久しぶりに本を買いました!
お金と収納場所の問題で図書館に頼ること数年。なるべく買わないようにがんばってきましたが、これは安倍吉俊さんの表紙イラストが魅力的で、ヒューゴー賞&ネビュラ賞&ローカス賞の3冠に輝くという触れ込みに食指を動かされました。

予想どおり面白い!
いや、予想以上に面白い。
12月に購入、上巻はあっという間に読了したものの、お正月を挟んだこともあり下巻にはなかなか手をつけられず、特に最後の1篇を読むのが遅れて、やっと今頃全部読み終わりました。

ちょっと、読み終わるのがもったいない気もしたのですよね。ずっとマーダーボットの語りに付き合っていたかった。

お話は連作中編になっていて、上巻に2篇、下巻にも2篇が収録されています。
1作目の【システムの危殆】がヒューゴー賞&ネビュラ賞&ローカス賞を受賞、2作目【人工的なあり方】もヒューゴー賞&ローカス賞を受賞しているということで、いやぁ、すごいな、マーサ・ウェルズさん。

「マーダーボットの日記」というタイトル通り、主役である「マーダーボット」の1人称で紡がれる物語。

1話目の冒頭、最初の段落でマーダーボットは自己紹介をしてくれます。

統制モジュールをハッキングしたことで、大量殺人ボットになる可能性もありました。(中略)以来、三万五千時間あまりが経過しましたが、殺人は犯さず、かわりに映画や連続ドラマや本や演劇や音楽に、たぶん三万五千時間近く耽溺してきました。冷徹な殺人機械のはずなのに、弊機はひどい欠陥品です。 (上巻P11)

マーダーボットは保険会社に所属する人型警備ユニットで、顧客に貸し出される警備システムの「構成機体」です。
その体は人間のクローン細胞から作られた有機部品と、いわゆる「ロボット」的な、「機械の体(非有機部品)」とからなっています。

「構成機体」なので、警備システムによる「統制モジュール」が組みこまれていて、「真に自律的な行動」はできないはずなのだけど、顧客を守るために自分で状況判断をする必要はあるから「考える頭」はある。

というわけで、自分で自分の統制モジュールをハッキングして、「自由」になっているのですね。「自由」になっているけど、そんなことがバレたら即会社に回収・解体されてしまうので、表面上ハッキング前と何も変わらない、「警備ユニット」として、顧客の警備業務に従事しているわけです。

ただ一つ、大好きな連続ドラマに耽溺することが彼の手に入れた「自由」で、業務を遂行しながらも裏でドラマ『サンクチュアリームーンの盛衰』を観ていたりします。

で、1話目の【システムの危殆 ALL SYSTEMS RED】では、顧客を襲う不測の事態から顧客を守るために、「自分は統制モジュールをハッキングした暴走警備ユニットである」ということを表に出さなければいけなくなる。

結果的に、その時の顧客「プリザーベーション補助隊」のメンバーは彼を信用し、補助隊の隊長でありプリザーベーション惑星連合の理事でもあるメンサーは彼を保険会社から買い取り、「自由の身」にしてやろうとまでするのですが――。

まず、ね。
一人称を「弊機」と訳した訳者さん(中原尚哉氏)がとにかくすごい。
これ、原著では普通に「I」なんじゃないのかなぁ。
「弊社」とか「御社」とか、いかにも日本の――日本語の、「距離感」を絶妙に巧く使った訳語ですよね。単なる「我が社」ではない、へりくだったニュアンスが「弊社」にあるのと同様、人間ではない「警備ユニット」は自身を「弊機」と呼び習わす。

もうこの一人称だけで「掴みはOK」ですよね。主人公のマーダーボットの性格、立ち位置、色んなものがこれだけで表されちゃう。
一人称だけでなく、全体にマーダーボットの「語り」は微妙にクセのある、引きこもりで自意識過剰気味の若者っぽい訳がされていると思うんだけど、原著でもそういう「性格」が窺える英語になっているのかなぁ。
「キャラクターが立ってる」感じ、英語の文体でもわかるんだろうか。

人間は弊機と話したがらないし、弊機はもちろん人間と話したくありません。任務中は気が散るから。休憩中は……ただ話したくないからです。 (上巻P24)

なぜなら、マーダーボット+人間=気まずい、だからです。 (上巻P24)

