テレビ本放送で見て以来、30数年ぶりに『ZZ』見ました。
本放送は1986年3月から翌87年1月末放送だったらしいので、およそ33年ぶり

「エルピー・プルのエピソードは好きだったけど全体としてはあんまり」という印象しか残ってなかったんだけど、改めて見たら予想外に面白かった。
最初の、マシュマーやキャラ・スーンやオットンがどたばたコメディーしている部分はやっぱり「なんじゃこりゃ」って感じもあるんだけど、2クール目入ってプルが姿を現し、地球に降下するあたりからすごく面白くなってきた。


【シャングリラのジャンク屋たち】
1話目がエピソード0みたいな扱いで、「これまでのガンダムのおさらい」になってるの、全然覚えてなかった。シャア(クワトロさん)がシンタとクム相手にモビルスーツ影絵クイズとかやってるの、めっちゃシュール^^;

本放送の時は『Zガンダム』から引き続きの放送で、アムロやシャアの「その後」に驚き、カミーユのあんな終わり方に衝撃を受け……。だからこそ『ZZ』は明るくドタバタで始まったんだろうけど、きっと当時の私は「なんだ、もうアムロもシャアも出てこないのか。カミーユもあの可哀想なままのか」と思って、ジュドーたちに感情移入できないままだったんだろう。
ファーストガンダムに魂を引かれすぎてた。
(それでもエルガイムやダンバインと違って最終回までちゃんと完走はした)

でも今回はむしろ下手にアムロとか出てこなくて良かったと思った。シャングリラのジャンク屋の子どもたちが戦争に巻き込まれて、状況に流されながらもたくましく生き延びていく、そこをじっくり描く。一年戦争の英雄なんか関係ないよ?俺たちは俺たちだよ、って感じが。

最初のドタバタ部分ではビーチャとモンドがネオ・ジオン側に寝返ったりして、「ええっ!」って思うけど、そういう「主義とか関係ない」「得になりそうな方に付く」っていうの、考えてみたら「それが自然」な気がするし、最初にアーガマの方に乗り込んじゃったからって、彼らは別にエゥーゴの人間でも、地球連邦に忠義立てしなきゃいけない人間でも、なんでもないんだもんなぁ。

そもそもエゥーゴって何なんだっけ、「この戦争」って誰と誰が何のために戦ってるんだっけ?って感じだし。

『Z』は新訳版も映画館まで行ったし、数年前BS11で再放送してたのも見たけど、相変わらずティターンズが何なのか私にはよく飲み込めず、突如シロッコが木星から帰ってきて戦況を引っかき回すのもよくわからず、「ほんとに大人たちは何のために戦争なんかしてんだ?」と……。

それに比べるとネオ・ジオン(ハマーン)vsエゥーゴ(というかアーガマ)に焦点が絞られてる『ZZ』はわかりやすい。まぁ、途中で地球連邦のお偉いさん方が「サイド3なんかハマーンにくれてやりゃいいじゃないか」って言ってるの見ると、なんでハマーンとアーガマが戦ってるのか、わかんなくもなるけれども。

ハマーンがコロニー落としを敢行してダブリンがえらいことになっても、地球連邦のお偉いさんたちは「人減らしになって良かった」とか言ってて、避難民を乗せたアウドムラを命がけで助けに行くのは、「あっちの方が楽そう」でネオ・ジオン側に付いたこともあるビーチャたちだったりする。

作戦とか上からの命令とか関係なく、「あれ、避難民乗ってんだろ!?」で助けに行けちゃうのって、「ただの子どもたち」だからこそだよなぁ。

ファーストでもアムロやセイラさんはまだ10代で、「巻き込まれた子ども」だったけど、ちゃんと連邦の制服に身を包んで、途中からは軍曹だの何だの肩書きも与えられて。
けっこう連邦の軍人として戦ってたよね。

『Z』では「賢しいだけの子どもが!」と言われるカミーユが孤軍奮闘で、大人たちがごちゃごちゃめんどくさい争いをしてた。

そこへ行くと『ZZ』は勝手な子ども達が子どものまま物語を引っ張っていく感じで。

終盤、ビーチャはなんとネェル・アーガマの艦長代理になっちゃったりもする。ネェル・アーガマ見て「これは高く売れる」とか言っちゃうビーチャが艦長代理って!
これには本当に驚いた(全然覚えてなかった)。「子どもたちが自分たちで考えて船を駆り、行動する」ってちょっと『Gレコ』っぽいのでは。

