『若草物語』を読み終えてすぐ手に取った続編。途中で手が止まって、読了までにだいぶ時間がかかってしまいました。前半の内容をもう忘れている……。

できれば全部同じ訳者さんのもので読みたいな、と思っていたんですが、図書館在庫の都合で今回は講談社文庫版。
角川版ではローレンス老人が「~なのじゃ」みたいに「いかにもお年寄り風」に喋っていたり、ハンナ(マーチ家のお手伝いさん)の自称が「ばば」だったりして、むずがゆいところが少しありましたが、こちらはそういうことはなく。

それ以外の、ジョーたちの言葉遣い等は同じ雰囲気というか、訳者さんが違うことを意識する場面は特にありませんでした。

(ちなみに角川文庫版はこちら↓)


(※以下ネタバレあります。これからお読みになる方はご注意を)

原題は『GOOD WIVES』。マーチ家のLittle Womenたちが「良き妻」となっていく話です。

冒頭は前作から3年後、最後のシーンではさらに年月が過ぎ、ジョーは30歳になっています。前作ではジョー、15~16歳だったのにねぇ。

25歳の誕生日を迎えようとするジョーが

「老嬢――そう、あたしはそうなるんだ。文学一途のオールドミス。連れ合いはペン、家族は子どもたちにしてやるお話、(後略)」 (P386)

と嘆くシーンはなんだか身につまされる(^^;)

さらに地の文が

娘たちは二十五歳になると、老嬢になるなどといいはじめるが、心の中ではひそかに、けっしてなるものかと決意する。三十歳になると、老嬢になることなどは口にもださずに、三十歳という年をそのまま受け入れるようになり、分別のある娘なら、その先にまだ二十年という、どのようにも使える幸せな年月があることを思いだして、自分自身をなぐさめる。二十年あれば、品よく老いられるのではないだろうか。 (P387)

などと追い打ちをかけてくるんですよ。ああ、品よく老いられたかしら……。

ジョーのモデルである著者オルコットさん自身は結婚なさらなかったんですが、ジョーは結婚するんですよね。

でも私が期待してたようにはならなかった。
うう、残念だ。本当に残念だよ。

私だけでなく、『若草物語』を読んだ人はたいてい、「ジョーとローリー」というカップルを予想すると思うんですよ。ローリーは「ぼくが一生君の心の支えに」とか言ってますし、ジョーの方も「あたしのテディー」とか言ってるんだもん。

『続・若草物語』ではもうのっけからローリーが「ジョー好き好き光線」を出しまくってフラグを立ててるんですが、彼の気持ちにうすうす気づいているジョーの方にはまったくその気がない。

「心配ご無用。あたしはだれにでも気に入られるタイプじゃないから。あたしをほしがる人なんかないわよ。よかった、一家に一人は、老嬢がいなくちゃならないものね」
「自分のほうから、だれにもそのチャンスを与えようとしないだけじゃないか」 (P26)

「ぼくのことばをおぼえておくんだね、ジョー、つぎにいくのはきみだよ!」 (P27)

「つぎにいく」というのは「つぎに結婚する」ということで、ローリーは「ぼくが君を妻にするから!」と暗に言っているわけなのです。

でもジョーにとってローリーは「恋愛対象」じゃないんですよね。「実の兄弟」のように近しい存在で、だからこそ恋人や夫というふうには見られない。

大事な家族だと思ってるから、「あたしのテディー」なんて言っちゃうわけだけど、

「あたしのテディーなの?」「きみがぼくのジョーであるように、おっしゃるとおり!」ローリーはそういうと、ジョーの手を自分の腕の下に抱えて、この世の望みはすべてかなえられた男のように、さもうれしそうな顔をした。 (P131)

