同じ創元推理文庫の旧訳版は7年ほど前に読んでいるのですが、図書館に新訳版が入っていたので、手に取ってみました。

旧版は井上勇さん訳で1961年(昭和36年)の刊行。新版は2018年に出ていて、なんと57年ぶりの新訳でした。翻訳を手がけた中村有希さんはサラ・ウォーターズの著作などを訳してらっしゃる方。サラ・ウォーターズの『荊の城』は面白かったなぁ。

旧訳版の感想記事に「訳は読みやすいです。特に古めかしいとも思いません。」なんて書いてましたが、読み比べるとその差は歴然。
新訳は圧倒的に読みやすい!するする頭に入ってくる!!!
それにエラリーのキャラクターが新訳版国名シリーズのあの「生意気な若造」に近くて、とても楽しい。
今から手に取るなら断然新訳版がお勧めです。

旧訳読んでからだいぶ時間が経っていることもあり、冒頭のお話以外はほとんど覚えておらず、もちろんトリックや犯人も覚えてなくて、初めて読むかのように楽しみました(笑)。
旧訳と見比べてみるのも面白かったので、すでに一度記事を書いた作品ですが、新旧の違いを軸に改めてご紹介したいと思います。

まず。
一番最初のページ、タイトルと著者名の下に書かれているあらすじと惹句からしてまたずいぶん雰囲気が違うんですよね。

旧訳:クイーンの明快な論理は、たちどころに、二と二を足して四とでて読者を唖然とさせる好短編ぞろい。作者の得意の微笑が、読む者をも微笑させずにはおかないであろう。

新訳:多くの傑作が並ぶ巨匠クイーンの記念すべき第一短編集。名探偵による謎解きの魅力を満喫させる全11編に加え、初刊時の序文を収録した名作品集の完全版。

新版はすごくオーソドックスというか、無色透明な紹介文ですけど、旧版の方はなんか書いた人の個性が出ている感じがして面白い。

紹介文にある通り、新訳版には初刊時の序文が収録されています。
国名シリーズの序文でおなじみだったJ・J・マックさんが書いてることになってて、「おー!J・Jさんか!」と懐かしかった(笑)。
しかも今回はエラリーが勝手に出版の準備を進め、J・Jはまったく内容を知らないまま「序文を書け」と頼まれているんです。そんな無茶な、とヴェリー部長刑事やクイーン警視に泣きついたJ・J、結局「この経緯を素直に書いたら?」と警視に言われ、そのまま「序文」にしてしまったというとても奇妙な、面白い形式になっています。

エラリー・クイーンという探偵作家が自身で解決した事件を小説という形で世に出す、その手助けをJ・J・マック氏がしている。
架空の作家を架空の編集人がプロデュースしているというそれだけでもクイーンさんの遊び心を感じるのに、さらに序文にヴェリーやクイーン警視を出してくるなんて、ほんとに心憎い。

ちなみにこの短編集の刊行は1934年。国名シリーズ8作目の『チャイナ蜜柑の秘密』と同じ年だそう。

警視がJ・Jにかける台詞がまた面白いです(さっきから「面白い」しか言ってない(笑))。

「そこがせがれの友達連中の困ったところだ」老紳士はため息をついた。「どうもうちのエルは友達に催眠術をかけるか何かしちまうらしい。きみは自分が五年も六年もあれにいいように使われとる犠牲者だと、気づいとらんのかね?」 (P12)

警視がエラリーのことを「うちのエル」って言うのいいですよねぇ、ふふふ。

では本編についても見てまいりましょう。
まず1作目、「アフリカ旅商人の冒険」

なぜか大学で「応用犯罪学」の講義をすることになったエラリー。63人もの受講希望者の中から見込みありと踏んだ二人の青年バロウズとクレインを選び出し、3人だけの講義とするつもりだったのが、父親のコネを使って飛び入りしてきたイックソープ嬢(※旧訳ではアイクソープ)をも迎え入れる羽目に。

積極的な彼女にたじたじとする冒頭、実際に起きたばかりの殺人事件をクイーン警視のコネで実地検分し、3人の学生にそれぞれ推理させる趣向、そしてもちろん学生たちの推理はどれも間違っていて、エラリーがさっさと事件を解決していたという小憎らしい一篇です。

