1月にチャペックさんの『白い病』を読んで「うわぁぁぁぁぁぁ!」となったのですが、この『絶対製造工場』もなかなかに「おぉぉぉぉぉ」となる作品でした(語彙)。

この作品はチャペックさんの最初の長編小説で、戯曲『ロボット』の発表直後に書かれ、『人民新聞』に連載されたそうです。1921年の9月から1922年の4月にかけて。大正10年、第一次世界大戦終了からまだ3年ほどしか経っていない時期。

お話は、マレクという技師が「カルブラートル」というとんでもない機関を発明したことから始まります。
マレク技師は「物質の燃焼」を研究していて、物質を「完全に燃焼させる」ことでそのエネルギーを完全に、余すことなく利用する機械(というかモーターというか発電機というか)を開発していました。

「燃焼だ!物質の中に存在する熱エネルギーの完全な燃焼だ!考えてみろよ、石炭からは燃焼可能なエネルギーの、ほんの十万分の一しか燃やしていないんだよ!」 (P20)
「物質はただ存在するためだけに、おそろしく多量のエネルギーを消費するんだ。物質から存在を取り上げて、存在しなくなるように強制すれば、それで膨大な量の力を解放することになる」 (P23)

で、それを完成させてしまうんですね。
石炭ひとかけらでプラハ中の照明をつけ、数百の工場を稼働させられるような、とんでもない燃焼機関を。

そりゃすごい、奇跡の発明だ!これで人類はもうエネルギー問題に悩まされずにすむ!

なんですが。
そんなうまい話はないわけです。
いえ、カルブラートル(英語ではcarburetor:気化器)は確かにわずかな燃料から莫大なエネルギーを発生させるのですが、その代わりに――物質を完全に燃焼させる代わりに。

「絶対」を生み出してしまう。

この発想、すごく面白いなぁ。なんか日本人的というか。
その辺の石ころにさえ神が宿る。
物を完全に燃焼させてその物理的な存在を消滅させたら、物を物たらしめていた「何か」が残る。

「本当にどんな物質の中にも神が存在すること、物質の中になんらかのやり方で閉じ込められていることを。そしてその物質を完全に破壊すれば、神はぱりっとした格好で飛び出すのだ。(中略)原子を一つ燃焼させれば、地下室いっぱいの絶対が一気に得られる」 (P36)

ともあれカルブラートルは物を燃やして単に「膨大なエネルギーを取り出す」だけでなく、副産物として「絶対」を生み出すというか解放してしまう代物なのです。
そしてその「絶対」は周囲の人間の精神に多大な影響を与える。見えない「絶対」の波動を浴びた人々は隣人愛に目覚め、預言をし、奇跡を起こす。人の心が読めるようになり、空中浮遊し、他人の傷を癒すこともお手の物……。

作ったマレク技師自身も恐ろしい霊的経験をし、「この機械はヤバい!」と思う。思うけれどももうカルブラートルを止められない。カルブラートルは動き続け、マレク技師の地下室で「絶対」を放出し続ける。

マレク技師からカルブラートルを買い取ったボンディ氏によりカルブラートルは量産され、夢のエネルギー機関としてあちこちに据え付けられる。船の動力機関として、あるいは繊維工場や鋲釘の製造工場に、銀行にまで。

で、周囲の人々が「絶対」の影響で謎の信仰に目覚めると同時に、「絶対」はもう一つの問題を引き起こす。
「絶対」は、勝手に工場を動かし始めるのです
人間がいなくても、どんどん勝手に機械を動かして、無尽蔵に鋲釘を製造し続ける。「無限のエネルギー」を供給するだけでなく、「無限の労働力」をも生み出すカルブラートル。まさに夢の機関、これで人類は二度とエネルギー不足に悩むこともなく、働く必要さえなくなって万々歳!

とはもちろんなりません。

まず、1つのカルブラートルごとに「宗教結社」みたいになっちゃって、結社同士で争いが起こる。「俺たちの絶対こそ絶対だ!」という。
そして無尽蔵に鋲釘があるということは、鋲釘の値段が「ただ」になるということで。しかも隣人愛に目覚めた人々はもはや「ものを売って大儲けしよう」などとは思わず、分配や流通は壊滅状態。鋲釘が山のように生産され続ける一方、必要なところに鋲釘は届かない……。

価格のない所に市場はない。市場のない所に分配はない。分配のない所に商品はない。 (P143)

うーん、経済というのは難しいな。物は勝手に生み出されてあとは配るだけなのに、「勝手に配られる」は発生しない。

このカルブラートルによる狂乱に唯一参加しなかったのが「農民」とされているのがまた興味深いです。カルブラートルは工業品を勝手に製造はしても、農産物を勝手に生み出したりはしないらしい。

そんなこんなで世界は大混乱、でもみんなそれぞれのカルブラートルを「神」と崇めてるわけで、止めようとか壊そうとかいう話にはならない。てゆーか、できないんですね。マレク技師も「ヤバい!」と思ってカルブラートルを止めようとしたけど、空中浮遊しちゃって近づけず、無理だった。カルブラートルは周囲の人間に影響を与えることで自己防御するっぽい。

しかしマレク技師は思いつくのです。
世界中に拡散してしまったカルブラートルを破壊する方法を。

マレク技師の計画をボンディ氏が実行した結果。

\世界最大の戦争が勃発/

一九四四年二月十二日から一九五三年秋まで続いた戦争は、本当に誇張なしの(わたしの名誉にかけて!)最大の戦争だった。 (P228)