ジョー、めちゃくちゃ罪作りじゃない? そんなふうにローリーを喜ばせておいて、「あなたを異性として愛することはないわ」とピシャッと断っちゃう。

傷心のローリーはその後エイミーと恋に落ちてめでたく結婚するんだけど、幸せな二人を見ながら

おなじ姉妹なのに、どうして一人はほしいものがすべて手に入り、もう一人はなんにも手に入らないのだろうという思いが、(後略) (P384)

と嘆くジョー。
えええ、ローリー振ったの自分じゃん……。

いや、「あなたとローリでは夫婦としてはうまくいかない」とマーチ夫人が言うとおり、二人の仲は確かに「男と女」ではないのかもしれない。最終的にはジョーにもお似合いの相手が現れ、幸せな家庭を築くので、「みんな収まるところに収まった」なのでしょう。

でもでもでも!
ローリーが良かったよぉ。
ジョーを自分に引きつけて読んでしまうだけに、「私はローリーがいい!」と思ってしまう。私が良くてもしょうがないけど(笑)。


さて。

一足先に「良き妻」となっていた長女メグの新婚生活、そして「新米ママ生活」の描写は本当に「あるある」な感じで、100年以上経ってもこういう部分って変わらないんだなぁ、と思いました。

メグは夫のジョンに「いつでもお友だちを連れていらしてね」と言っていたんですが、間の悪いことに、メグがジェリー作りに失敗してくたびれ果てているところに友だちを連れて帰ってきちゃって、

一日中働いて、疲れはて、おなかをすかし、楽しい夕餉が待っていると胸をふくらませて帰ってきてみたら、家の中はめちゃくちゃ、食べるものはなし、妻はふくれっ面ときては、考えることもすることも穏やかにというわけにはいかなかった。 (P79)

という事態に。

ジョンからしてみれば「いつでもお友だちを連れてこい」と言うから連れてきたのに、メグは全然それどころじゃない。

「わたし、くたくたで、暑くて、むしゃくしゃして、困っていて、とにかくその全部なの! もう立っていられなくなるまで、これをやっていたのよ。はやく手伝ってちょうだい。そうでないと、死んでしまうわ!」 (P77)

張りきって作り始めたジェリーが全然固まらず、台所はむちゃくちゃ、くたびれ果ててジョンに泣きつきたかったのに、本当に間の悪いことにジョンは友だち連れ。しかも「ジェリーが固まらないって?そんなもの、窓から捨てちゃえばいいじゃないか」と笑われ、メグの悲嘆は頂点に達してしまう。

うん、外から帰ってきた夫にしてみれば、「ジェリー?は?」っていうのはわかる。でも一日格闘して、全然うまくできなくて泣きべそかいて、夫に慰めてもらいたかったメグの気持ちも超々わかるわけで。

ケータイもない時代、事前に「今から友だちと帰るよ」とも連絡できず、お互いに「なんでよりによって今日」となってしまった。

あとになって冷静に考えれば「タイミングが悪かったね」で済むようなことなんだけど、夫婦喧嘩ってだいたいこんな感じだよね(^^;)

メグが双子の赤ちゃんの世話に追われて、ジョンが家での居場所をなくしてしまうくだりも「あるある」。

メグは疲れはてていらいらし、赤ん坊たちはメグの一分一秒まで独占し、家の中はちらかり放題だった。(中略)朝、でかけようとすると、捕われの身のママから、こまごました用件をいいつかって面食らった。夜になってうきうきと帰ってきて、子どもたちを抱きしめようとすれば、「しっ、静かに! 一日中ぐずっていて、いまやっと眠ったところなの」といって、水をさされた。 (P288)

赤ちゃん一人でも大変なのに双子なんだから、そりゃあメグは「疲れ果てていらいら」するの当たり前。ジョンは決して悪い夫ではなく優しい人なんだけども、家に居場所がなくなって、友だちの家に入り浸りになっちゃうんですよね。