トーレスやアストナージといった大人も乗ってはいるけど、彼らがなんだかんだ言いつつビーチャを艦長代理として認め、ちゃんと支えてあげるのもすごいよなぁ。最初は地味キャラだったイーノがどんどんしっかりして、影の艦長代理みたいになってるのも面白かった。
終盤ビーチャに「お前も言うようになったな」と言われて「ビーチャに鍛えられたからね」って返すのも楽しく。

ハマーンに愛されるほどのニュータイプ・ジュドーはともかく、ビーチャにモンド、イーノにエルまでモビルスーツあっさり操縦できちゃうの都合良すぎな気もするけど、ガンダムMk-II、Zガンダム、ZZ、それに百式と、「ガンダムチーム」で戦うの、いいよね。なんかこう、往年の子ども主役の合体ロボット物風味っていうか。

最終回(たぶん)でエルとビーチャがひっぱたき合いするところもいい。エルはジュドーが好きで、ビーチャはエルが好きで、ビーチャはジュドーにはかなわないと思い、エルはルーのように戦えずジュドーの役に立てないと思い……それまでちょこっと描かれてきたことがちゃんと回収というか、一応の決着というか。

うん、なんか私、ビーチャが好きです(笑)

【戦争に巻き込まれるということ】
で、地球でのエピソードがどれも興味深かったんだけど、地球降下前、グラナダでの「泣き虫セシリア」の回がまた。

宇宙のミハル姉ちゃん。

いや、全然ミハルとは性格も違うんだけど、泣き虫で弱いセシリアだからこそ、最後に見せる勇気がつらい。
セシリアって、トーレスの幼なじみなんだけど、グラナダも戦争に巻き込まれる、怖いから逃げたいって思ってて、家族みんなで避難するためのお金を工面しようと、ネオ・ジオン側のスパイになるんだよね。アーガマの情報を取ってきたら渡航費用を都合してやる、って言われて。

ミハル姉ちゃんは弟妹を養うためスパイ仕事を請け負って、彼女にとって弟たちは「勇気の源」「生きる力をくれるもの」だった。でもセシリアにとって「家族は重荷」。セシリアの親はちゃんと生きてるけど、娘が幼なじみを裏切ることまでして稼いだ金で輸送船に乗り込みながら、文句しか言わない。

長子だからと親にも兄弟にも頼られ、本当は逃げ出したいのに家出をすることもできず、家族一緒に行動するしかない。幼なじみのトーレスにも突き放され、最後は「このままじゃトーレスにも嫌われちゃう」と自爆する羽目になる。何が起こったのか、トーレスはたぶん知らないまま。ミハルちゃんよりもっと悲しいセシリア……。

戦争に巻き込まれた一般人の悲哀は地球降下後も色々描かれて、「南海に咲く兄弟愛」では、戦争のせいで漁ができなくなったから古いモビルスーツに乗ってジオン側の手先として金をもらうしかない、っていう少年が出てくる。

「マサイの心」では、前の戦いの時に砂漠に不時着したジオン兵を助け、恋をして、その男の無念を晴らすために彼のモビルスーツで戦う女の姿が描かれる。
復讐としてガンダムを狙うんじゃなくて、ジオン兵を受け入れなかった自分の村の人間たちを見返すために、戦果を上げようとする、ってところが細かい。
最後、ハッピーエンドにならないし。
形見のモビルスーツを取り上げられ、「恋人のために生きる」という目的を失った彼女は廃人同然……。「そんなことをしても死んだ者は喜ばない」とありきたりなことを言って彼女から戦いを奪って、代わりに何を授けられるのか。
何もない。

砂漠の民であることを誇りに思い、「フランク(ヨーロッパ系住民)を追い出して独立する」ことを目指しているらしい(記憶がテキトーなので間違ってたらすいません)部隊の生き様が描かれる「青の部隊」。
彼らが待ち望んでいた反乱軍のリーダー格の男はさっさとネオ・ジオンと手を組んで、「自分たちの街」を躊躇なく攻撃する。そこには同胞もたくさんいるというのに。