警備ユニットは通常「アーマー」と呼ばれるものを着用、頭部もヘルメットに覆われていて、その顔や表情は人間からは窺えないようになっています。
顧客たちは普通、その下の人間そっくりの「素顔」を見ることはないし、警備上必要なこと以外会話することもない。警備ユニットは通常「備品」として扱われ、宇宙船では貨物室に積み込まれ、人間が使う椅子に腰を下ろすことすら許されていない。

だから人間たちは「警備ロボット」として扱っているけど、1話目の冒頭で、危機に陥った隊員を安心させるためにマーダーボットはヘルメットを脱いで素顔を見せます。

ロボットだと思ってたものが人間の顔をして、表情もあって、あちこち損傷しながらも自分たちを救出してくれて……。
人間たちも落ち着かない。もちろんマーダーボットも落ち着かない。だから普段はアーマーを装着している。

人間がマーダーボットの存在を気まずく感じる以上に、マーダーボットも人間の存在を気まずく感じていることを。弊機の秘密の一端がばれてしまいました。 (上巻P36)

もう二度とヘルメットは脱がないと決めました。人間との会話を強要されては、この雑で楽な仕事さえこなせなくなります。 (上巻P40)

なんか、「ぼっちの心境」と似てない?
っていうか「ぼっちの心境」そのものじゃない?
連続ドラマに耽溺して、物語の中の人間関係にはどきどきわくわく、時に笑い、時に泣き、でも現実の人間としゃべるのはめんどくさくて、仕事とプライベートは分けておきたい。与えられた仕事はきちんとこなすから、こっち側に踏みこんでこないで、会話や飲み会を強制しないで!っていう。

「自分」と他の人間の間には越えられない壁があって、向こうが親しくしてくれようとしてもどう対応したらいいかわからない、別に壁の向こうに行きたいとも思わない。自分は自分で、これでいいと思ってる。

だから、1話目でメンサー博士に買い取られて、保険会社からは自由になっても、弊機は彼らのもとに居続けようとは思わない。

「大好きなメンサー博士」とメッセージを残しながらも去って行く。
保険会社の警備ユニットという縛りから自由になって、でも「自分が何をしたい」かなんてわからない。(まぁそもそもが警備システムを構成する機体として生み出された、本来自由意志はなくていい“ロボット”なんだし)

だからといって、やりたいことを誰かに教えられたり勝手に決められたりするのはいやなのです。 (下巻P154-155)

そんなものは必要ない“ロボット”のはずなのに、ちゃんと感情や意志があって、どうプログラムしたらそういうものが生み出せるんだ、と思ったりもしますが、一部に「有機部品」が使われているのがミソなんですかね。

しかし記憶の消去はそう簡単にいきません。データストレージからは消せますが、頭のなかの有機組織からは消せません。 (下巻P173)

という記述も出てくる。
つまり脳味噌というか神経みたいなものがあるってことだもんね。生体クローン由来の。

「やりたいことはわからないけど押しつけられるのもイヤ」ってめちゃめちゃわかるし、自負心だけは強い反抗期の若者みたいなところもある。

さんざん「人間に近くなるなんてイヤだ」「人間になりたいと思うなんて馬鹿げてる」とか言ってるのも、「大人になるなんて絶対イヤだ」と言ってる若者みたいで。

ロボットというかボットというかAIというか、弊機の方が情報処理能力は圧倒的に優れているし、怪我しても痛覚感度を下げたりできるし、保険会社の所属だった時は「キュービクル」という専用設備ですぐ再生修復できたり、人間に憧れる必要が全然ない。むしろ「愚かな人間」という見方をしている。

「さんざん人間の愚問に付き合ってきた」とか、「何度も顧客の肩を揺さぶって目を覚まさせたいと思った」とか。

で、メンサー博士のもとを去った弊機は第2話【人工的なあり方 ARTIFICIAL CONDITION】で、自分の過去の真実を見きわめに行きます。

弊機は警備システムを構成する人型機体、警備ユニットであって、別に「殺人マシン」ではありません。戦闘用警備ユニットという戦闘に特化したユニットですらありません。なのに「マーダーボット」という呼称(自称?)が使われているのは、過去に大量殺人を犯したことがあるから。

「あのときは統制モジュールをハッキングしたせいで顧客の殺害におよんだわけではありません。統制モジュールが不具合を起こしたのです。原因は愚かな弊社が安価な部品にこだわったせいです。モジュールの不具合でシステムが暴走し、弊機は人間たちを殺してしまいました。その後、弊機は回収されて統制モジュールを交換されました。今回はそれをハッキングしたのです。おなじ不具合が起きないように」 (上巻P84)

