Kindleで無料だったので読んでみました。『私の探偵ソーンダイク』。
訳者の美藤志州さんがKindleダイレクト出版でフリーマンさんの未訳作品をいくつか出してらして、そのとっかかりとしてこれを無料で提供なさっているようです。

あとがきに美藤さん訳長編3作の概要が紹介されているんですけど、でもこれ、Kindle文書の中には美藤さんの名前がどこにも書いてないよね? そういうものなのかしら……。

(※Kindle版だと画面サイズや文字サイズでページ数が変わってくるので、以下、引用文にはページではなく全体の中の何パーセント目かを目安表示します)


収められているのはフリーマンさんのエッセイ二つと短編一つ。
どれも短くて、全体で30分ほどで読めるぐらいの分量です。

『私の探偵ソーンダイク』では科学者探偵ソーンダイク誕生の経緯が語られます。
「ホームズのライバル」と呼ばれるソーンダイク博士ですが、フリーマンさん自身、「同じ医者であるコナン・ドイルが華々しい成功を収めた」ことに刺激を受けていたよう。

“その業績(※コナン・ドイルの業績)を考えて、私は少し種類の違った探偵小説を生み出すことが可能かどうか自分に尋ねた。” (8%)

学生時代に法医学に強い印象と興味を覚えていたフリーマンさん、法医学に基づいた探偵小説を書くこと、科学的事実が基礎になった、“登場人物と出来事以外はフィクションではない物語”を書くことにします。

そういった物語を成立させるにふさわしい探偵役として、ソーンダイク博士が生まれたわけですが、「法律と医学の両方の心得がある人物」なのは当然として、

“身体的な面では、すべての生まれつきの利点を与えた。” (10%)

という述懐が興味深いです。
ここまで長編3作品を読んできて、その人柄の良さは実感していたものの、ソーンダイク博士の外見はあんまり印象に残ってなかったんですよね。
でも実はソーンダイク博士、背が高く、筋骨たくましく、そして顔も男前らしい。え、そんな描写出てきたっけ?(笑)

ソーンダイク博士の容姿が抜群なのは、フリーマンさんの好みというだけでなく、

“探偵小説の他の作家が生み出した醜いモンスターに対する抵抗の意味もあった。” (10%)

あはははは。
この後に続く文章も、「名探偵が奇癖持ちなのっておかしいだろ、そんな異常な人間でなくたってまっとうな頭があれば名探偵になれるだろ。てか一流の人間ってのはさ…」って言ってるみたいで面白いです。

多くの作品で語りを務めるソーンダイク博士の同僚ジャービスが、読者から「理解力がなさすぎる」と文句をつけられているという話も楽しいし、エッセイの最後の部分の

“個人差は、物語を書くことだけではなく、読むことにも影響を及ぼすからである。” (16%)

という意見もふむふむ。

二つ目のエッセイ『探偵小説について』は少し長め。
冒頭、探偵小説が地位の低いものに見られていること、バカにされがちなことに対して反論を試みているのですが、1924年当時の探偵小説の置かれた状況が窺えてこれまた興味深いです。

探偵小説が知的で文化的な人々の支持を得るのが難しいのは「探偵小説に失敗作がたくさんある」から、という理屈には苦笑してしまいますけど、それだけフリーマンさんには「自分の作品はそうではない」という自負があったのでしょうね。
もちろん、自分だけでなく、「最近は新しい流派の作家たちが出てきて、彼らの作品は見事だ」ともおっしゃってます。

読者を驚かせるために奇をてらい続けていると、どんどん扇情的にエスカレートしていくしかないけれど、「探偵小説というのはそういうものではない」とも。

“探偵小説を他のタイプのフィクションから区別する特徴は、読者に提供する満足が、知的な満足であるということである。” (24%)

ここにも自分の提供する「科学的知識に基づいた綿密で論理的な謎解き」に対する自負を感じます。

“物語全体を通して続くラブ・ストーリーを別として、(そのようなものを書く余裕はないのだが)” (30%)

という箇所には思わず「書いてるじゃん!」とツッコミを(笑)。
ただの知的な推理遊び(“遊び”というのは失礼ですけども)でなく、フィクションとして、文芸としても読み応えのあるものにする。
「またかよ!」と思わされた語り手と美しいヒロインの恋物語も、フリーマンさんの信念の一つを表していたのかも?

ディケンズの『エドウィン・ドルードの謎』では、天才の手腕によって、探偵小説においても、素晴らしい質のフィクションが可能であることが示されている。 (30%)

未完にもかかわらず各所で名作扱いされる『エドウィン・ドルードの謎』。フリーマンさんもべた褒め。でも「やっと面白くなってきた!」ってところで終わってしまうし、肝心の謎解きはなされないままだから、「探偵小説においても素晴らしい」と言い切ってしまっていいのだろうかという気がしないでもない。

最後の短篇『魔法の小箱』ももちろんソーンダイク物。語り手は「理解力がなさすぎる」ことで有名な(笑)ジャービスです。

ある晩、二人が街を歩いている時にふと目に止まった「落とし物」。それを持ち主のもとに届けたことからソーンダイク博士はちょっとした事件に関わることになる。

この作品、日本人が出てくるんですよね。でも残念ながら、美しいヒロインでも、前途有望な若者という立場でもない。

“上西は世界的なギャングの一員であると信じられており、警察が目をつけていました” (55%)

犯罪者側なのでした(^^;)
「世界的なギャングの一員としてスコットランド・ヤードに目を付けられる」日本人って、当時本当に存在したんでしょうかね? ジャパニーズ・ヤクザでなくマフィアか何かの構成員の日本人……。

で、その「上西」という男、“芸術好きな日本人が好む小さな小物類を作る”(62%)金属職人でもあったのですね。

イギリスからアメリカに渡り、アメリカで捕まって刑務所内で小箱を作り、そして獄中で死んでしまった。上西はその小箱を形見として兄弟に渡してほしい、と言っていたんだけれども、その相手も実はすでに死んでしまっていた。

ギャングが“兄弟”に遺した小箱がただの工芸品なわけもなく、そこに隠された謎をソーンダイク博士が解き明かす、というお話。

「五つの日本語の漢字」と言いつつその一つが「ロンドン」だったりして、「ん?」となりますが、ソーンダイク博士には「日本語の漢字の知識が少しあり」、「辞書も持っている」という描写には日本人として頬がゆるみます。

でもこの話、なんかどこかで読んだ気がするのですが……。細工された箱に手がかりがあって、○○から××が見つかる。この作品自体は本邦初訳だけど別の作家さんがトリックを拝借してたとかなのかな……うーん、単なる気のせいか。


ともあれ長編3作でソーンダイク博士に親しんだあと、フリーマンさん自身の「見解」を聞けるのは楽しかったです。
美藤さん、訳してくださってありがとう。

あとがきで挙げられている初訳長編も気になりますが、できれば私は紙で読みたい……。

(この『冷たい死』、欧米ではソーンダイクもののベスト長編にも挙げられているそうな。なんでこれまで未訳なの、なんで紙で出てないの……)