(※以下ネタバレあります。これからご覧になる方はご注意ください。また、記憶違いも多々あると思いますがご容赦を)


観てきましたぁぁぁぁぁぁぁ!
このご時世、わざわざ京都まで映画見に行くのどうしようかと迷ったけど、見に行ってよかった、わざわざ行った甲斐があった。
すごく良かったです。面白かった!!!

「面白い」というか、テーマがすごく「好み」だった。
正直滅ちゃんと迅ちゃんをもう1回見たい、ぐらいの気持ちだったし、「みんな滅亡迅雷好きでしょ?」というサービスというかおまけというか、ファン心理をくすぐってお金を落とさせようとする阿漕な商売でしょ、ぐらいに思ってたんですよ。

だってやっぱりテレビ本編できちっと終わるのが筋だと思うし、その後色々作るのはおまけでありお祭りであり、ストーリー的には蛇足だと思うから。

でも。

『仮面ライダー滅亡迅雷』、むしろこっちがゼロワンで描くべき本来のテーマなのでは?、テレビシリーズはこの話を描くための壮大な前振りだったのでは!?と思うぐらいの作品でした。

冒頭は、ザイアエンタープライズCEOのリオン・アークランドが会議で他のメンバーに詰められているところから。ここで「全部日本支社の天津垓のせい」って言われてるのにうぷぷ。そーね、全部1000%おじさんのせいね。

リオンはでも、「むしろ計画通り」みたいなことを言って、自ら日本に乗り込んできます。「ソルド」と呼ばれる兵士ヒューマギアの一団とアズを引き連れて。

一方、穏やかに暮らしている滅亡迅雷の面々。鉢植えのシクラメンに水をやり、「みんなが笑って暮らせる世の中になれば、悪意なんて生まれないんじゃない?」と無邪気な迅ちゃんに、「おまえはそれでいい」と微笑む滅パッパ。ふふ、こっちの頬もゆるんじゃうよ。

しかぁし!
迅ちゃんはリオンによって拉致られてしまうのだ!
拉致られる途中で助けに来る滅が格好いい! まず刀から映るのすごくいいよね。シュパッとソルド(だったかな)を切りつける刀の映像から、滅へとカメラが動くの。

ちゃんと間に合って助けに来てくれるのに、リオンが変身する仮面ライダーザイアに打ち勝つことができず、哀れ迅ちゃんは拉致されてしまうのだ。ああ、なんてこった。

そんで迅ちゃんはリオンから「おまえはそもそもソルド・ゼロなのだ。自律型兵士ヒューマギアのプロトタイプとして作られたのだ。だからこそ我々ザイアはおまえを復活させたのだ」と言われます。

ゼロワンのテレビ本編をあまり真面目に見ていなかった私だけど、迅ちゃんが一度破壊されたことは覚えてる。そんで何者かによって復元されて、戻ってきたらスーツ着て大人になってたんだよね、迅ちゃん。

ともあれリオンの言いたいことは「そもそもおまえは我々のものだ」であり、「ヒューマギアは道具」「我々に奉仕するのが道具としてのおまえの役目」みたいなこと。
そんで迅ちゃんを、ソルド達を動かす「マスブレインシステム」に組みこむ。
兵士ヒューマギアであるソルドは個体が「自律」するんじゃなくて、「マスブレインシステム」という合議制によって「自律」してる。個々の自由意志はなくて、複数のAIが設定されたルールに則り合議して行動を決める……みたいな???

ようわからんけど、そのシステムの中では「僕は僕だ!僕は人間の道具じゃない!」といった迅ちゃんの「自由意志」は否決されてしまう。

迅ちゃん的には「ふざけるな!」というシステムなんだけど、「兵士ヒューマギア」というものを実用化するなら、個々に「自由意志」を持たせるなんてことはまぁ、無理だよね。戦況に対してある程度臨機応変に対応する「自律」は必要だけど、それ以上の、人間の命令に背くような意志を持たせるわけにはいかない。

マスブレインシステムは合議制というよりかは「相互監視システム」「同調圧力」だったりもして、日本人には生来埋め込まれているものでは、とも思え、とても興味深い。
終盤、滅亡迅雷によってマスブレインシステムを壊されたソルド達はどう行動していいかわからずただ混乱していたし、くびきをはずされ「自由」にされることが果たして幸福なのかフロムの『自由からの逃走』みたいなことも考えさせられる。

と、ちょっと先走っちゃったけれども、滅亡迅雷――とりわけ迅ちゃんにとって、そのように個々の自由意志を奪われ、人間の言いなりに使い捨ての兵士として利用されるソルドたちは「奴隷」と同じ、「許せない!僕が絶対に助けてあげるよ!」になる。

