昨日の記事ではついローリーとの話ばかり取り上げてしまいましたが、そう、ジョーは小説家! 15歳にしてすでに新聞に小説が載って原稿料を受け取っているのです。

ああ、うらやましい(笑)。

『続・若草物語』でもちゃんとジョーの小説家修業について語られています。

ジョーの書く小説は、世間の評価はほとんど受けなかったが、売り先には困らなかった。 (P65)

すごい。
読者の好みに合わせてすぐ書けるジョーすごい。

もっとも、ただ好みに合わせているとどんどんセンセーショナルな方に行ってしまうので、「本当にそんな作品でいいの?」ということになって、ジョーは心を改めるんですけども。

「自分ではとくによく書けたと思っている部分」をごっそり削って三分の一ほどの長さにしたら出版してやる、と言われるところとか、オルコットさん自身の経験談なんでしょうかね。

ジョーと同じように、オルコットさんも「ごっそり削って」出版なさったのかしら。
もし私だったら……涙を呑んで削るかなぁ。「ここは譲れません!」というほどの信念、ないかも。それより本にしてもらいたい欲が勝ちそう。

そうして出版された作品に対して、

「からかっているものがあるかと思うと、ほめすぎのもあるけど、どの批評にも共通しているのは、あたしがすごい理論を持っていて、それを表明したくて書いたんだっていっていること。あたしは楽しみとお金のために書いただけなのに」 (P70)

ってジョーが思うのもオルコットさんの本音なのかな。
「自分が楽しいから書く」っていうことについては

ジョーは空想の世界で恐れるものはなにもなしの幸せにひたっているあいだ、おおぜいの友人に囲まれているのだが、ジョーにとってその友人たちは現実の世界の友だちと変わらないくらい身近な存在で、大切だった。 (P58-59)

というふうにも表現されていて、これほんと「めっちゃわかる!!!」。
空想の世界の大事な友だちがいてくれればこそ、ここまでどうにかグレずに生きてこられたんだもん。ありがとう、大事な私のキャラクターたち。

ジョーは頭の発達より、心の発達の方が遅れていたからだ。現実の王子さまより、空想の世界の王子さまのほうがよかった。空想の世界の王子さまなら、飽きたら台所用のブリキ箱にしまってしまえばいいが、現実の王子さまのほうはそうはいかなかったからだ。 (P169)

ジョーは人生におけるこの時期、肩ひじ張って必死で生きていたから、世の中と折り合いをつけて、もっと気楽に生きていくこつを身につけるには、何度もはげしく打たれなくてはならなかった。「プライドばかり高くて、おもしろくもない人」は、容赦なくのけ者にされた。 (P121)

なんか、いちいち他人とは思えない(^^;)
もっと若い頃、学生の時や20代前半の時に読んでたらこのあたり、もっとグサグサ刺さってたんじゃないかな。ジョーに共感するあまり、作品の感想がずいぶん違うものになっていたかも。

メグの「新婚あるある」なんて、きっとあんまりピンとこなかっただろうしね。

人生のどの時期にめぐりあうか……本との出会いもほんとに縁だな、と思います。




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