カルブラートルの問題――というか、表向き植民地政策の問題を話しあう、みたいな大国同士の会議が小さな島(カルブラートルの影響を受けないよう、わざと絶海の孤島みたいなところが選ばれてる)で開かれた結果、かえって戦争が勃発してしまったのでした。

「われわれは、神のために共通の手続きを取ることで同意しなければなりません」
「どの神のために、ですか?」(中略)
「どの神のために、だって?(中略)だって神はおそらく唯一無二でしょうに」
「それはわが日本の神です」(中略)
「スラヴ正教の神だよ、あんた、ほかのどれでもないよ」
 (P192)

ちなみにこの会議に参加したのはイギリス、アメリカ、中国、フランス、帝政ロシア、帝政ドイツ、イタリア、そして日本です。

自分たちで自分たちの神(カルブラートル)を壊すものはいない。しかし自分たちの神を守るためによその神(カルブラートル)を壊すのは「正義」でさえある、というわけで世界大戦が勃発してしまう。マレク技師偉い……と言っていいのだろうか。「1億9800万人の男が戦いに参加し、1300万を除いて全員戦死」(P228)というエグいことになるんだけど。

それだけの犠牲を払っても、“絶対”は――“神”は殺さねばならぬのか。まぁ、マレク技師やボンディ氏が暗躍しなくても早晩「うちの神こそが正統!」という押し付け合いからの戦争が始まっていたんでしょうけども。

最後、ほぼすべてのカルブラートルが破壊され、平和が戻ってきて、幸運な1300万人に入った登場人物たちが総括的なことを語り合ってお話は終わります。

「誰でも自分自身のすばらしい神様を信じているが、ほかの人のことは信じないんだ。その人だってなにか善なるものを信じているのに。人はまず、なによりも人を信じなきゃいけない」 (P274)
「人は、たとえばほかの信仰は悪いものだと考えたっていいけど、その信仰を持っている人を悪い、下品で、いんちきな奴だと考えちゃいけねえ。それは政治でもなんでもそうだがね」 (P274)

おおおおおおおおおお。なんて“今”な話なんでしょうか。フェイクニュースに陰謀論、でもそれらを信じる人をただ「悪い、下品で、いんちきな奴」だと見下し、頭ごなしに否定しても、問題は解決しないどころかたぶん悪化する……。

別のシーンでボンディ氏が言う台詞、

「自分が神全体、真理全体を所有することが、自分にとってとても大切だという、まさにそのことのためだ。そんなわけで、他人が自分とは別の神、別の真理を持つことに我慢できない。もしそれを許すなら、自分が神の真理の中のみじめな数メートル分、数ガロン分、数袋分しか持っていないことを認めなけりゃならないからな」 (P249)

も人間心理の真理を衝いててすごい。

「夫婦別姓」問題とかも、別に「あなたも今すぐ別姓にしろ」という法律を作るわけではないのに、別姓を選ぶ人を認めると今の自分の立場が損なわれる、自分が当たり前だと思っていることが崩れてしまう、だから許せない――みたいな。

物を完全燃焼させると“絶対(=神)”が出てきて人々の精神に影響を与えてしまう、という部分と、それが単に無限のエネルギーを生むだけじゃなく工業製品まで無限に生んじゃって、でもそうなると市場原理がむちゃくちゃになるから全然ユートピアにならない、って部分と、戦争の描写と、少し散漫というかテーマが整理されてないようにも感じたけど、でもめちゃめちゃ示唆に富んでて面白かった。

実はチャペックさん、12章まで書いて新聞社に送って、その後の話をどうするつもりだったか忘れてしまっていたらしい。13章以降(全30章ある)、印刷所からの催促に追われながら1章、また1章と頑張って書き継いだと、「一九二六年版のまえがき」にある。

新聞連載されたあと、各方面から厳しい批評を受けたらしいのですよねぇ、チャペックさん。

なんだって? この本には一貫した筋がない、だって? なんと叙事詩的で胸を躍らせる筋ではないか。 (P279 上記まえがき部分)

むしろ「うちの神こそ」とか、物から神が出てくるとか、そういうところが批判されたのじゃないのかなぁ。

「教会が神をこの世に置くなどと考えないでください!教会は神をただ重んじ、規制するだけです」 (P57)
っていう司教の台詞とか。

ちなみに「物を完全燃焼して莫大なエネルギーを得る」機関って、つい原子力を連想してしまいますし、邦訳は長らく『絶対子工場』というタイトルだったそうです。
見えない何かが放出されて、遮蔽もできず周囲の人間に影響を……っていうのも放射線ぽいけど、でも読み進めると夢のエネルギーがどうこうよりも、人間は「神」をどう扱うべきなのか、という方に主眼があるように見える。

訳者解説で紹介されているチャペックさんの言。

この妥協なき憎しみに対抗する手段は、「人間とはかれの“真理”よりも価値のあるものだ」という認識以外にはないと思われる。 (P283)

真理よりも神様よりも、目の前の人間を大事にしなさい――。

あと。
前半部分で、「絶対」により人の心を読めるようになった女性エレンに対して、ボンディ氏が言う台詞が印象的でした。

「エレン、考えを隠さなければ、商売も会社も成り立たないんだよ。とりわけ、思いを秘めなければ夫婦なんてやってられないよ。(中略)ちょっとした嘘偽りだけが、唯一、失敗しない人間同士の結びつきなんだ」 (P105-106)

建前、重要だよね……。

ボンディ氏は自力で「絶対」の影響を克服して自我(?)を取り戻すし、別の作品『山椒魚戦争』にも登場するそう。『山椒魚戦争』も読み返してみるべきかしらん。