でも実はそんな迅ちゃんの「正義感」こそがリオンの狙いだったのです。

リオンは迅ちゃんを餌に滅たち3人をおびきよせ、全員マスブレインシステムの中に取りこんでしまうんだけど、最初他のソルドたちから「否決!」されまくってたのが、4人になったからなのか何なのか、「可決!」になって、「滅亡迅雷.netの意志のままに!」と新たに「仮面ライダー滅亡迅雷」が爆誕。

仕組みはよくわかんないんだけど、4人の意志が1つになって、1体の仮面ライダーになるわけ。それぞれのボディからデータの流れみたいのが出て仮面ライダー滅亡迅雷を形作り、ボディの方は抜け殻みたいになって倒れたまま。

仮面ライダー滅亡迅雷の誕生はリオンの思うツボで、兵器産業を続けていくための「強大な敵」を生み出すために、彼はわざと滅亡迅雷を煽ったわけです。

憎しみや復讐といった「悪意」はすぐに倒される、克服される、持続しない。でも「正義」なら。
「正義」と「正義」の戦いこそが長期に渡って兵器の需要を生んでくれる
もう「アーク」の時代じゃない、「悪意」なんてどうでもいい。
だからリオンはあっさりアズを殺しちゃう。

ひゃあー、面白いなぁ。
実に面白い。

そんで一旦滅亡迅雷の面々はアジト(?)に戻って、迅ちゃんは「あの男を倒してソルドたちを解放するんだ!」と息巻くんだけれども、滅は「そんなことをしたら人間と戦争になるぞ」みたいに言って、でも迅ちゃんは「ソルドは僕たちにとって家族みたいなものだよ!家族を守るのが父親の役目じゃないの!?」と反論、亡迅雷の3人で宣戦布告しちゃいます。

「これは聖戦だ」

リオンがアークに乗っ取られているのなら、それは「アークとの戦い」になって人間vs滅亡迅雷にはならない。でもそうじゃないから、リオンと戦うってことはもう「人間と戦う」になっちゃう。
なるほどなぁ(書きながら理解していくスタイル)。

AIMSの刃さんが記者会見してる最中に宣戦布告映像が流れて、「そういやAIMSでは滅亡迅雷の一人を雇っているそうですね」とか記者に突っ込まれる。刃さんは「彼らには心がある、だから決してそんなことはしない」みたいに反論して、そこへリオンが乱入してきて「心があるから洗脳される」的なことを。

「洗脳」という言葉ではなかったような気がするんだけど、もはや台詞を思い出せない(´Д`)

でもとにかくここはリオンの言ってることの方が正しいよね。「心がある」ことは、「善」や「正しさ」を意味しない。むしろ「心がある」からこそ、「悪」に落ちる。
「心がある」人間は、ずっと争いをやめられずにいるんだから。

しかも「心がある」と、空気を読んだり忖度したり、丸め込まれたりする。

テレビ本編で或人が「ヒューマギアにも夢を」とか「ヒューマギアも笑えるように」とか言ってたんだけど、シンギュラリティに達して完全に「自律」してしまった時に――人間で言うところの「心」や「自由意志」を持ってしまった時に、彼らが「人間の味方」になってくれる保証はない。
人間を滅ぼしてヒューマギアonlyの世界を創る「夢」だって、立派な「夢」だよね。

一方滅ちゃんは迅たちの宣戦布告には同調せず、一人「人間と戦ってもいいのか」と葛藤している。そこへ不破さんが現れ、「えらいことになってるじゃないか。どうしておまえはあいつらと一緒にいないんだ」と問う。

その問いには答えず、滅は逆に「俺がおまえの大事なものに刃を向けたらどうする?」と尋ねる。
不破さんは「おまえがそんなことするとしたら何か理由があるんだろ?アークを滅ぼすためとか」みたいに答えて、「いや、そうではないとしたら?」と滅ちゃん、さらに問う。

正当な理由なく、俺がおまえの大事なものを傷つけたとしたら、おまえは俺を赦せるか?

こんなようなことを言われて、不破さんは「その時はぜってーにおまえを赦さない、ボコボコにしてやる!」的な返事をする。

で。

この不破さんの答えで、滅は「そうか、そうだな」と納得しちゃうんです。「何も悩む必要はなかった」と。

んー?どういうことだってばよ???

滅は何に葛藤していて、なぜそれが不破さんの答えで解消されたんだろう。

テレビ本編で或人に赦された(とどめを刺されなかった)シーンがフラッシュバックしてたのがヒントかとも思うんだけど、人間の大事なものを奪って、それでも人間に赦されたという自覚を持つ滅。
だから、自分はもう人間に対して怒っちゃいけないと思ってたのかな? 自分も人間を赦さなければいけないと。

あるいは、自分が迅ちゃん側についても――その結果「人間の敵」になっても、不破さんがちゃんと自分たちを倒してくれる、だから自分は心おきなく人間ではなく迅ちゃん側についていい、とか?

