『ほんものの魔法使』が面白かったので、ギャリコさんの別の作品を手に取ってみました。
ほぼ表紙の可愛さで選びましたが(笑)、こちらもとても温かい作品で、良かったです。

巻末解説の第一文が「ようこそ、古き良きアメリカへ。ようこそ、懐かしきポール・ギャリコの世界へ」(P311)なんですけど、作品が発表されたのは1974年。主人公の少年の相棒となる青年はヴェトナム帰還兵だし、KGBのスパイは出て来るし、時代を感じます。

とはいえこの可愛らしくファンタジックな表紙のイメージどおり、血なまぐさいことはまったくなく(殺人犯は出てきますが)、終始優しい風が吹いている感じ。

主人公ジュリアンはやっと9歳半。自作の「シャボン玉ピストル」の特許を取るため、たった一人で長距離バスに乗り、西海岸のサンディエゴから、ワシントンDCを目指します。
Googleさんによるとサンディエゴからワシントン、飛行機でも4時間以上、車だと2,685マイルで39時間かかるらしいです。

えーっと、キロで言うと4,321km。青森から山口まで、本州を横断しても1,494キロしかないらしく、さすがアメリカ、広いですねぇ。
てかそんな長距離移動、なんで子どもが一人で、と思いますが、ジュリアンはせっかくの発明品「シャボン玉ピストル」を父親にすげなくあしらわれてしまったんですね。父親はただ忙しかっただけで、子どもが何やら言ってくるのをろくに聞いてもいなかったんですが、ジュリアンはそれをきっかけに家を脱け出し、一人で大陸横断バスに乗り込むのです。

バス・ターミナルの自動ドアに魅了される冒頭から、「一人である」ことにビクビクしつつ、ジュリアンが一つずつ関門を突破していく様子(1974年のアメリカでも、9歳の子どもが一人で長距離バスの切符を買おうとして怪しまれないわけはありません)にこちらもドキドキしながら物語に引き込まれていきます。

ジュリアンが子ども一人であることを心配して何かと世話を焼くことになるヴェトナム帰還兵のマーシャル、「初めての夜」を過ごすためにどこかよそへ行こうとしている高校生カップル、殺人を犯して逃げている途中の男、アメリカ陸軍のシソン大佐、大佐からとある情報を受け取る予定のKGBのスパイ

個性豊かすぎるバスの乗客達、シソン大佐とKGBのスパイは最後まで絡んできて、しかも「うぷぷ」と笑える絡み方で楽しいのですが、前半で印象に残るのはビルとマージの高校生カップル。

新婚夫婦を装ってバスに乗る2人、決して“不良”というわけではなく、むしろ真面目すぎるがゆえに周囲のプレッシャーに耐えかねてしまったんですよね。

自分たちの年代、十六から十七歳くらいのほかの少年少女たちは、みなもう誰かと寝たことが明らかだったり、(中略)セックスがもてはやされる時代の圧力のもと、仲間には入れない子にとって、そうした態度は自分たちを寄せつけない壁のように感じられて(後略) (P20)

バスに乗ったものの、「どこで降りる?」「どこでする?」とびくびくドキドキの2人。ジュリアンとはまた別の意味で周囲から見とがめられるのでは、とヒヤヒヤしてる。

マージに「あたしのこと、ほんとに愛してる?」と訊かれ、

とっさにその場しのぎの答えを口にすることが、ビルにはどうしてもできなかった。愛、愛、愛! いつだって、みんなその言葉ばかりを声高に言い立てる。だが、愛とはいったい何なのだろう?(P51)

と自問するビル。
そして「自分でもわからないんだ」と答えるんですよね。なんて誠実な男の子なんだ!
(とはいえ自分がまだ10代でマージの立場だったら、「愛してるって言ってくれないのか」と不安になってしまうかもしれないけど^^;)

まだまだそんな「高校生の悩み」とは無縁のジュリアンのおかげで2人はサンディエゴに引き返すことになるのですが……。前半、その「無垢さ」でバスの乗員たちを救ったジュリアンも、この旅を終える頃には大人の階段を上ってしまうのです。

何かと自分の面倒を見てくれた「英雄」マーシャル。ジュリアンにとって彼は「勇敢な大人の男」「憧れの存在」で、マーシャルの言葉一つで吃音が治ってしまうぐらいでした。

自分を一人前の男としてあつかってくれる大人の男の友情と尊敬をかちえ、仲間としてつきあうひととき。 (P210)

女たちの、いや、誰であろうと、小うるさい監視の目から解き放たれ、男どうしで気楽に生きる毎日。 (P211)

楽しすぎる旅の後半。けれどもワシントンDCに着いた時、世界は反転、ジュリアンはマーシャルに裏切られてしまうのです。
でも、それでもジュリアンも読者も、マーシャルのことを憎めなくて、だからこそよけいつらかったりするんだけど、最後の和解がまたいいんですよね。

最後、父親との和解も描かれているし。

「父親との」というか、「父親が」と言うのが正解かな。バスに乗り込んだ当初は「特許を取って父親に認めてもらうんだ!」と思っていたジュリアン、サンディエゴに戻る頃にはもう父親のことなんかどうでもよくなっていて、必死で息子の行方を捜し、「感動の再会」を思い描いていた父親が可哀想になるぐらい。

息子の機嫌を取ろうとがんばるもなかなかジュリアンの心の傷を理解できない父親が、最後に「はっ!」と気づいて、ついに息子に必要な言葉をかけてやることができる。
息子と父親、そしてマーシャルとの3人の未来に光が射したところでお話が終わるの、素敵です。

決して悪い父親ではないけど息子とはすれ違ってしまったり、決して悪い人間ではない(それどころか一人で大陸横断しようとするジュリアンを助けてくれる)マーシャルが、それでもジュリアンを裏切ってしまう、その機微。

ヴェトナムで軍務に就いた後、知恵のない、思慮もない、住みにくくなった祖国に戻ってみると、国民のほとんどはそんな帰還兵を愚かでおめでたい人間だと見くだしていたものだ。 (P209)

復員兵に進学資金や起業資金を与える援護法など、軍にからむものにはもう嫌悪感しかない。いまさらそんな手を差し伸べられても、もう遅いのだ。 (P209)

1974年当時の読者にとって、マーシャルのこの心の裡は本当にリアルな、胸に迫るものだったでしょう。

殺人犯に銃を向けられれば恐怖で脂汗を流し、けれども手榴弾を間一髪でバスの外に投げて乗客全員を救い、そのことを特に自慢するでもないマーシャル。
金のため、生活のためにジュリアンを裏切り、一方で完全には裏切り切れず、わざわざ言い訳をしたり。

人間は誰もそんなに強くはなくて、でもただ弱いばかりでもない。

素敵なお話でした。