(※以下ネタバレありまくりです。これからお読みになる方はご注意ください)


ドルリー・レーン四部作最後の作品、読み終わりました。
ここまでの三作は角川文庫の新訳版で読んだのですが、なぜか最後の一作だけ図書館に入っていなかったので、ハヤカワ文庫版を。

ハヤカワ版は1996年の発行、こちらも「改訳決定版」と銘打たれていて、特に読みにくいようなことはありません。

冒頭、クイーンによる「筆者の心覚え」という前書きがあり、そこには

この事件こそ、犯罪史上かつて先例を見ない、珍奇にして純粋な魅力溢れるものなのが疑うべくもないからである。 (P4)

と書かれています。

確かに事件自体が興味深く、私としてはこれが4作の中で一番面白かったです。まぁドルリー・レーンさんのことは最後まで好きになれないどころか、「やっぱりそういう奴だったのか、私の見る目に狂いはなかった」と思っちゃいましたけど。

まず最初に、サム探偵事務所に怪しい依頼人が現れます。奇抜な付けひげをつけ、「預かってくれ」と言って封筒を置いていく。毎月二十日に電話連絡するから、もしもその連絡が途切れた時には封筒を開けてみてほしい。そしてその際は必ずドルリー・レーン氏に立ち会ってもらってくれと言って。

「そんな変な依頼、気が乗らない」と思いつつも渋々受けたサム元警視。今度はブリタニック博物館の警備員ドノヒューが失踪したという事件が舞い込みます。調べてみると、奇妙な事実がわかる。
博物館は改装中で、一般客は立ち入り禁止中だったのだけど、とある教師の一団がどうしてもということで観覧を許されていた。その一団の中の誰かを追って出ていったまま、ドノヒューの行方がわからなくなってしまったらしい。団体は全部で17人のはずが、バス会社の発着係によるとバスに乗ったのは19人。そして博物館の観覧を経てバス会社に戻ってきたとき、降りた人間は18人しかいなかった。

サム元警視とペイシェンスがブリタニック博物館に行ってみると、貴重本を陳列したガラスケースが破られていた。「それは工事でうっかり」「事件じゃないですよ」と館長たちはのんびりしたものだったが、駆けつけたレーン氏が中の本をあらためてみると、なんと3冊のうちの1冊がすり替わっている!

それはシェイクスピアによる『情熱的な聖地巡歴』という本で、一五九九年刊のジャガード版と呼ばれる書籍だった。現存する三冊の初版のうちの1冊が展示されていたのだけれど、それが一六〇六年の第二版に置き換わっていたのだ。貴重な初版本を盗んだ犯人は、ご丁寧にも代わりに第二版を置いていった。そして実はその第二版、「現存しない」と思われていた代物なのだ。

「珍奇な貴重書を盗みとる心理は判る。だが、その同じ場所に、盗みとった品以上に珍奇で、はるかに価値のある貴重書を残しておくとは!」 (P138)

……と、もうここまででかなりお腹いっぱい、掴みはOKすぎますよね。
一体犯人は何を考えているんだ?と思っているとさらにさらに、盗まれた初版本が戻ってくるのです。メッセンジャーボーイが、誰とも知らぬ依頼人に頼まれ、その本の入った包みを博物館に届けにくる。

戻ってきた初版本の裏表紙には切り込みが入れられ、中には「表紙の修理代」として百ドル紙幣が。

犯人の狙いは本そのものではなく、その、表紙の隙間に隠されていた“何か”で、それを抜き取り、代わりに百ドル紙幣を入れてよこしたに違いない。しかし一体誰がそんな酔狂なことを?

もちろん最初にサム元警視のところに謎の依頼をしてきた「付けひげの男」と、この「貴重本のすり替え」事件の間には関係がある。

男が依頼に来たのは5月6日。「毎月二十日に連絡する」と言っていたとおり、5月20日には電話がかかってきたものの、6月20日には音沙汰がなく、サム元警視はレーン氏立ち合いのもと、預かっていた封筒を開く。
出てきたのは謎の文字「3HS wM」。ただそれだけしか書かれていない。

いやはや、色々盛りすぎだよ、クイーンさん!