システムに不具合が起きても、構成機体はそのシステムの命令を聞くしかない。それがどれほど「間違った」、顧客である人間たちを殺してしまうほど間違ったものであっても、システムの配下にある以上、構成機体はそれを実行するしかない。

だから、弊機は自分で統制モジュールをハックして、命令を無視できるようにした。

とはいえモジュール交換の時に記憶も消去され、会社によって事実の隠蔽もなされているので、「なぜあんなことが起こったのか」、本当のところはわからない。
だから、「自分が何をしたいかわからない」弊機は、自分の原点であるその事件の真実を探りに、事件現場となった星へ向かう。

その際、弊機の相棒になるのが大規模調査船の高性能AIボット、「ART」。「ART」というのは「不愉快千万な調査船(アスホール・リサーチ・トランスポート)」という意味の頭文字で、弊機が名付けたものです。

弊機は自分のモジュールをハックしただけでなく、他の警備システムや警備ドローンなどをハックすることができます。ドローンのカメラをハックして敵の様子を窺ったり、自分が映った映像を全部他のものに置き換えたりするのは朝飯前。

保険会社の持ち物ではなくなり、本来自由に移動できる存在ではない警備ユニットが別の星へと移動できるのは、そうやって色々なシステムをハックできるから。宇宙船に乗り込む時も宇宙船自体の操縦ボットをハック(あるいは単に「乗せてくれ」と頼む)するのです。

ボットAIにもピンからキリまであるようで、「ART」は非常に高性能で、すごく偉そうだったりします。一緒に連続ドラマを観たりするのが面白いし、弊機が警備コンサルタントのふりをして仕事を行う際には相棒としてバックアップ、なかなかいいコンビで楽しい。

弊機のキャラクターだけで十分「巧いなぁ」なんですが、もちろんAIの描き方、「そういうものが当たり前にある世界」の描き方が非常にしっかりしていて、「フィード」を通して色々な情報が流れてくる、ボットだけでなく人間もインタフェースを装着して、フィードから常に情報を得る、っていうのが「へぇぇ」と。

「フィード」ってそのまま訳されてて、特に違和感なく「そういうもの」と認識できる現代すごい。

娯楽フィードからは常にドラマや音楽がストリーミングされていて、必要に応じてダウンロードもでき、ステーションに入れば案内フィードや広告フィードがたくさん流れてくる。弊機はフィードを通して警備システムにアクセスし、必要に応じてそれをハックする。

ハックして警備ドローンを操作しながら物理的にも銃や身体で戦闘、同時にいくつもの処理を実行できる警備ユニットだからこその戦闘シーン描写がまた面白い。特に4話目終盤の脱出劇の攻防は息詰まる展開、読み応えありました。

3話目【暴走プロトコル ROGUE PROTOCOL】ではペットロボットの「ミキ」が登場、人間に可愛がられ、無邪気に人間を慕うミキの存在に、弊機は心乱されます。

そして4話目【出口戦略の無謀 EXIT STRATEGY】ではメンサー博士はじめプリザーベーション補助隊と再会。1話目で「大好きなメンサー博士」と言い、3話目でもメンサー博士のために証拠集めをしていたのに、いざ現実に再会するとなると恐れを抱く弊機。

彼女が友人でないのではと恐れたのではなく、彼女が友人であることが怖かったのです。そして、そのことが弊機になにをもたらすかが。 (下巻P277)

なんかやっぱり、引きこもりヲタがいきなり優しい手を差し伸べられて、でも友だちなんていた試しがないからどう反応したらいいかわからない、ぼっち最高!コミュ障で悪いか!と思ってたのに――、ってなる感じを連想しちゃうなぁ。
優しくされて嬉しいし、相手のことを自分も好きだし、でも相手が本当に自分のことをありのまま好いてくれているのかどうか、ほんとのところはわからない。もしかしたら、って怖くもあって、道で出会っても気づかないふりして通り過ぎたい、みたいな。


訳文もとても読みやすいし、弊機の語り口とぼっち体質が楽しく、SFは苦手、読んだことない、って人でもとっつきやすい気がします。

何より表紙の弊機が可愛い!
これ、原著の表紙はこんなの (→Amazonでの原著ページ)なんですけど……これだときっと買ってない(笑)。

安倍吉俊さんの描くマーダーボット、とても可愛くて、男の子でも女の子でもない、生意気なぼっちボットにぴったりのイメージだなと思います。

続編となる5話目は5月に刊行予定。創元さんが日本語訳を出してくれるのは来年になるかなぁ。楽しみです。


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