜそれが「アマゾン」になったら――ほぼ人間と同じ生きものになったら嫌悪を感じるのか。レストランで子ども達を調理する連中もすごい心臓してるな、と思うんだけど、自分では殺さずパック詰めになった肉や魚を当たり前に食べている私は、果たして彼らより“まとも”なのか。

食べる側のアマゾンを「食べられる側」に持ってきたのすごいし、ただ食べるんじゃなく彼らに「食べられることは素晴らしい」と教えこんじゃうやり方、ほんとすごい。

橘さんの思惑はともかく、あの園を切り盛りし、「草食アマゾン」を実現した研究者でもあったらしい「園長」は、単に「アマゾンを支配」したかっただけなんじゃないのかな。わざわざ信仰心みたいなのを植えつけるって、それによってコントロールしたい、そんなものを信じて従順でいるアマゾンズを嘲笑いたい……みたいな。

生命力とか戦闘力では人間よりも上で、放っておいたら人間を駆逐するだろうアマゾンズを俺は「飼える」のだ、っていう。

もしも人間がアマゾンズに、「食べられることは素晴らしい」と教えられて「飼われる」としたら。食べるばかりで、普段食べられることのない人間という生きもの……。

で。

その施設で神様扱いされてるのが仁さんなんですが。

かなり長いこと後ろ姿しか映されず、「仁さんでしょ!わかってるんだから!もったいぶらないで早く仁さんの顔拝ませてよ!!!」って欲求不満になります(笑)。

仁さんの細胞を使ってアマゾンズの子どもたちを生み出しているので、園の子ども達にとっては文字通り仁さんは創造主。

しかしやっぱり「牧場」としてはすごく効率が悪いような……。

上半身裸で鎖に繋がれっぱなしの仁さん。トイレとかどうしてるんだろう、とつい考えてしまいました。この状態で何ヶ月経ってるんだろうとか。(シーズン2の最後からは2年経ってるんだっけ?あれ?設定どうだっけ)

園の子ども達を救いたい悠、なぜかライダーに変身できる園長、そして仁さん。これまで徹頭徹尾人間の味方であり、いい奴だろうが何だろうが関係なくアマゾンズは無条件に倒し、人間は無条件に守るを貫いてきた仁さん、ついに「人間」である園長を殺します。

ライダーに変身できるってことは、あの人アマゾン細胞を注入されてたんじゃないの?と思わなくもないんだけど……。仁さんと悠以外でこれまで変身できたのは、アマゾン細胞注入されて蘇った死人だけじゃなかった???

一方これまで「肉食」をせずに生きてきた悠もついに人間を(っていうかアマゾンズなんだけど)食べることに。

自分に課していたルールを破った仁さんと悠、それでもやっぱり二人は闘うしかない。

なんか、仁さんはもう疲れてて、悠に引導を渡してもらいたがってた感じでしたね。そういうセリフもあった気がする(すでに記憶が曖昧)。アマゾンズを殺すことに「何度やっても慣れねぇな、自分の子どもみたいなもんだしな」とも言ってた、確か。

七羽さんがいなくなって、七羽さんが生んだ自分の息子も始末して、ホントもう、心も体もボロボロだったよね、仁さん。アマゾンをすべて駆除する、っていう妄執だけでどうにか生きてたんだろうし、そのアマゾンの中には自分自身も入ってたから、「さっさと殺してくれよ」ではあったんだろう。

なんとなく、悠なら――悠が生き残っているなら、希望があるのかもしれない、って思ってたんじゃないのかな。仁さんも。

アマゾンを利用しようとする人間がいる限り、ただアマゾンだけを駆除していても、戦いは終わらないから……。

七羽さんに向かって「ただいま。やっと言えた」って言う仁さんせつなかったけど、でも泣けたのはそこよりも三崎くんのとこでした。

解散させられてはまた集められる駆除班のメンバー。悠の母に頼まれて養護施設のある村にやってきた彼ら、施設を抜け出したアマゾンズの若者たちに捕まってしまいます。もともと草食の彼らはすぐには人間を食べない。でも他に食糧もなく、飢えが耐えがたくなってきていて。

三崎くん、「食べていいよ」って言うんだよね。

「仕方ないよな、生理現象だもんな」って。

シーズン1で、マモちゃんに片腕を食べられて、それでも「こんなのどうってことないよ!戻っておいで!」って言えた三崎くん。

他のメンバーもみんなマモちゃんのこと思い出して……私も思い出して……うう。マモちゃーん!

「食べていいよ」って言える三崎くん、すごいよね。仲間でも何でもない相手にもそう言える。理想論で言ってるんじゃなく、ホントに食べられて、その痛みと恐怖と、腕をなくしたハンデを全部体験した上で、それでもまだ言える三崎くん、神か……。


札森さんが相変わらず札森さんで(あの人ほんと肝が据わってるっていうか、ある意味サイコパスなのでは)、最後橘さんがすごくドクター真木っぽかった(ギャグ的な意味で)。

そして野座間製薬会長。

この人をどうにかしないとアマゾンの悲劇終わりそうにないよね。全部知ってるくせに止めないどころか楽しんでるもんな。っていうか最後何食べてたの、会長……。


「食べる」こと、「食べられる」こと、たとえ存在自体を「悪」とされても「生きる」こと。
テーマは本当にすごく好きだけど、仁&七羽成分が足りない。
スピンオフを、どうかスピンオフを!

(おまけ:ちょうど今朝書評が載ってて気になった本『食べることの哲学』。読んでみたい)


(おまけ2:「食べる」といえばこれも忘れられない清水玲子さんの名作マンガ『22XX』。食べる必要がないのに食べる機能のあるアンドロイドと、聖なる儀式としての人食を行う部族の娘の邂逅…)