冒頭の文章、旧訳ではこんな感じ。

旧訳:エラリー・クイーン君は、英国製ツイードの服にゆったりと身を包み、沈思黙考のていで、大学のあの豪華な城砦のような、アーツ・ビルディング(教養会館)八階の廊下を重々しく歩いていた。衣装好みのエラリーだったから、ツイードの服はまぎれもなく、英国のボンド・ストリート製のものだったが、思想の中身はまぎれもなくアメリカ仕込みで、 (P8)
新訳:エラリー・クイーン先生は、英国製のツイードをゆったりと着こみ、考えごとにふけりながら、壮麗な城砦のごとき大学の教養学棟の八階を歩いて――というか苦労して進んでいるところだった。衣装にうるさいエラリーのこと、そのツイードはまぎれもないロンドンのボンド・ストリート仕立てだが、思考を仕立てているのは生粋のアメリカ英語である。 (P17)

なるほどこうなるか、って感じですよねぇ。「沈思黙考」という四字熟語が「考えごとにふけりながら」となったり、「衣装好みのエラリー」が「衣装にうるさいエラリー」になったり。

違いがわかりやすいのがイックソープ嬢の台詞。

旧訳:「会計さんにも、ちゃんとけがれたおあしが払ってありますわ。あたしだって学士ですわよ。だけど、今のところ、修士を取るのをさぼっていますの。これで根は利口なんですよ、あたし。ねえ、先生。――そんなに教授ぶらないで。先生はりっぱすぎるくらい、りっぱな紳士ですわ。それにゾッとするような美しい銀色のお目ときたら――」 (P11)
新訳:「受講費のことなら、汚いお金をちゃーんと大学に支払い済みです。わたしだって学士のはしくれだし、いまはここで修士号を取るために、社会に出ないでのらくらしてるだけだもの。これでもわたし、かなり頭はきれるんですよ。やだ、もう――そんなに先生ぶらないで。あなたってとっても魅力的よ、それにその銀の瞳、ほんとにすてきで、ぞくぞくしちゃう――」 (P20)

「お金」を「おあし」って表現するの、最近は見ませんよね。それにしてもエラリーの瞳って銀色なんですか??? 旧訳の感想記事でも書いたけど、女性にモテモテというか女ったらしぽい部分が短編集では強調されてて、読んでてむずむずいたします(笑)。

イックソープ嬢、いきなりこんなふうにエラリーに粉かけてるし、色ぼけした頭の弱い小娘かと思っちゃうんだけど、自分で「これでも頭は切れる」と言っているとおり、事件現場ではちゃんと観察してそれなりにしっかりした推理を組み立ててるんですよね。

お話はイックソープ嬢が「私の名前を訊いてくれなかった」と言って終わります。どの作品も最後の〆が洒落ていて、トリックだけでなく短編小説としての完成度がほんと高いんですよね。クイーンさんすごい。

2作目、「首吊りアクロバットの冒険」。旧訳は「首つり」とひらがな表記になっています。

ヴォードヴィル一座の花形、アクロバット芸人夫婦の美しい妻が首吊り死体となって発見される。夫はたいそうな嘆きっぷり。殺された女は一座の他の団員ともねんごろだったようで、首を吊ったロープの独特の結び目は奇術師ゴルディしか知らないものと思われたが…。

「他にいくらも殺人の手段があるのに、犯人はなぜわざわざ面倒にも被害者を吊したのか」から推理していくエラリー。わざわざ吊して、しかも「自分しか知らない結び目を作るなんて、そんな馬鹿げたことをする犯人はいない」。

新訳ではアクロバット夫婦は「プロメテウス一家」となっているんですが、旧訳では「アトラス一座」。アトラスとプロメテウスはギリシャ神話で兄弟だけれども、原文ではどっちだったんでしょう。もしも旧訳がわざわざプロメテウスを「アトラス」と訳したのだとしたら、当時はアトラスの方が日本人に馴染みがあると考えたのでしょうか。

アトラス=巨躯を以て知られ、両腕と頭で天の蒼穹を支えるとされる。名前は「支える者」・「耐える者」・「歯向かう者」を意味する
プロメテウス=天界の火を盗んで人類に与えた存在 (※Wikipediaより)

アクロバット夫婦の夫、ヒューゴ・ブリンカーホフのキャラクターとしてはアトラスの方が近い感じはします。

旧訳:警視は少しとげとげしくいった。「とにかく、ありがとう、エル、手伝ってくれて、本当に助かったよ」 (P71)
新訳:「行き詰まりの始まりだ」父親はぴしゃりと言った。「ありがとうよ、エル。たいした助けになった!」 (P87-P88 「たいした」に傍点)

エラリーと警視のやりとり、新訳の方が微笑ましい感じがします。角川版国名シリーズのあの生意気で自信過剰な感じのエラリーと、そんな息子が可愛くてたまらない警視(笑)。