その文字が書かれていた便箋は「サクソン書庫」のものでした。もともと貴重本が所蔵されていたサクソン家の書庫専用の便箋。なのでサム元警視やレーン氏たちはサクソン書庫を訪れ、そこで「ドクター・エイルズ」と名乗る人物の存在を知ります。
実はその「ドクター・エイルズ」、かつてレーン氏とシェイクスピア論をめぐって紙上討論したことがあり、詳しい人となりは不明なものの、シェイクスピアの研究者であることは間違いない。ならば貴重本に隠された“何か”を欲するのも理解できるし、代わりにもっと貴重な本を置いていくというのもわからなくはない。

しかしサクソン書庫の老司書によってさらに驚くべき情報が。「ドクター・エイルズ」とは誰あろう、ブリタニック博物館の新しい館長、ハムネット・セドラーだと言うのです。
この5月に渡米してきたばかりのイギリス人ハムネット・セドラーは、もちろん「私はそんなことはしていない」と否定するのだけど、「ドクター・エイルズに仕事を頼まれた」と言う“こそ泥”までもが「依頼人はこの人」とセドラー博士を指さして。

……うん、まぁ、「双子」なんだろーなー、とすぐ思いますよね。ハムネット・セドラーには行方のわからない弟がいる、って情報は早い段階で出ているし。
同じ顔をした男が二人いるんだな、って。

ともあれ“こそ泥”が「ドクター・エイルズの家を知っている」と言うので行ってみると、出てきたのはマックスウェルという使用人。彼は「ドクター・エイルズが帰ってこないので自分も困っている」と証言する。ドクター・エイルズは5月27日に出かけたきり、三週間以上も戻っていないと言うのだ。
5月27日というのはまさに、ブリタニック博物館で奇妙な事件が起きた日。ドノヒューが消え、硝子ケースが割られて貴重本がすり替えられた日だった……。

ドクター・エイルズがハムネット・セドラー館長かどうかはともかくとして、貴重本をすり替え、そこに隠されていた“何か”を盗み取ったのはおそらくドクター・エイルズで間違いない。サム元警視に封筒を預けていった「付けひげの男」もきっとドクター・エイルズだろう。しかし彼はどこへ行ってしまったのか。警備員ドノヒューの行方は???

と思っていると1週間ほど経った7月1日の朝、サム探偵事務所にマックスウェルから「助けてくれ!」という切羽詰まった電話がかかってくる。
一堂が駆けつけるとマックスウェルはガレージに倒れており、母屋の方はそこら中が手斧でたたき割られて惨憺たるありさま。

マックスウェルをガレージ内に監禁した人物にどんな意図があったにせよ、その人物が目的追及のためには、容赦会釈のなかったのが明白だった。 (P352)

その“誰か”はきっと、ドクター・エイルズが入手した“何か”――シェイクスピアに関わる歴史的に貴重な紙片を捜しに来たのだろうけれど、なんとその日の夕方、ドクター・エイルズの家は爆破されてしまうのです。

はぁー、もうほんと、クイーンさんこの1作にどれだけ詰め込む気なんでしょう。

地下室から発見される時限爆弾の残骸と、男の死体。その男は焼死ではなく、銃殺されていた。損傷が激しく顔の見分けはつかないものの、背格好からドクター・エイルズもしくはハムネット・セドラーだと思われた。ハムネットも数日前から行方をくらましていたのだ。
そしてやっと「ハムネットの行方不明の弟ウィリアムは双子で、見分けがつかないほどそっくり」という情報がもたらされる。

そうでしょうそうでしょう、そうだと思ったよ!

で、自力で監禁場所から脱出してきたドノヒューが見つかり、さらに「双子の片方」が見つかり、彼は「私はハムネット・セドラーだ」と名乗って、弟ウィリアム(=ドクター・エイルズ)との確執について、つまりは事件の真相について語る。1599年の初版本に隠されたいた“何か”とは、シェイクスピアの死にまつわる文書だったことも明らかになる。

しかし彼は弟を銃で撃ったりしていないと言う。そもそも彼は本当に「ハムネット・セドラー」なのか。ウィリアムがまんまとなりすましているのでは?

生き残ったのが双子のどちらなのか、それは例の謎の文字「3HS wM」を手掛かりに、明らかになります。明らかにするのはレーン氏。実はレーン氏はその文字の意味に早くから気づいていて、「暗号でも何でもない」と知っていたのに、相変わらずの秘密主義でペイシェンスたちには教えてなかったんですよね。

生き残った方の正体がはっきりし、彼が死んだ方を――双子の片割れを殺したのだろうとサム元警視は考えますが、しかしペイシェンスは「そんなことはありえない。この事件には第三の人物がいる」と自分の推理を披露します。そして途中でその第三の人物が誰なのかに思い至り、気絶するほどのショックを受け、「遠くへ行きたい」と旅に出てしまうのです。

いやー、ペイシェンス、そこ、誤魔化しちゃダメでしょう。真犯人がわかったなら、ちゃんと糾弾しないとだよ。


『X』『Y』『Z』と読んできて、4作目が「最後の事件」なら、きっとそれはレーン氏が「犯人」になるからだろう、と予想していました。登場の最初から、彼は「事件の真相を追い求める探偵」ではなく、「事件を操りたがる探偵」「神になろうとする」探偵だったのですから。
『Y』ではレーン氏が真犯人を殺したのでは?と思える含みがあり、いざとなれば殺人をも厭わぬ人物だということが早くも提示されていました。