結局その「リーダー格の男」が欲しいのは民族の独立だとかなんだとかじゃなくて権力なんだよなー、だし、「男の気概」「誇り」を守ろうとする「青の部隊」の男達は時代遅れのただの愚か者にも見えて、「別にどっちも正しくない」みたいな。

最後に「自称芸術家のフランクのイケメン」が、破壊された町の一角で「文明を作り、そして壊すのが人間」ってお茶飲んでるのがなんとも良かった。

テレビのファーストガンダムも本筋とはあまり関係のない「戦場は荒野」とか「ククルス・ドアンの島」といったエピソードが印象的だったよね。今のアニメは長くてもせいぜい2クールで、1年かけて物語を紡いでいく昔のアニメはこういう寄り道が面白い

【プル可愛いよエルピー・プル】
で、その「自称芸術家のイケメン」はルー・ルカをちょっと助けたりもするんだけど、「青の部隊」の前に「ルー・ルカの逃亡」劇がある。ファーストではアムロがホワイトベースを降りて砂漠をさまよい、『ZZ』ではルー・ルカが似たようなことをする。

「リィナの血」後編でリィナが死んでしまって(実は生きてる)、落ち込むジュドーにキレて、「こんなんじゃとても戦えないわ!」とアーガマを降りるルー・ルカ。いや、えーと、最愛の妹を失ったジュドーがしばらく何も手に付かなくなるの、しごく当たり前だと思うんだけど。「昔の人はもっと理不尽なことで命を落とした」つっても、そもそもリィナがあんなことになったのってルーの落ち度じゃない? ルーのせいでリィナ、グレミーに囚われることになって……。

ルーに懸想したグレミーがリィナを人質にする感じになって、でもなぜかリィナを「レディ」として躾けて、ジュドーはリィナを助け出そうと奮闘するけど、実はグレミーのもとにいる方がリィナ的にはいい暮らしをしてるっていう。

「リィナの血」の回で、大怪我しているリィナをさらにプルが痛めつけようとする(殺そうとする?)シーン、リィナにとっては大迷惑だけど、あそこでプルが「リィナばっかりずるい!」って言うの、めちゃめちゃわかるんだよなぁ。
同じようにグレミーのもとにいて、同じ年頃の女の子で、片方は人質のはずなのに大事にされ、片方はただの兵器として「頭に変なもの付けられて」戦いを強制される。

大事にされてる方には彼女のために命がけで戦ってくれるお兄ちゃんがいて、ただの兵器には家族などいない。

「ジュドーをちょうだい」って言うプルの気持ち、「プルのことだって好きだ」と言われてもそれじゃあ納得できないプルの気持ち……ああ、可哀想なプル

地球に降りてからはプル、ジュドーの補佐としてガンダムチームにすごい貢献してるし、最後は「寝てなくちゃダメだ」とシンタやクム達に看病されてもいて、「アーガマのクルー」になってる。(「ガンダムZZ公式サイト」でもプルは「エゥーゴ」に分類されてた)
だからプルは怪我を押して、「このままじゃアーガマがやられちゃう!」と戦いに行く。

あそこ、「ジュドーが危ない!」じゃなくて「アーガマが危ない!」から私は戦う、って感じなの、良かったなぁ。最終的にはプルツーからジュドーを守って死んでいくわけだけど……。

「人はね、人間はね、自分を見るのが嫌なんだ。あたしよ、死ね――!」

11歳の女の子がこんな台詞とともに散っていかなきゃならないなんて……。
しかもこの後、プルの死について言及がないんだよね。「この戦いで死んだ人々に黙祷!」というのはあるんだけど、プルだけのためには泣いてもらえない。「この戦い」ではハヤトもあっさり死んじゃって、でもそれについてブライトが何か言うわけでもないので、「それが戦争」と言えばそうなんだけど。

その後宇宙に上がってラサラやエマリーが死んだ時には、その亡骸を抱いて……ってシーンがあるのに、プル可哀想すぎ! いくらその後も魂として出番があると言っても、ちゃんと悲しんでほしいよぉ。

最後、プルに導かれ、プルと一体となったかのようなプルツーがまた怪我を押してジュドーを助けてくれるんだけど、「ジュドーだ!」とみんなの目がその生還に釘付けになる後ろで、プルツーは1人寂しくがっくりと命の火を消してしまって……。

プルツーの死に言及がないまま、実は生きていたリィナとジュドーの感動の再会。

なんでリィナばっかりー!リィナずるい!!!