メグは母親(マーチ夫人)に相談します。

「ジョンは昼間は仕事で家にいないし、夜もわたしがいっしょにいてもらいたいと思っても、スコットさんのところにいってしまうんです。わたしばかり働いて、なんの楽しみも味わえないなんて、おかしいと思います」 (P292)

“スコットさん”を“飲み会”とかに置き換えると、今でもごく普通にある話じゃないでしょうか。「私は赤ちゃんの世話でゆっくりお茶を飲むこともできないっていうのにあなたは!」と……。

それに対してマーチ夫人は「でもあなただってジョンをほうっておいたでしょ?」と言う。もちろんメグは「だって赤ちゃんの世話が!」。

「子どもを理由に、夫をないがしろにしてはいけません」 (P294)

いや、そうですけどね、マーチ夫人。でもこっちも体は一つしかなくて、赤ちゃんの世話でくたくたなわけですよ? 優しくされたいのはこっちなんです。

だからその子どもたちの世話を夫にも手伝ってもらうのですよ、とマーチ夫人は助言します。子どもたちの相手を何もかも妻一人でしていたら、夫はただ「一家を養っているだけ」になってしまうと。

「子ども部屋から夫をしめださずに、どんな手助けができるか教えてあげなくてはなりません。子ども部屋はあなただけのものではなく、夫のものでもあるのですし、子どもたちには父親が必要です」 (P294)

ジョンはとてもいい夫であり父親だったので、この助言で無事育児参加権を得て、めでたく家庭円満になるんですけど、もしジョンが子どもの相手はしたくない、帰ったら妻に甲斐甲斐しく世話されて当然、という男だったら……。そんな男とは最初から結婚させませんかそうですか。

100年以上前の作品であり、「良き妻」「良き家庭」という教訓臭がするのは否めませんが、

男というのはそういうものだ。女が忠告者だった場合、はじめのうち男どもはその忠告をきき入れようとせず、いざきき入れたとなると、ちょうどそうしようと思っていたところなのだといって、自分でもすっかりその気になってしまう。 (P348)

なんて文章もあって、ニヤリとさせられます。

この「忠告者」というのはエイミーで、忠告される男はローリー。

「そうしたければ、一生ジョー姉さまを愛しつづけるといいわ。でも、それで自分をだめにしてしまわないことね。ほしいものが手に入らないからといって、すでに自分のものになっているすばらしい贈り物の数々を捨ててしまうなんて、どうかしているでしょ」 (P332)

ジョーに振られてちょっとばかりヤケになっているローリーを、エイミーがこう言って諫めるのですよね。
前作では甘えん坊でわがままな末っ子のイメージだったエイミーが、すっかり「しっかりしたきれいなお姉さん」になってしまって。何かと“雑”なジョーより、エイミーと結婚する方がまぁ、たいていの男子は幸せになれるよね。エイミー、四姉妹の中でも一番美人ってことだし。

社交界の花形になるにふさわしい美男美女カップル……うう、残念だよ、本当に残念だよ(しつこい)。

「収まるところに収まった」3人の娘たち。
一人足りませんが、三女ベスは早世してしまいます。
前作では猩紅熱からどうにか生還したけど、結局その後ずっと体調がすぐれないまま。

顔色が悪くなったわけではないし、それほどやせたわけでもない。けれど、奇妙なすきとおった感じがただよっていて、まるで人間的なものが少しずつ純化されて消えていき、かわりに永遠不滅のものが、ことばではいいあらわせない痛ましい美しさになって、か弱い肉体から輝きだしているようだった。 (P257)

自分でも「永くは生きられない」と感じて、たった一人、胸の裡で旅立つ覚悟を育てていくベス。

ジョーが書いた詩を読み、「こんなふうに思われているのなら、私もこの世でなしとげたことがあったと思える」と言うベス。

せつない……。



引き続き3作目に挑みたいと思います。


【関連記事】

『若草物語』/オルコット(角川文庫版)

『続・若草物語』おまけ~小説家としてのジョー

『第三若草物語』/オルコット