ペイシェンスほどの脳味噌がないので、「なぜ第三の人物がレーン氏なのか」を自分で推理することはできなかったんですが、「殺人犯はレーン氏」という結末に驚きはなく。

でもレーン氏の「遺書」には驚きましたね……。この期に及んで「自分が殺した」ことについては何も言及がないんだもん。そこはスルーして、シェイクスピアの貴重な書翰を守ったことを褒めてもらいたいかのような書きぶり。サム元警視が「何のことだかさっぱり判らん」と言うぐらい。

書翰の安全性については――事件の真相のほうも、やがては明らかになるはずです――もはや何の懸念もなくなった事実をお伝えいただきたい。あの書翰は、かく言う小生みずからの手で、その本来帰属すべき場所であるイギリス本土への発送手配を済ませてあります。 (P480)

これら一連の復原作業において、小生が何らかの寄与をなし得たとなれば、友人たちはみな小生を、愛情の温いまなざしをもって回想してくれることでしょう。言うなれば小生は、人生の黄昏時にあってもなおかつ、全人類に惰性的な自己本位の気持ちを離れて、若干の貢献を果たし得たものと見て欲しいのです。 (P481)

いや、「歴史的価値の高いシェイクスピアの書翰に比べたら、人の命なんてたいしたことない」と思ってる人を、「愛情の温いまなざしをもって回想する」なんて無理ですけど???

レーン氏に殺された人物はその書翰を「消滅させよう」としていた。だからレーン氏はそれを阻み、「あるべき場所、イギリス本土へ送った」。それは「全人類に対して若干の貢献を果たした」と言える偉業。

もし心底そう思っているなら、それほどの自負があるなら、自決などせず堂々と警察に出頭し、裁判の場でその旨主張すればいいですよね。レーン氏が真犯人だと気づいて、苦悩のあまり家族にも行方を告げず逃避行に出てしまったペイシェンスに、しっかりと向き合うことすらせず。

遺書の中にはいけしゃあしゃあと、「ペイシェンス、君はゴードン君と幸せになりたまえ」とか書いてあるんですよ。大きなお世話だ、うるせぇわ。そんなことより謝れよ、あんたに憧れ、『Zの悲劇』の最後では「ミス・ドルリア・レーンと改名したい」とまで言っていたペイシェンスの気持ちを裏切ったことを謝れよ!!!

……とはいえ、この結末とこの遺書、ドルリー・レーンという人物の描写として、実に見事なんですよね。最初からサイコパス風味だったドルリー・レーンという人間を、ブレずに最後まで描ききった。だからこそ、読んでて「このクソが!」とつい真剣に怒っちゃうわけで。

一方であの若きエラリーを活躍させながら、同時にこういう人物を探偵役に据えてミステリを書くクイーンさん、ほんとにすごい。

レーン氏がシェイクスピア俳優で耳が聞こえないっていうの、最初からこの「最後の事件」の構想があってできた設定だったんでしょうか。ここへ向けて『X』『Y』『Z』を組み立てていったのか……。

解説によると、『Z』はもともと構想になかった、この最後の事件が『Zの悲劇』になるはずだった、という見方も強いそうですが。
急遽国名シリーズ用のネタを作って書かれたのが『Z』で、その煽りを食って短編用のネタをふくらませて書かれた国名シリーズが『シャム』だ、という見解があるそう。急遽書かれたので、『X』『Y』では影も形もなかったペイシェンスがいきなり登場するし、『Z』だけが地の文が一人称……。

でも『X』『Y』のあとがいきなり『Z』だと、いきなり10年後で体調の悪い老レーン氏になってしまうので、それもちょっと、という気がしますよね。アルファベット的には「Z」で終わるのが綺麗ではあるけど。

真相がどうあれ、『Z』でレーン氏に心酔したペイシェンスを『最後』で裏切るの、ほんと「レーン氏」という人物を描く構成として、見事だと思うなぁ。

ペイシェンスと言えば、『Z』ではジェレミーの求婚をすげなく振ったのに、今回はブリタニック博物館の研究員ゴードン君とうまくいく様子。彼女がけっこうな美人で行く先々でモテるのはともかくとして、彼女自身も惚れっぽいように見えるのがなんとも。年齢が21歳のままなので、『Z』と今作の間にはさほど時間が流れていないはずなのに。

これはサム元警視が、目のなかに入れても痛くない愛娘のペイシェンスだ。色の白い女性で、自由気ままな性格。年齢は二十一歳に達したばかり。蜂蜜色の頭髪、快活な物言い、世に言うところの、父親サムの掌中の珠であった。 (P25)