新訳:「やれやれ、皆さんはどうしてもぼくのワンマンショウを聞きたいってわけですね。おさらいから始めてえんえんと長話に耳を傾けたくてたまらないと。」 (P92)

こういうところもいかにも「若き生意気なエラリー」で楽しい。同じ箇所、旧訳ではこんな感じで、あまり生意気感がありません。

旧訳:「では、よろしい、きみたちは、どうしてもぼくに雄弁をふるわせ、懐旧談までさせようというのだね」 (P76)

3作目、「一ペニー黒切手の冒険」。旧訳では「一ペニイ」表記。

書店で同じ本がごっそり盗まれ、それを買った人の手もとからも同じ本が盗まれる。同じ頃、切手商から貴重な切手が盗まれていて、その本のうちの1冊に切手が隠されたと思いきや…。

盗まれた本の書名、新訳では『混沌のヨーロッパ』、旧訳では『混乱の欧州』となっています。また、新訳では「エドガー・アラン・ポオの有名なあの物語のように」(P132)となっているところが旧訳では「エドガー・アラン・ポオのあの有名な《盗まれた手紙》の主人公のように」(P110)と詳しくなっていました。

4作目、「ひげのある女の冒険」

J・J・マックの紹介で殺人事件の謎解きを頼まれるエラリー。被害者が残したと思われる唯一の手掛かりが「ひげのある女の絵」。レンブラントの絵を模写していた被害者が、女の顎に書き加えたひげ。果たしてそれは何を意味しているのか?

旧訳:「ぼくには帽子のなかから、手品のように殺人犯をとり出す芸当なんかできません」 (P112)
新訳:「ぼくだって別に、帽子の中から殺人犯をひょいひょい取り出して歩いてるわけじゃないんです」 (P136)

やっぱり断然新訳の方が読みやすいですね。
ラストの〆はエラリーの「すぐ美女に心惹かれる」描写。メイソンさん、彼女の連絡先教えてくれたのかしらん。

旧訳:「ときに、メーソンさん。あなたはミス・クラッチの――そのう――所書きをご存じではないですか」 (P152)
新訳:「ところで、話は変わりますが、メイソンさんは――そのう――あの看護婦の、クラッチさんの連絡先をご存じだったりしませんか?」 (P179)

5作目、「三人の足の悪い男の冒険」。旧訳では「三人のびっこの男の冒険」。

クローゼットに女の死体、そしてその部屋の借主である男は誘拐されたらしい。床の上には三組の靴跡が残されており、どの跡も右足を痛めているようだった。もしも犯人が3人組だったとして、3人ともが右足を悪くしているなんてことがありうるのか…?

旧訳では「びっこの男」なのが新訳で「足の悪い男」と言い直されてることに時代を感じますね。

旧訳:「だれが、わたしがですか。クイーンさん、われわれが来た時には、もうこの足跡はついていたんですよ」 (P153)
新訳:「誰が、あたしがですか? いいですか、クイーンさん、あたしたちがここに来た時にはもう、そこの足跡はついてたんですよ」 (P183)

ヴェリー部長刑事の台詞なんですが、新訳では一人称が「あたし」なんですよね。クイーン警視の一人称は新旧ともに「わし」。

旧訳:「お父さんは興奮のあまり、忘れておられるようです――マックは当然釈放しておやりになるべきですよ」 (P192)
新訳:「些細なことですし、お父さんは興奮してすっかり忘れているようですが――かわいそうなマックはもちろん、釈放してやらなきゃだめですよ」 (P225)

どれもオチが洒落てる、と1作目のところで書きましたが、旧訳だとその魅力が今ひとつ伝わらないような。新訳ではエラリーの茶目っ気がよく表現されて、「オチ」としてより秀逸になってる気がします。

6作目、「見えない恋人の冒険」

コーシカという小さな町で起きた殺人事件。犯人とされたのは町の「貴公子(プリンス)」と呼ばれ、誰からも愛されている青年。その青年を救い出すためコーシカに呼ばれたエラリーは、殺人事件のきっかけとなった美しい少女に一目でのぼせ上がっちゃいます(笑)。

旧訳:「どんなことをお知りになりたいのですか、クイーンさま」 クイーン君は、どうやら、見たところ、一時的に、まともな口がきけなくなったらしかった。立ち上がって、博物館見物の田吾作よろしく(後略) (P199)
新訳:「何がお知りになりたいの、クイーンさん」 どういうわけか、クイーンさんは一時的にまともに口がきけなくなったようだった。まるで初めて美術館に来た田舎者のように(後略) (P235)

