(※以下、お話の結末が示されています。これからお読みになる方はご注意ください)

コロナ禍でカミュの『ペスト』とともに話題になったチャペックの『白い病』。
この岩波文庫版は訳者の阿部さんが2020年4月7日に訳出作業を始められ、9月に刊行されたものです。

4月7日って、1回目の緊急事態宣言が出た日なんですよねぇ。まさにコロナ禍の中翻訳され、世に出た書物。
(※本邦初訳というわけではなく、チャペックの戯曲集2点に邦訳が収められているそうです)

チャペックさんの作品、『ロボット』『山椒魚戦争』は読んだことがあって、どちらも面白かったのですが、この『白い病』も読んでて「うわぁぁぁぁぁぁぁ」となりました。

舞台は戦争前夜、「元帥」が今にも他国へ戦争を仕掛けようとしている時、人々の間では謎の病が広がっている。
体に白い斑点ができ、しだいにその「白い」部分が大きくなり、体が腐食し、腐臭を放ちながら死んで行く。通称「白い病」。

「この病気は、疥癬などではない。ハンセン病ではない」 (P15)
「ゆうに五百万人が亡くなり、一千二百万人が罹患しているが、すくなくともその三倍の数の人が、レンズ豆ぐらいの大きさの大理石のような、感覚のない斑点ができているのを知らずに世界中を駆けずり回っていることだろう」 (P16)

そう、この病気は感染症なんですよ。自覚のない人間が世界中を駆けずり回って広げていくんですよ……。そしてその起源(最初に症例が確認された場所)は中国ぽいんです。

うわぁぁぁぁぁぁ。

すでに舞台となる国に持ち込まれてから数年が経っているんですが(「三年と経ってない」と表現されている)、世界中の大学病院がやっきになって研究しているにもかかわらず、未だ治療法は見つかっていない。
そしてこの病気の特徴的なところは、なぜか若い人々には感染せず(感染しても発症しないだけかも!)、おおむね45歳以上の人間だけが罹患するということ。

うわぁぁぁぁぁぁ!

だから若者は、「なんでこんな病気が流行るかって、若い世代に場所を譲るためでしょ」と言って、病気の蔓延を肯定的に捉えていたりする。

「だって、今の若者にはチャンスがないの、この世の中に十分な場所がないの。だから、私たち若者がどうにか暮らして、家族をもてるようになるには、何かが起きないとだめなの!」 (P39)

うわぁぁぁぁぁぁ……。

これ、新聞で「白い病」の記事を読んでキレてる父親に向かって娘が言う台詞なんですけど、続いて入ってきた息子も「そんなのみんな言ってるじゃん、父さん何怒ってんの」という態度。

父親だけが「じゃあおまえら俺や母さんが五十になったらぽっくり死んでほしいのか」とキレてる。
そもそもこのお父さん、新聞に「ほんとうのこと(=50歳前後の者が罹患すること)」が書いてあるのにキレてて、「こんなふざけたこと書いていいと思ってるのか、こんな新聞、二度と買わん!」とか言ってる。

人間、自分に都合の悪いことは見たくないよね……フェイクニュースだと思いたいよね……。

もう本当に最初から最後まで「うわぁぁぁ」ってなりっぱなしなんですけど、ただ疫病が蔓延してるだけじゃなくて「戦争前夜」なんですよね。
「戦争を取るか、薬を取るか」って話になるんです。

たった一人、「白い病」の治療薬を見つけたガレーン博士、その薬を一般に公開する条件として、「平和」を要求する。
武器の製造をやめ、他の国と和平を結ぶなら、薬を提供すると。

貧民街で貧しい人々の治療は行うガレーン博士、でも金としかるべき地位を持った人間には「戦争をやめてください、軍需産業に携わることをやめてください、でなければ治療はできません」と言う。

さっきの、新聞にキレてるお父さん、軍需を扱うクリューク社の経理部長に昇進したばっかりで、ガレーン博士がそんな条件を出してる記事を読んで、またぞろキレるんですよ。

「武器に何十億費やしたと思う! 恒久平和? それこそ犯罪だ! そうなったら、クリュークの会社も倒産だろ? 二十万人の従業員を路頭に迷わせるってか?」 (P83)

もうね、ほんと、「うわぁぁぁぁぁぁ」しかない。チャペックさんすごすぎる。

つい、「オリンピックの準備に何十億費やしたと思う!」って話を重ねてしまいますよね……。
ここまでお金と時間をかけて準備してきて、いよいよ実行だ、という時期に入っているものをやめられるわけがないという理屈。

クリューク社の社長であるクリューク男爵、そして元帥が次々とガレーン博士のもとを訪れる。けれどガレーン博士は頑として譲らない。どんなにお金を積まれても、彼が求めるものはお金ではない。そして元帥達も譲らない。

「戦争や平和は、私の意志次第だと思っているのか? 我が国民の利益に叶うかどうかを考え、私は国の舵取りをしているのだ」 (P120)
「私は、戦争に勝利することが平和よりも好ましいものだと思っている。我が国民から勝利を奪うことは、私にはできない」 (P121)

最後の最後で元帥は薬のために戦争を放棄しようとするのですが……時すでに遅し。開戦に熱狂する群衆たちは反戦を訴えるガレーン博士を裏切り者として殺してしまう。その人が、その人だけが、「白い病」に苦しむ人々を救えたとも知らず。

ここで例の「新聞にキレる親父」の息子が出てくるのもなんとも巧い。

「白い病」が自分ごとになるまで平和を拒み続ける元帥やクリューク男爵は“正義”ではないけど、単純に“悪い人”でもなく、とても人間らしい“弱さ”を持った人でもあって、薬を盾に平和を実現させようとするガレーン博士も、単純に“聖人”ではない。

「医者なら人を助けるのが仕事だろ」と反論されたりしてるのよ、ガレーン博士。もちろん彼は貧しい人達は無条件に(ろくな診察代も取らずに)治療してあげていて、そこは“聖人”なんだけども、同じ病人でもお金持ちは治さないっていうのは、“差別”ではある。

戦争で大勢の人が死ぬことを食い止めるために、感染症で死ぬ大勢の人を見捨てることは“正義”なのか。

元帥は戦争を指導し、男爵は武器を作って儲け、彼ら「しかるべき地位にいる人」さえ心を入れ替えれば平和になると見えて、最後は「戦争万歳!」を叫ぶ群衆が博士の命も元帥の命も踏みにじっていく。

たった154頁しかないんですよ、これ。
活字も大きいし、戯曲だから余白も多いし、あっという間に読める。

この作品が初演されたのは1937年の1月だそうで、まさに第二次世界大戦前夜。そしてチャペックさんは翌1938年の12月に48歳の若さで亡くなっているそう。 

「白い病」の「白」は「黒死病(ペスト)」の反対であると同時に、

この病気を白色人種の深刻な衰退の特徴としてある程度象徴的に感じていた。 (P158)

とチャペックさん自身が「前書き」に書いておられます。
この岩波文庫版には「前書き」と「作者による解題」が「付録」として本編の後に収められていて、「解題」の最後はこんな言葉で締めくくられています。

戯曲が存在するのは、世界が良いとか悪いとかを示すためではない。おそらく、戯曲を通して、私たちが戦慄を感じ、公正さの必要性を感じるために戯曲というものが存在するのだろう。 (P168)

おおいに戦慄させられました。
チャペックさんすごい。
(ちなみにこのいかにも恐ろしい表紙絵は初版本の表紙のものだそうです)