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今回は現代教養文庫版で読みました。


さくさく読み進んだ前作と違い、読むのにめちゃくちゃ時間がかかってしまった(^^;) 出かけたりお相撲見たり、なかなか時間が取れなかったのもあるけど、なんとなく気が乗らなかったんですよねぇ。うーん、珍しく読んでてあんまりわくわくしなかった。

殺人事件は起こるけど、その謎解きはメインじゃないどころかうっちゃっておかれるし、カドフェルはただ事態を見守る“目”という感じで、活躍らしい活躍をしない。
代わりに懐かしのマークががんばってはいるけれど……。

舞台は1144年の初夏前作『陶工の畑』からおよそ半年ほど経っています。
司教の使者としてシュルーズベリにやってきたマーク。
そう、このシリーズを1巻から読んでいる方には懐かしい、かつて(2巻3巻)カドフェルの助手を務めていたあの若者です。5巻ではハンセン病療養所で働きつつ活躍、8巻でも姿を見せ、「聖人の資質を持った修道士」として司祭になるべく修行に旅立った彼が、助祭となって帰ってきました。

彼の任務は上司であるリッチフィールドの司教からウェールズに新しく赴任した司教へと親書を運ぶことですが、ウェールズ出身のカドフェルを通訳として連れて行く許可を上司から得ていたのです。

「少しじっとしていると冒険の血が騒ぐ」カドフェル、喜んでマークとともに旅立ちます。

そしてウェールズでグウィネズ領主オエインその弟キャドウォラダの諍いに巻き込まれてしまうのですが。

この辺、現代日本人には少しわかりにくい。
そもそもウェールズに行くのに通訳がいるのかぁ、というところからしてびっくりしてしまう(これはカドフェルシリーズでは最初から出て来ることではありますが)。
この間のラグビーワールドカップでもイングランドとは別にウェールズが参加していて、それを言うならスコットランドも別に参加していて、「イギリス」の正式名称が「グレート・ブリテン及び北アイルランド連合王国」なのは知ってはいるけど、言語や文化の違い、歴史上どんな相克がそれぞれの間であったのか、予備知識がほとんどない。

マークが親書を持って行く先の教区はイングランドとウェールズの国境地帯にまたがり、長く司教の座が空白だった。そして、このたび新しく任命された司教はウェールズ人ではなくノルマン人で云々。

まぁその辺の細かいことはわかってなくても大丈夫ではあるんですが、新しいノルマン人の司教にとって、「聖職者が妻帯し、子までなしている」ということは非常に不快な、許しがたいことなのです。

でもウェールズの聖職者には家族を持っている者が普通にいたようで、聖堂参事会員メイリオンは娘ヘレズを厄介払いしようとしている。
妻はうまいぐあいに病で亡くなってくれた。娘も遠くへ嫁がせてしまえば晴れて“独身”、出世の道が開かれる、と。

いい迷惑なのは娘の方で、今回のお話は彼女ヘレズの「自由への旅」がメインだったりもします。
ピーターズさんの描くヒロインはみんなしっかりと自分の意志を持ち、いつもとても魅力的ですが、このヘレズもまたなんとも強い娘です。
父のやりように反発しながらも父を愛し、父の迷惑にならぬよう遠くへ行こうとはするものの、「押しつけられた結婚」だけは受け入れない。
オエインの軍勢とともに花婿のもとへ向かう道すがら、たった1人、馬を盗んで行方をくらます。

1144年ったら、まだまだ女性の自由なんてなかったろうと思うし、いくら勝手知ったる土地だったとしても、若い娘が一人で森だのなんだのを越えて旅をするのはめちゃめちゃ危険ですよねぇ。

それでもヘレズは一人で旅立っていっちゃうんだなぁ。
父親が選んだ結婚相手は決して悪い男ではない。この時代、それなりの家格の家の娘が会ったこともない男に嫁がされるというのはきっと珍しい話ではなく、そういった婚姻でそれなりに幸せに暮らしている夫婦はたくさんいたでしょう。

でも。

「だが一つだけ欠けているものがある。致命的なものが! それは彼女が選んだ男ではないということだ」 (P213)

カドフェルの言うとおり、ヘレズにとってそれは致命的。マークの反論にも、カドフェルはこう答えます。

「彼女はもっとずっと不幸にもなりえたのです。(中略)女は、男も同じですが、与えられた環境で最善を尽くすべきなのです」
「あと三〇年もしてからならば、彼女も迷わずそれで満足するだろう。だが一八歳では――無理だろう!」 (P213)

で、1人逃げ出したヘレズは案の定危険な目に遭ってしまうわけです。なんと、デーン人にさらわれてしまう。

解説によるとデーン人というのは本来デンマーク人の呼称で、いわゆるヴァイキング。カドフェルの時代にはアイルランドのダブリンに「デーン王国」が築かれており、今回作品タイトルにもなっている「デーン人」はこのダブリンのデーン人です。