なんとなく、不破さんが明快に答えてくれたことで、「人間側とかヒューマギア側とかそういうことじゃなくて、自分の大事なものをただ守りたいと思っていいんだ」みたいに思えたのかな、と感じたんだけど、どうなんだろう。

滅としたら、ソルド云々よりも、迅ちゃんを守りたいって気持ちなんじゃないかと思ったんだけど。

ちなみに或人は新しい衛星打ち上げで宇宙に行っちゃってるらしく、不在。
もしも或人がいたら話がややこしくなってたんだろうなぁ。

ヒューマギアが人間と同じ心を持つと言うなら、間違ったことをしてもいい。それを人間が「間違いだ」と断じて裁くなら――裁いてもらえるなら、それでこそ「自由意志」と呼べるのでは。

まぁヒューマギアvs人間だとヒューマギアの方が戦闘能力が高いので、「人間滅ぼしちゃうけどいいよね?」みたいになってしまうんだけど。
でもなんでかリオンは「滅亡迅雷を制圧できる、コントロールできる」と思ってたみたいで、「こんなはずでは」とか言ってる。
滅が迅ちゃん達と合流し、再び「仮面ライダー滅亡迅雷」になって、哀れ仮面ライダーザイアはボコボコに。

駆けつけた不破さんが「やめろ!殺す必要はない!!」と叫ぶのを尻目にリオンにとどめをさす仮面ライダー滅亡迅雷。

ああ、ついに「人間を殺す」という一線を越えてしまった。

しかも仮面ライダー滅亡迅雷、魂抜かれて横たわってる滅亡迅雷4人のボディを焼きはらっちゃうんだよ。

ええええええええ!?

いや、その、えっと、ヒューマギアなんだから本体は「AI」で、ボディは再構築すればいいんだろうけどさ、すでに迅ちゃん復活の実績もあるし、「器」でしかないかもしれんけど、でも、あれは、自分の「元のボディ」を焼きはらって「うぉぉぉー!」と苦悶(?)の雄叫びを上げる仮面ライダー滅亡迅雷は、何?「暴走してる」って表現なの?????

映画見る前にちょろっとTwitterで感想見てて、「最後どうしてこうなった」みたいなのがあったんだけど、ほんと途中までずっと「こーゆーのが見たかった!」を出しておいて、最後にあれとは。

エグい。
エグいぞ東映!(褒めてる)

しかもエンディング、迅ちゃんたちのアップにかぶせて「このさきずっと笑ってたいね」っていう主題歌が流れる。
これは。
ずるい。
あざとい!
冒頭では、「みんなが笑って暮らせる世の中になれば」と言いながら花に水やりをしていたのに、まったくなんでこんなことに(´Д`)


シンギュラリティに達して「道具」であることを脱した特別な4体のヒューマギア、でもやっぱり彼らを「道具」と見なし、利用しようとする人間がいて。
それに抗しようとすれば「人間に刃を向ける」になってしまう。
造られたものと、造ったもの。その、非対称性。

兵士ヒューマギアは絶対誰かが造るものだろうし、そのコントロール法として出て来る「マスブレインシステム」、そして「個々の自由意志を持たない彼らは本当に“不幸”なのか」、「悪意ではなく“正義”こそ敵になる」――いちいち提示されるテーマが好みすぎる。

お話は秋の『仮面ライダーバルカン&バルキリー』に続くということで、一体どんな結末が待っているのか、滅亡迅雷も不破さんも刃さんも、みんなが笑ってるエンディングを見られるのか。

ボディなくなっちゃったけど、「仮面ライダー滅亡迅雷」になってる時の「意識」ってどういう感じなんだろう。個々の自我はなくなってそうなんだけど、あれって「正義の暴走」だけでなく、「集団になると歯止めが利かなくなる」っていう比喩だったりするのかな。
どうかもう一度、それぞれの「自我」を取り戻せますように……。

あと1000%おじさん。
今回は冒頭でリオンに「全部あいつのせい」となじられ、ソルドに首絞められて吊り上げられるだけの残念な登場だったけど、バルカン&バルキリーの方では変身させてもらえるといいねぇ。なんか、すっかり1000%おじさん出て来るの楽しみになってて怖い。
TTFCでの黎斗神との対決も見たすぎる。尼プラでレンタル配信してくれないかな。


『バルカン&バルキリー』の公開が待ち遠しいです。



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