「拳銃の線条痕」という物証を覆すために墓を暴くことまでするエラリー。小さな町で、検死官が勝手をできるという条件があったればこその事件、さすがに今はこんなこと…できないとは言えないかな、警察による証拠の捏造…。

旧訳:「では、どうか台所から出ていただけません、エラリー・クイーンさま。(中略)あなたって――すばらしいかただと思いますわ」 エラリー・クイーン君は、はっと息をのみ、顔を染めて、早々に退却した。 (P212)
新訳:「すみませんけど、お台所から出てくださいますか、エラリー・クイーンさん。(中略)――あなたって、とってもすてきなかたね」 エラリー・クイーンさんは息をのみ、頬を真っ赤に染めると、慌てて退散した。 (P249)

やっぱりこう、旧訳は女の子の言葉遣いがいかにも古めかしいですね。そして少女の台詞に合わせて地の文も「エラリー・クイーンさんは」と訳す新訳、チャーミングです。

7作目、「チークのたばこ入れの冒険」

とあるアパートでの連続盗難事件の解決を依頼されたエラリー。断ろうとしているとそのアパートで今度は殺人事件が起き、クイーン警視に呼ばれて現場に向かうことに。殺されていたのはその部屋の住人の兄。そしてたばこ入れだけがなくなっていた――。

「兄」と紹介しましたが、新訳では被害者は「ルボックの兄」、旧訳では「ルボックの弟」となっています。
これ、ルボックが被害者を「ハリー」と呼び捨てにしているので、日本では「弟」にした方がしっくり来ると旧訳では考えたんでしょうか。原著では単に「brother」としか書いてなさそう。

そしてそして。このお話にはクイーン家の万能執事ジューナ君が顔を出しています!

旧訳:電話のベルがなった。クイーン家のなんでもやのジューナが、寝室にとび込んで応対した。ジューナは、ほとんどすぐと、戸口から小さいジプシー頭をつき出した。「エラリーさん、お電話です。お父さんからですが、大変お急ぎのようです」 (P228)
新訳:電話のベルが鳴って、クイーン家の何でも屋のジューナ少年が寝室に駆けこんでいった。かと思うとすぐに戸口から、小さな浅黒い顔をぴょこんと突き出した。「エラリーさん、お電話ですよう。クイーンお父さんがかけてきて、すごく急いでるみたいです」 (P268)

長編ではいつの間にか姿を消してしまったジューナ君。また会えて本当に嬉しいです。しかし全然ジューナの口調が違いますね。あと「ジプシー」という言葉も最近は使わない方がよくなっているのですかね。

ジューナに「クイーンお父さん」と呼ばれるクイーン警視、「銀色の美しい羽と明るい小さな眼の小鳥を思わせる小柄な紳士」(新訳P270)と紹介されています。エラリーだけでなく警視も魅力的なのがシリーズを一層楽しくしていますよね。
ちなみに旧訳では「鼠色の羽をして」となっていて、確かにグレーとシルバーは同じような色だけど、印象が全然違ってきます。

8作目、「双頭の犬の冒険」

エラリーがたまたま立ち寄った宿屋「双頭の犬亭」。そこでは3か月前、とある事件があり、それ以来バンガローの一つから奇妙な物音が聞こえるようになっていた。まさか幽霊…? 幽霊なんていやしませんよと言っていた矢先、そのバンガローに泊まった男が殺され――。

冒頭、「エラリー」という名前を出さずに「ハンドルを握る長身痩躯の男」「青年」「旅人」という言葉だけで描写されるのがとても粋。宿帳に名前を書く段になってやっと「エラリー・クイーン」だと明かされるのです。
名前を書いたとたん、「え?あのエラリー・クイーンさん!?」という反応をされ、

旧訳:「これだから」と、エラリー・クイーン君はため息をついた。「有名なのは困りものですよ」 (P260)
新訳:「これだから」エラリー・クイーン君はため息をついた。「有名人ってのは困るんだよな」 (P304)

と、まんざらでもない様子のエラリー。うぷぷ。

旧訳:「うちの祖父さんが持ってた三本マストの捕鯨船《ケルベロス》のへさき飾りでがす」 (P263)
新訳:「わしのじいさんが持っとった三本マストの捕鯨船、ケルベロス号の船首像だ」 (P308)

旧訳では、宿の親父ホーセイ船長の口調がいかにも昔風。本当に「~でがす」って喋る日本人、存在したんですかね?

9作目、「ガラスの丸天井付き時計の冒険」

骨董品店の店主マーティン・オールが死体で発見された。大きなアメジスト(紫水晶)を右手に握りしめ、左手は壊れた硝子ドームの置き時計に載せた格好で。一体そのダイイングメッセージは何を意味しているのか?