最後、ジュドーとルーが出撃前にプルを見舞って、
ルー「可哀想な子、自分で選んだ人生を生きられないなんて」
ジュドー「まだだ、まだこれからだ」
とかって言うシーンがあったけど……「これから」はなかった。
せめてプルツーには幸せになってほしかったなぁ。クローンの強化人間、あそこで生き残って、たとえジュドー達の嘆願があっても、エゥーゴでどんな扱いを受けたろうという話はあるけど。

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【ハマーン様よりキャラ様】
前半でギャグ要員だったマシュマーも「強化されすぎて」死ぬし、キャラ様もやっぱり死ぬし。
グレミーに造反されて、ハマーンのもとには最後この2人しか手駒がないっていうの、ネオ・ジオン、人材いなさすぎよね……。

ハマーン様は人を信用しないから結局自分も信用されず、人には恵まれないんだろうな。なぜかジュドーに固執してたのも、周りにあまりにも「人がいない」からなんだろう。あるいはハマーン様もジュドーに、「優しくしてくれるお兄ちゃん」を見てしまったんだろうか。

強化が効いていない時は「おバカなお姉ちゃん」という感じだったキャラ・スーン、けっこう好きだったんだけど、後半彼女に付き従ってたニーとランス、任務とはいえめちゃくちゃキャラのこと気遣って、キャラを守るために命まで落としてたの、あれ、あの2人も個人的にキャラのこと好きだったのかなぁ。色恋ということじゃなく、この人我々がいなきゃダメだ、世話してあげなくちゃ、みたいな。

「ロイヤルガード」ということでもともとはネオ・ジオンの宮殿親衛隊の一員らしいけど、普通だったら「なんで俺たちがこんなわけわかんない女の面倒を」って思うんじゃない? 途中で見捨てたっておかしくないのに。

あと、リィナが『Z』のエマさんと同じ声(岡本麻弥さん)だっていうの全然覚えてなくてびっくりしたんだけど、放送当時の私はちゃんと知ってたんだろうか。きっと話題になってたはずだよねぇ、アニメ雑誌とかで。今みたいにネットがなくて他のアニメファンの反応なんか知るよしもなかったから、もしかして気づかないままだったろうか。

カミーユのお姉ちゃん的存在だったエマ中尉がジュドーの妹として転生、最後リィナが「実は生きてました」になるのは2作連続で死んだら可哀想だからだったのかな。まぁ、リィナ死んだままだったらジュドーが可哀想だけど、でも代わりにプルかプルツーが生きててくれた方が私としては(くどい)。

リィナを助けていたのはセイラさん、っていうのもご都合中のご都合だと思うけど(あの絶体絶命状況の中、どういうふうに助けたのかは一切描かれなかった)、でもセイラさん出てきたらついテンション上がってしまう。井上瑤さんのお声……!!!

最後、セイラさんあんなに喋ってたんだねぇ。本放送最終話までちゃんと見たはずなのに覚えてないこと多すぎ。

『Z』の新訳であのハッピーエンドを見た時は本当に感動したし「カミーユ良かったね、ファ、本当に良かったね」って思ったんだけど、あの最後だと『ZZ』の世界が始まらない
今回『ZZ』を見直して、この物語が「なかったこと」になるのはやっぱりもったいないと思ったし、心が壊れてなおプル達を助けようとするカミーユの姿、最終回ではファと楽しそうに駆けているカミーユも描かれて、なんか、「あれ?新訳なくてもいいんじゃ?」と思ったりしました。

今月26日には新しくBlu-rayボックスも発売されるということで、次はプルが死なない新訳を作るというのはどうですか、富野さん。

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Blu-rayまではさすがに買えないけど、サントラぐらいなら…。

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