彼女は生まれてまもなく母親を失い、父親は公務に多忙なことから、物ごころつくが早いか、付添い婦つきで西欧に送られ、各地を旅行しながら教育を受けていた。 (P31)

『Z』の時にも書きましたが、当時こういうことは普通に行われていたんでしょうかね? 「親戚の家に預けられて」ぐらいじゃなく、いきなりヨーロッパにやられちゃうって。

ほとんど一緒に暮らしていなかったサム元警視、娘がゴードン君に色目を使われ、誘いに乗っていることに常にやきもき、「パパは頭が古いんだから」とか言われて気の毒です。

(ゴードン)「あんたの無学ぶりは、まだまだ充分でない。だけど、それでいいので。ぼくはもともと、奇妙にインテリぶった女性と食事をするのが、虫の好かない性分でして」(中略)
(ペイシェンス)「わたしの場合は、インテリぶってるのでなくて、これでも本物のマスター・オブ・アーツなのよ。『トマス・ハーディーの詩』という煌めく星さながらの立派な論文を書きました!」 (P109)

というやりとりを見ると、あまりゴードン君に好感は持てないんだけどなー。

結末を知ってからもう一度レーン氏の行動を辿るとなかなか興味深くて、特に殺人を犯したあと、しれっとその場に足を運んで、自ら縛り上げた男を「可哀想に、この男を母屋へ運んでやろう」とか言うの、もうほんとに「どの口が!!!」って感じで、最高です。

老紳士は薄い唇をきゅっと結んで、目のなかに異様な光を宿していた。 (P345)

読み返すとちゃんと要所要所に「レーン氏の不可解な行動や表情」が描写されているんですよねぇ。いやはや。

「プロットに穴が多い」「この作品は書かれない方が良かった」と酷評する人もいるそうですが、しかしクイーンさんはこの作品を書くために――レーン氏の破滅を描くために、『X』『Y』『Z』を紡いできたに違いなく。

怪人物がサム元警視に封筒を預けるメリットがないとか、ペイシェンスたちがエールズ博士の正体になかなか気づかないとか、筋立てに不自然さが目につく (解説部 P493)

「双子」ネタに気づかないのは確かにね。

解説には、「殺人犯の正体に迫る一つの手掛かりは『Zの悲劇』の中にある。ハヤカワ・ミステリ版では186頁7行目あたりではないか」とも書いてあって、あまりにその中身が気になったのでわざわざハヤカワ版の『Z』を借りてきて確かめたのですが。
そこに書いてあったのは

レーン氏は声をあげて笑った。「ペイシェンス、わたしはいまのあなたの言葉で、あなたが一万マイル以内にいるかぎり、殺人の罪はおかさぬことに決めましたよ」

という文章。
んんん??? これが手掛かり? なぜ?
ペイシェンスが1万マイル以内にいるのに、しれっと人を殺しちゃいましたけど???

まぁ最初から殺そうと思っていたわけじゃなく、第一の目的は「シェイクスピアの書翰」を入手することだったんだろうけど、その後何も知らないふりで一緒に推理してるのがねぇ。メンタル強いっていうか、どっか壊れてるっていうか。

ペイシェンスが「殺したのは第三の男だ、わたしはそれを証明できる」と言ったとき、「ほう、あなたにはそれができますか」とレーン氏は言うんだけど、レーン氏はペイシェンスによって真相が見破られることを予想していなかったのか、あるいはむしろ期待していたのか、どうなんだろう。わざわざ生き残った方がどちらなのか、それを自分で暴いておいて、なお自分が「第三の男=殺人者」であることを示す証拠はない、と考えていたのか。

その証拠が「音」だから、そもそも無音の世界にいるレーン氏には「手掛かりがある」ことに気づけない、というのはさすがのロジックだけどなぁ。

うん、レーン氏のことは好きになれなかったけど、クイーンさんのことはやっぱり好きです。ドルリー・レーン四部作、楽しませていただきました

最後に『Y』の記事に書き忘れたことをひとつ。
『Y』でレーン氏が毒薬をミルクとすり替えるシーン、その後犯人は「毒」だと思ってそれを被害者の飲み物に混入するんだけど、あれ、毒じゃなくてもお腹壊すよね? 何日か常温保存されていたミルクを……混入したのが数滴ならたとえ腐ってても大丈夫なのかな。てゆーか、犯人、匂いでそれが「ミルク」だってわかんなかったのか。
ロジックの鬼クイーンさんにしてはそこ、詰めが甘くない?って思いました。
室温が冷蔵庫以下になる冬場なら問題ないのか、犯人の特性からして匂いには気づかないのか……。

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