このメッセージ、かなり理屈っぽくて、死ぬ間際にここまで考えられる被害者すごいと思ってしまいます。
エラリーによれば「簡単だよ!」ということだそうですが。

旧訳:「代数学の基礎的知識をもつ高校二年生でも容易に解ける方程式のようなものだ」 (P297)
新訳:「代数学のもっとも基礎の知識しか持たない高校二年生でさえ解ける方程式レベルの簡単さだよ」 (P347)

この短編にもちらっとジューナ君が出てきます。

旧訳:エラリーは三十分ほど前に、クイーン家の給仕ジューナによって、快い、温かいベッドからゆり起こされたばかりだった。 (P300)
新訳:彼はほんの三十分ほど前に、クイーン家のはしっこい何でも屋のジューナ少年にゆっさゆっさと揺さぶられ、心地よく暖かいベッドの中で起こされたばかりだったのである。 (P351)

10作目、「七匹の黒猫の冒険」

ジューナにねだられてペットショップに立ち寄ったエラリー。そこで若いきれいな女店員からおばあさんと猫の奇妙な話を聞き、興味を覚えておばあさんのもとに向かってみると、おばあさんはおらず、無惨な猫の死体だけがあり…。

お話の発端がジューナ君のため、というのがいいですよね~。彼のために犬を買いに行ってくれるエラリー、しかしエラリーはきれいな店員さんと事件の話の方にすっかり気を取られてしまい、ジューナ君が可愛いアイリッシュテリアを手に入れられたのかどうかは不明のまま(笑)。

旧訳:やかまし屋のジューナにアイリッシュ・テリヤを買って来るように、特に厳命されていた。陰気くさい面をした、歯の抜けた替え玉じゃ、とてもお気に召さないのは確かだった。 (P333)
新訳:やかまし屋のジューナから、アイリッシュテリアを買ってくるようにと厳しく言い渡された。陰気くさい顔をしたちびの替え玉なんかじゃ、気に入ってもらえないに決まっている。 (P386)

旧訳:「田舎の甥が、おっとりがたなで乗り込んだ、というところですね。ミス・カーレイ、あなたの美しいお顔でも拝見して、元気をとりもどすといたしましょうね。(中略)」 エラリーは、ミス・カーレイの頬を軽く叩きながらも、眉根をよせて、ためらっていたが、やがて、浴室のほうへ行った。 (P353)
新訳:「田舎の甥っ子が上から下まで戦支度を整えて、駆けつけてきたってわけだ。カーレイさん、気つけ代わりに、あなたのそのきれいな顔を見せてくれませんか。(中略)」そして、しかめっ面でミス・カーレイの頬にそっと触れてから、少し考えて、今度は浴室に向かった。 (P406)

エラリー君、わざわざミス・カーレイの頬に触れる必要ないと思うんですけど?(笑)
しかしこの箇所、旧訳で「おっとりがたなで」と訳されている箇所が「戦支度を整えて」となっているのが興味深いですね。「おっとりがたな」って、「おっとり」に引っ張られて「のんびりやって来た」と思っちゃうんだけど、本来の意味は「刀を手に持ったまま腰に差さないで、現場に駆けつけること(※新明解第六版より)」で、つまりは「大急ぎで駆けつける」なんですよね。
原著ではどう表現されているのか、「戦闘準備」的な言葉は使われているのかな。

11作目、「いかれたお茶会の冒険」。こちらは旧訳では割愛されていたので、初めて読みました。

招待を受け、渋々知人の屋敷を訪れたエラリー。そこでは子供の誕生会のため、女優エミーと家族たちが「不思議の国のアリス」の寸劇を練習していた。しかし翌朝屋敷の主人が行方不明になってしまう。手掛かりはエラリーが夜中に遭遇した「消える掛け時計」。主人は見つからないまま、犯人からのメッセージと思われる奇妙な小包が次々と送り届けられる……。

「アリス」をモチーフにした謎解き。犯人からのメッセージと思しきものが実は――という趣向に富んだ逸品。いつもながら警察(ヴェリー部長)を顎で使うエラリーに苦笑してしまいます。ヴェリー大変だなぁ。

父の警視に電話をかけると、ヴェリー部長をよこしてくれたので (P488)

持つべきものは警視の父親ですねぇ、ほんと(^^;)

「ああ、我ながら惚れ惚れするほど頭がいいですよ、ぼくって奴は、まったく」 (P489)

はいはい、ごちそうさまでした。全11編、エラリー君の頭の良さ、たっぷり堪能させていただきました!


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