グウィネズの領主オエインの弟キャドウォラダは大変困った人物で、兄によって領地を取り上げられ、追放されていたのですが、そのキャドウォラダが「てやんでぃ、俺は大人しく追放されてなんかいねぇぞ、助っ人呼んできたんだ、覚悟しな!」とばかり、金でデーン人を雇って戻ってきた。

やってきたデーン人たちはキャドウォラダから報酬をもらうのはもちろん、行き掛けの駄賃に食料や家畜をいただいていこうぜ!というわけで沿岸を物色、ヘレズを見つけてさらっていきます。彼女を探しに来ていたカドフェルも一緒にデーン人に捕まってしまいます。

カドフェルは聖職者でもあり、2人は「身代金が取れる人質」として丁重に扱われ、むしろヘレズは「嫌々嫁がされる身」だった頃よりのびのびとしていたりするんですが、オエインとキャドウォラダ、そしてデーン人の関係は愚かなキャドウォラダのおかげで二転三転大混乱。

ほんと、読んでて「なんでおめぇそんな要らんことばっかすんねん!このどアホが!」と言いたくなります。

オエインはめっちゃ立派な領主なのに……。たとえ自分の部下でなくても、それどころか敵方に属する人間であっても、

「あの男はわたしの臣下ではないが、わたしに対して悪事をなしたわけではない。だからできるかぎり公平な取り扱いをしようと思う」 (P131)

って言うし、デーン人との無駄な戦争なんか絶対に回避すべきと思ってる。そしてアホな弟には「てめぇが連れてきたデーン人だ、てめぇで始末をつけろ!」と突き放す。

その際マークがどちらにも利害を持たない「使者」として、実に立派な立ち居振る舞いを見せるのですがしかしキャドウォラダがアホすぎて、マークの成長ぶりもあんまり頭に入らない……。

こんなアホな主人のために奮闘する臣下が気の毒で気の毒で。

「人が自分の領主に忠誠を尽くすのをとやかくいう筋合でないのは、わたしだってわかっている。しかし、神があんたに与えられたのがもっと良い領主だったなら!」 (P283)

“親は選べない”ならぬ、“領主は選べない”的なことがあるのかなぁ。一旦忠誠を誓ったら、たとえ領主が悪事を働いても、裏切るわけにはいかないのか。一度裏切った人間を、他の領主は信用してくれないかもしれないわけだし。

しかし

「きみだって他人との約束より主人への忠誠を優先して、必要とあれば約束を破ってでも主人のもとに駆けつけたのではないか?」(中略)
「いや、そんなことはない。ぼくは、自分自身清廉潔白で部下にもそれを要求する主人にしか忠誠を誓ったことはないからだ」 (P277)

って会話になるとこう、最初にひどい領主に仕える羽目になってしまった人間はどうしたらいいんでしょう、という。

最後はもちろん丸く収まるというか、カドフェルもマークも解放され、元の「司教のお使い」の仕事に戻り、ヘレズはヘレズで「自分の選んだ相手」を見つけるわけですが、うーん、なんか今ひとつお話に入り込めなかったです。

結局、聖堂参事会員メイリオンの娘は自分の望みを知っていて、冷酷なまでにそれを追い求めたのだ。まわりの男たちも主人もだれ一人として、彼女の望みを叶える助力をしてくれようとはしなかったから。 (P354)

こんなヒロインを描くピーターズさん素敵だし、うまくマークを絡めてカドフェルと2人旅にするアイディア、お話の構成も素晴らしいな、とは思うけれども。

あとこういう描写。

春がめぐってくるごとに、それはこの世に二つとない春であり、つねに驚きに満ちていた。(中略)どの年の春も、あたかもそれが最初の経験で、たったいま神に方法を教えられ、やってみたら不可能が可能になったとでもいうように、突如人のまえに現れるのだ、と。 (P161)

世界に対する眼差しがとても素敵なんですよねぇ。

カドフェルシリーズ、長編はあと2冊、短編集が1冊残っているだけ。寂しい。寂しいぞ……。


あ、それから現代教養文庫版の解説の最後には、ニフティサーブの「カドフェル修道会」というフォーラムが紹介されているんですよ!管理人さんのIDと名前付きで!
1995年初版の本なので、まだピーガリガリガリとモデムで通信していた時代ですよね。ようやく私のような素人もインターネットを使い始めた頃。
ニフティサーブは2006年に終了。もう終了して10年以上経ってるのか……(遠い目)。

古い本を読む楽しみ、こういうところにもありますね。古いと言っても平成7年、もう消費税も始まっていて、「定価760円(本体738円)」。

“古い”の定義ががが。

ちなみに原著は1991年の刊行だそう。1作目の『聖女の遺骨求む』は1977年。現実世界でも、カドフェル世界でも時は流れて――。