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全部読んでしまうのがもったいなくて中断していたカドフェルシリーズ。
16巻目を読んでその感想を書いたのは2014年の9月でした。
5年も経ってる……

そろそろ続きを読むか、と手に取ったものの、さすがに5年も経つとだいぶ記憶があやしくなっているので、もう一度自分で自分の感想記事を遡って、登場人物とか大体の流れを思い出しました。

本当に、自分に一番役立つな、blog。

さて、そんなわけで17巻目です。
1143年の8月からお話が始まります。
おなじみ、地区の執行長官ヒュー・ベリンガーとアラインの息子、ジャイルズはもう3歳半になり、お話の終盤では「あとひと月で4歳になる」と言われています。

これまでにもさんざん書いてきましたが、こうして「おなじみの面々」が成長し、時を重ねていくの、シリーズ物ならではの楽しみですよねぇ。

主人公カドフェルのいるシュルーズベリの修道院。新しく修道院の領地となった土地を開墾すべく鋤を入れていると、なんと土中から女性の白骨死体が!

豊かな黒髪以外には生前の面影をとどめない死体。一体どこの誰なのか。
実はその土地、現在シュルーズベリで修道士となっているブラザー・ルアルドが以前借りていた土地だったのですね。ルアルドが元陶工だったことから、「陶工の畑」というタイトルになっているわけです。
(※解説によると、聖書における「陶工の畑」のイメージも投影されており、文中には「ユダの裏切りの銀貨で購入された土地」というセリフが出てきます。)

ルアルドには美人の妻がおり、その妻の反対を押し切ってルアルドは修道院入り。最愛の夫に捨てられた彼女はほどなくして行方をくらましていたので、「死体は彼女のものか?」「殺したのはルアルドか?」ということになるのですが……。

最初にその土地の元の所有者の話が出てきたところで、「この辺が怪しいな」というのはだいたい予想がつくのですが、ピーターズさんの語り口が素晴らしいので「どう決着がつくんだろう」とどんどん読み進んでしまいます。

「濡れ衣を着せられた若者をカドフェルの推理で救う」パターンが多いこのシリーズですが、今回は「自ら濡れ衣を着ようとする若者」が出てきます。
ルアルド夫妻とは子どもの頃から親しく、ちょうど彼女の行方がわからなくなった頃に修道士見習いとなった荘園主の息子サリエン。
彼は何を隠しているのか?

そしてたった一度会っただけでサリエンに心惹かれ、彼のために真実を暴こうとする別の荘園主の娘パーネル。本当に、ピーターズさんの描く娘たちは行動的で賢く、魅力的です。
もちろんその素晴らしい筆は若い娘のみならず、中年の女性にも及び、事件の鍵を握る“彼女”(ネタバレになるのであえて伏せます)の気丈さ、凛とした威厳ある態度、覚悟の見事さには感心するしかない。

周囲からは“守らなくてはならない”“傷つけてはならない”と弱者扱いされている彼女が、実は誰よりも強いかもしれない、という逆転劇。
私自身が女だからということもあるけど、女性陣の印象に比べると男性陣はちょっと印象薄かったなぁ(^^;)

カドフェルもヒューも、そして人格者のラドルファス院長もいつもながらとても素敵だけど、彼らの活躍はもう「当たり前」のことですしね。
開墾しようとしていた土地から白骨死体なんか出てきたら「ファッ!?不吉な!」となりそうなところ、

院長の声はふだんどおりで、自信にあふれていた。五十年以上の生涯を送ってきた彼にとっては、これまでに経験したことのないほど途方もない事柄は、ほとんどないといってよかった。だから、今回の出来事がたとえ初めて遭遇する類のものだとしても、最も深刻なものではありえなかった。修道院は別世界ではなく、どんなことでも起こりうる世間に囲まれ、その世間に依存する存在にすぎない。 (P33)

と、実に落ち着いている。
この描写がされるのはまだ「髪の毛が出てきた」段階ではあるんだけど、その事実を報告しにきたカドフェルに向かって、「その髪がまだ人の頭に生えていると言いたいのだな」と冷静に問いかけるんですよ、ラドルファス院長。

サリエンが「やっぱり修道士になるのはやめて世俗に戻りたい」と言った時も、

「人はすべて、たったひとつの命を与えられ、神への奉仕を自然に行なう本性を与えられている。だが、もしも神への奉仕がたったひとつのやり方でしかできないならば……つまり修道院に入って独身を通すしかないならば……人の誕生という出来事はなくなって、人はこの世から消え、結果として、神は教会の内においても人の尊崇を受けることができなくなる。」 (P92)

と言って、その背中を押すのよね。
これも何回も書いてきたと思うけど、ラドルファス院長みたいな人がいるなら中世のキリスト教も悪くないなぁ、と思うし、宗教云々に関わりなく、こんな大人がいるなら世界は――と思います。
こんな大人にならなくちゃいけないのよね……。神を――人智の及ばぬものがあると知り、そのことに畏怖しつつ謙虚に、人として少しでもより良く生きようとし、若者を温かく見守り育てる大人に。

出番は少ないけど、アラインもさらっと素敵なセリフを言っています。
「わしはルアルドのような選ばれた聖人ではない」と言うカドフェルに向かって、

「それが聖人?」アラインは訊いた。「それでは、聖人になるのはあまりに簡単すぎるような気がします」 (P24)

と答えるのです。

美人の妻を捨て、その嘆きの深さを想像することもなく、ただただ自分が「神の道」に入れたことを喜んでいたルアルド。妻かもしれない死体が見つかってさえ、まったくうろたえることもなく、「哀れ」とは思っても悲しんだり、罪悪感に苦しむこともない。

神の道を選ぶ時、ルアルドには何の葛藤もなかった。「それでは、あまりに簡単すぎる」とアラインが言うのも道理。
苦悩もなく、自身が捨ててきたものの想いに心を馳せることもなく、ただ己の欲望と喜びにのみ目を眩まされている者が、なぜ“聖人”でありうるだろう。たとえどれほど神に忠実であろうとも。

お話は、カドフェルがルアルドとともに墓地に立ち、

彼自身は一度も、そのように目を眩ませられたことはなかったのだ。 (P346)

と、彼我の違いを感じるシーンで終わります。
十字軍の兵士として戦い、おそらくは多くの命を奪ってきただろうカドフェル。神の威光に目を眩ませられたからではなく、冷静に、慎重に、みずから選んで修道士となった彼こそ真に“聖人”たりうるのでは……。

シリーズはあとたった4冊。
ああ、やっぱり読み終わっちゃうのもったいないな。